戯言スピーカー | ナノ



 
彼はどういうわけか、普段の態度や行いとは想像もつかないぐらい甘えん坊だった。甘えん坊、といえば少し可愛すぎるんじゃないかと思うけど、本当にそれ以外の言葉が見つからない。立場が全くもって逆ではないか。

「ね、起きてください。軍議が始まりますよ」

朝から腰が締め付けられると思えば、士季は私を抱き枕と勘違いしたのか、やはり抱かれていた。上半身を起こすものの、腰に巻きついてるせいか彼の体は引かれる。そのせいで、士季は足をぶつけ、少し顔を歪ませていた。

(……可愛いのが、むかつく)

ひょこひょこと、わざとかと思うぐらい髪の毛が跳ねている。それを撫でてやると、ふわふわとしていた。彼が起きていたらできないことだ。士季は自分が辱められるのが何よりも嫌い、とのことで。

「……何をしている……」
「ほら、起きて士季」
「私が寝坊するわけない……」
「きゃ、くすぐったいよ」

うーん、と言って顔を埋められる。自然としたことなのだろうけど、もう我慢ができない。これこそ、士季でいう辱めだ。
耳たぶを引っ張ってやると、小さく悲鳴が聞こえた。腰から手が離れると私は立ち上がり、朝の軍議のための用意をし始める。

「お、お前! この私の耳たぶを引っ張ったな!」
「くすぐったいんだもの。朝から痴態晒して司馬懿殿に怒られ、その尾びれはびれついた痴態の内容がこの魏全体に伝わらないのだから感謝してほしいぐらいですよ」
「朝から饒舌だな全く。おはよう」
「おはよう」

鍾会には後ろを見てもらい(もちろん文句を言われたけど)、女官が用意をしていた衣装に着替える。髪を整えていると、背後から彼に頭頂に口付けを落とされた。恥ずかしくなって私も彼の外套を引き、背伸びをして瞼に口付けを落としてやる。

「それでこそ私のつ、つつ、妻だ」
「ほら、そんな真っ赤にしないの。軍議が終わったら執務でしたっけ?」
「あぁ」
「そっか、それなら私は自室にいたほうがいいでしょうかね。それとも、君の執務室で、この鍾士季のお手伝いの方がいいでしょうか?」
「私には無駄な仕事がたくさんある。英才教育を受けた者としては簡単すぎるが……多少、お前の手を借りたい」

そう言って、照れ臭そうに言う。
これは紙と筆を持っていって絵でも描こうかな。と思い、私も笑って頷いた。引っ張ったせいでずれた外套を直し、彼の背中を押す。振り向き、士季は私の瞼に口付けを落として、扉を開き出て行く。無言で名残惜しそうに出て行くのが、全く彼らしい。

ばたん、と閉まった音が一日の始まりを感じさせた。新婚みたいだと思うと、頬の緩みが凄くて仕方なかった。婚姻しよう、と約束はしたものの、それはまだ果たせていない。

周りの人は無言の了承と言うべきか、そのことに何も追及はしてこなかった。

さて、と残された私は寝台の敷き布を直す。
すっかり冷たくなったせいで、少し悲しく感じた。
今頃軍議で調子乗って周りに反感買ってるんだろうなぁって思い浮かべる。私も軍議に出れば良いのだけど、私は生憎智より武に長けているそうだ。確かに、士季の言うことが時々分からない。


士季の執務室へ行くための準備は終えた。あとは自由である。
司徒に就いていることもあるため、軍議が終えた後も話がたくさんあるに違いない。改めて着替えた後思ったが、もう少し寝てても良かったのかもしれない。
私は元は右将軍ーー夏侯覇の補佐だったが今は士季の補佐になり、気付けば婚姻をしていた。
とてもあっという間で、今でも覇を思い出すことがある。そんなとき側にいてくれたのは、士季だった。元姫に、郭淮殿。
ふと、胸に愛しさがこみ上げてきた。

「少し、休もう」

その愛しさを噛み締め、衣装を崩さないように静かに寝台に横たわる。横向けになり、壁をじっと見つめた。無心になるだけで、睡魔が押し寄せてくる。睡眠時間が遅いだけですぐこうなってしまう。

今頃、彼は何をしてるんだろうな。
戦闘が控える頃の軍議には顔を私も出したが、近頃は出していない。
でも、多分士季は人を小馬鹿にしているだろう。想像して笑ってしまった。

少しだけ、少しだけ眠ったらすぐ起きよう。
肩から、首から落ちて行く疲れに気持ち良くなる。それを感じながら、私は気付けば意識を手放していた。


* * *


「んっ……」

ぼんやりとした頭で伸びをする。朝の士季のように今度は手を寝台にぶつけ、呻いてしまった。じんじんとする指先を撫でながら、体を起こす。

(あれ、上に布団が……)

はっとなり、自分の文机を見る。
そこには士季が執務をしているようだった。焦りと緊張が走り、急いで寝台から起きる。「ご、ごめん士季っ……!」
「遅い! この私がどれだけお前を待ってーーい、いや、私はお前を待ってなどいない。勘違いをするなよ」
「はい……?」

士季はことん、と筆を置く。
立ち上がり、椅子を戻すとこちらへ向かってきた。何も言われないと少し怖い。
身を強張らせ、目を瞑る。
しかし何も起きず、彼は逆に私の横を通り、寝台へ腰をおろした。

「疲れた。共に寝ろ」
「私今眠ってーーあ、士季! ちょっと」

腕を引かれ、彼の胸に体を委ねてしまった。

「ば、馬鹿! ……お前は後ろを見ていろ。私の方を今見るな」
「は、はい!」

少々残念だと思いながら士季の胸から離れ、私は体を横に回す。背中が彼のぬくもりに包まれてなんとも複雑な気分になった。しかし、士季の腕が私の体を包み込む。とても優しくて、震えていた。手のひらで覆ってやれば、びくりとしたものの後からは委ねてくれた。

「暖かいですねぇ……」
「あぁ」
「ずっと寝てたのに、また眠くなってきました」
「寝過ぎだ。……だが、悪くない」