戯言スピーカー | ナノ



 

吉継の最期を看取った、と告げたときのなまえの表情とは恐ろしく歪んでいた。もはや狂っていたと云っても過言ではない。彼女は吉継を愛していたからこそ、長政殿に仕えていたときから好敵手ともにさえ血眼で怒鳴り散らすのだ。

「見損なったな、あんたには吉継の意志を理解できると思っていたが」

おまけに日頃から何ら変わらない戯言を浴びせてやれば、なまえは真に受けて泣きだしてしまった。なんだよ、と内心舌打ちをして目を伏せた。もう疲れたんだよ。気付けば口に出してしまっていたらしく、なまえは潤う瞳をこちらへ向けて歯を食いしばる。
俺こそ吉継を信頼し共に家康殿に仕えることを願ったが、あいつは拒否をした。夢が叶ったのだと云って刃をとった。己の夢が叶えば、今後流れに乗ることさえ許されないほどに仲間の歯車が狂っていこうとも、死を選択する男なのだ。吉継をそれほどまでに変えた石田三成という男は今はどこにいるか判らない。何たって眼前にあるのは吉継の亡骸と悲惨な女の果てなのだから。

「……俺はもう行く」

いちいち報告するのも面倒くさいが、これでも相手はかつて共に肩を並べ合った仲間だ。君主も歩む道も違えど、同じ月を眺めては健康を祈り馳せたことのある関係でもある。義で勝るなどと驕れてしまえば成れの果てに堕ちてしまうのだろうが、たとえば、吉継と並んでしまった男のように。吉継と、並んだ男。なまえは吉継を選び吉継は吉継の道を選んだ。俺も俺の道を選んだ。なまえには道がない。きっとこの先何が待ち受けているのかはよく判る。どちらかが、今死ぬ。

点々と並んだ行灯の光へ誘われるように、深夜の町並みを歩いたことがある。風情のある月が暗澹たる日本ひのもとを照らし出し、妙に酒が美味かったことを覚えている。肴にすることなど考えてもいなかったが、このときくらいは良いと思った。
その日は長政殿が信長に反旗を翻す前の頃、唯一の休みであった日だ。夜営部隊は後方に、天幕を張っていた村の近くに藩内でも大きめな町があると兵士から聞いていた。聞いたために陣営こそ厳重に見張り、すこし離れたところにある町へ寄ったのだ。無理をいって店を開けさせる者もいたが、俺は酒の一つを貰いほっつき歩いていた。吉継もなまえも誰もいなかった。
あるのは橙の消えかけた行灯の灯火が瓦屋根に吊るされるのみ。儚ささえも無情に感じる姿だった。手ぬぐいをもう少し口元へ寄せ、すぐに下げては酒をあおる。

やがて灯火に終わりが見えると、月光に反射するおかげで白濁した葉を落とす大木の元へ辿り着いた。美しいと思ったが、影に二つの面影があったのを見つけた。吉継となまえだった。特に何かするわけでもなく瞳を閉じて風に流れる吉継に、これまた幸せそうに頬を赤らめて寄り添うなまえ。幽霊か何かと思ったが、そうではないとしたら別段どうでもよい、と俺はそのときは立ち去った。思い返すと二人にはあの日からずば抜けた何かがあったのだと思う。愛や知勇などとそういう努力で何とかなるものではなく、生まれ持った才能でもなければ――他人と己をうまく見つめ流れを読むことなど、凡人では理解さえも苦しむであろう性格というべきか。大概理解できない俺も彼らにとっては凡人の一端なわけだ――と、意識を戻してなまえを見た。

確かに未来が想像できなかった。だが、吉継の口癖のようだった流れはこちらへ来ているためむしろ笑えてきてしまった。なるほど、どちらかが死ぬ。なぜ、どちらかが死ぬ?
疑問は浮かぶが、一切柄に手をかけるのはやめない。ちょうど月夜もなく夕暮れ時だが、大木がある。


なんてしなやかな殺意だろうか