夜空に浮かんだたくさんの淡い光を放つ提灯の下には、金魚掬いやヨーヨー釣りなどの娯楽から、かき氷や綿菓子などの食べ物を扱う屋台が立ち並び、その周りにはそれらを楽しむたくさんの人の姿がある。あるいは親と子ども、あるいは孫と祖父母、あるいは仲睦まじそうな恋人達。ここに来ている人の年齢層は幅広いが、やはり皆楽しそうに笑みを浮かべている。 隙間なく並べられた屋台と行き交う人の間を縫いながら私は彼との待ち合わせ場所へ向かっていた。今日は言わずもがな夏祭りである。年に一度というだけあってここへ訪れる人の数は多く、歩くスペースもほとんどないため目的地へ足を進めるのは難しい。さらに今日のために揃えてきた浴衣や下駄のせいで歩き難さは倍増。携帯で彼に少し遅れるとメールをしようにもこの人の波から抜け出すことは簡単ではないためメールも打てずにいた。 人の波に飲まれながらもなんとか待ち合わせ場所付近に到着。辺りを見渡すと前方の木に寄り掛かった彼を発見した。自毛だという綺麗なミルクティー色をした髪が提灯の光によって淡く照らされていて、さらに浴衣の効果もあってかいつもよりも格好よく見える。 「遅れてごめん」 「全然ええよ、大丈夫やったか?」 自分ちっちゃいもんなーと笑いながら私の頭を撫でる蔵ノ介に少し苛立った私は蔵ノ介のすねを蹴ってやった。 「いたっ何すんねん」 「一言余計なんだけど」 「まあええやん。ほな、行こか」 そう言って私の手を取ると、人の間を縫って歩き出した。不思議とすれ違う人とはぶつからない。ここに向かう途中の歩きづらさが嘘のように、すらすらと進んでいく。 私は蔵ノ介のこういうところが好きだ。何においても完璧主義な彼には当たり前のことかもしれないけれど、こういった小さな気遣いは誰でも簡単に出来るものじゃないと思う。例えその気遣いが彼にとって当たり前のことだとしても、それが今私に対して向いているのだと思うとどうしようもなく嬉しくなって、胸がいっぱいになるのだ。思わず蔵ノ介の手をぎゅっと握ると彼は速度を落としながらこちらに振り向いた。 「ん?速かったか?」 心配そうに眉を少し下げながらそう尋ねる彼に、ちょっとだけ申し訳なくなってしまった。 「んーん、何でもないよ」 ただ、幸せだなあって思っただけ。口にはしてないその言葉が伝わるように、私は笑ってそう返した。 「着いたで。疲れたやろ?」 待ち合わせ場所から数分歩いた先にあったのは小さなお寺だった。屋台のあった通りに比べれば随分と人は少なく、慣れない格好と人混みで疲れた私には持って来いの場所だった。 「ここな、花火がよう見える絶好のスポットやねん」 さすがは聖書と言われる男なだけある。こういう場所は調査済みというわけだ。 「さすが蔵ノ介だね。あ、始まった!」 ひゅるひゅると独特の音を立てて上がった花火は辺りをきれいな光で包んだ。黄色、緑、青。瞬く間にたくさんの色をした花火が上がってはぱらぱらと消えていく。しばらくそれに見とれていると、不意に私の右から包帯の巻かれた腕が回ってきて向かい合う形になる。蔵ノ介、と小さく呟くと彼も同じように私の名前を呟いた。花火の開く大きな音と少し掠れた低い蔵ノ介の声が耳から入り、心臓が大きく脈を打ち出す。ひゅるひゅる、ひゅるひゅる、クライマックスが近いのか次々と打ち上げられる花火の音を聞きながら、背中まで回ってきた腕の温かさと少し速く動いている彼の心音の心地好さを感じていた。 「……なぁ、」 彼の声に顔を上げる。向けられる真っ直ぐで真剣な視線に顔が熱くなって、なんだか蔵ノ介の目が見られない。その間も、休むことなく打ち上げられる花火の間隔が徐々に狭まるのに比例するかのように、私の心拍と私と彼との距離も狭まる。一際大きく上がった花火の赤を瞼に焼き付けた後、私はゆっくりと目を瞑った。瞼の裏に未だ輝き続ける赤い光に包まれながら、唇に触れる温かさに浸っていた。どれだけの時間だったかはわからないけど、私にはその時間がとても短く感じた。いつの間にか鳴り止んだ花火はあの時の赤いものが最後だったらしい。目を開けるとさっきの真剣な目つきとは打って変わって優しい目をしている蔵ノ介がいた。 「……好きやで」 蔵ノ介があまりにも綺麗にふわりと笑うから、思わずくすりと笑ってしまった。それから目一杯背伸びをして、もう一度彼に口づける。私も、好き。その気持ちが伝わるように。目を瞑ればやっぱり温かな赤が私を埋めていた。 じ け る 紅 い 涙 毎年行われるこの夏祭りも初めて行った時――確か三歳くらいだったろうか――から数えてもうすぐ二十を迎える。 聞くだけで暑くなるようなくらい鳴いていたアブラゼミやクマゼミも、この時期になるとめっきり姿が見えなくなって、かわりに昼間はツクツクボウシ、夕暮れ時はヒグラシが、少し涼しげなその鳴き声を響かせていた。夏の終わりを感じさせるそれに、何度胸が締め付けられる思いをしただろうか。 季節はもうすぐ秋を迎えるというのに、私の心はこの夏祭りに絡み付いて離れない。毎年変わらない人の多さに圧倒されながら、大きな音を立てて光る花火を眺める。瞼を閉じればいつか見たあの赤い光が思い出されて、自嘲じみた笑みが口から洩れた。 忘れてしまえればいいのに。何年も前のことを思い出しては涙が出そうになって、ぎゅっと唇を噛み締める。 花火は着々とクライマックスに近付いてきている。どんどんと上がる花火の音が心臓に衝撃を与えるけど、ただ、それだけだった。 最後に何十発と打ち上げられた花火に人々は感動の声を発する。夏の大三角が輝く空が一瞬で真っ赤に染まった。 ああ、夏も終わりだ。視界が歪んで、目尻から流れ出ようとするものに蓋をするかのように目を閉じれば、あの時と同じように視界が赤に包まれる。だが、そこに温かさはもうなかった。 title by 彼女の為に泣いた image song is うたかた花火 120916 |