ぴんぽん、とインターホンが鳴ったのは、夕暮れの頃だった。 仕事も休み、彼氏なしの私による、あまりにも静かすぎるクリスマスの日。なんだなんだと玄関へ走る。缶ビールにおつまみは机に置いたまま。冷蔵庫さえも開いている。 「はーい」 ドアを開けると、目の前に袋が突きつけられていた。突きつけているのは、見慣れた男性。昨日も会っていたなあ、なんて。 「よ」 仕事仲間の同僚、――李典は馴れ馴れしく笑った。肩と頭にはすこし雪が積もっている。鼻や頬は真っ赤で、この寒いなか車を運転してきたのだと理解をする。帰すつもりだったけれど、わずかの抵抗。そもそも、どうしてここに来たのか。 「あの、彼女さんは」一応、控えめに聞いてみる。 「いたら、こんなとこいないだろ」 「え、すごい失礼だな。帰ってください」 袋だけ奪い取って、ドアを強引に閉めてやる。すかさず彼の足が隙間に入り込んでしまった。「いって」と悲鳴が聞こえ、私はドアノブへかける力を緩めた。手まで侵入してくる。だから、謝るまでは開けないってば! 「悪かったって。なあ、行くとこないんだよ、俺」 「……私みたいにひとりで飲んだらどう」 「あー、そうやって自虐するな。てか、それって寂しいだろ」 だから開けてくれ、と彼はドアの前で懇願をした。彼が言う寂しい行為を今まで毎年してきた私は、ようやく扉を開けた。近所迷惑も甚だしいやつだ、と肩をすくませる。同時に冷蔵庫から、ぴーぴーと時報が鳴った。「入ってて」と残して、冷蔵庫のドアを閉めに行く。背後から「失礼するぜ」と安心感を孕んだ柔らかい声が聞こえた。 「あー、美味しい、何このおつまみ」 「おっさん臭いな、あんた」 「うるさい」 李典が持ってきたおつまみをパーティ開けし、さっそく食べていた。海外のおつまみのようだけれど、甘かったり辛かったり、たくさんのナッツが入っているものだ。うーん、これは苦い。 テレビの特番を目に入れると、さまざまなクリスマスの光景が放映されていた。カップル同士、家族、子供と、ひとりで。私たちはたぶん友達の枠に入るのだろう。 隣にいる李典は時計を一瞥する。 「なあ」 「ん、どうしたの?」 「そろそろ晩飯でもどうかとな」 「あ、待って。一応材料は買ってるんだよね」 ただ、ひとりのために作るのは気が乗らなくて。そう言うと、李典はすこし嬉しそうに口元をあげた。そのまま「じゃあ」と、口を開く。 「俺のために作ってくれよ」 私は不思議と、その言葉を言うことはわかっていた。頷くと、立ち上がってキッチンへと向かった。背後から感じる何か、とは安心感か。家に誰かを呼ぶことは久しぶりだなあ。李典の好みは知らないけれど、聞く気はおきなかった。どこかで、知っている気がした。冷蔵庫の中を睨むと、事前に買い置きしていた食材がらんらんと輝いている。 戯れ言を並べたがるあの唇 クリスマスをひとりで過ごすということは、世間からみたら寂しいことなのだろうか。土鍋をテーブルに置き、考える。蓋を開く。「おー、うまそう」と李典が言うのを見て、心が暖かくなった。たぶん湯気のせいだ。 こうして、自分に嘘をつくことで快感を得ようとする。 「やっぱり料理がうまい友達がいるといいよなー」 「困ったときに駆け込めるから?」 「おう」 「うわー、正直だ。次から来るときは連絡と、あと何か供物を持ってきてよね。あと、これ食べたら帰ること」 「え、なんでだよ」 「どうせ酒で酔っちゃって、勢いで泊まるつもりだったでしょ」 家には男用の寝巻きも、歯ブラシも何もないんだから。お茶碗を彼に渡しながらぶつぶつと垂れる。反応を見たところ、聞いていない。むしろお酒をどんどん注いでいる。私は諦めの息を落とした。 テレビではクリスマス大特集をしている。きらきらとしたイルミネーションに彩られた町並みは、見ていて目に輝きを与えてくれる。脳に柔らかな刺激を与えてくれる。同時に、不意に、寂しいということを思い出させる。 「……よし」 「ん、どうしたの?」 はっと我に返り、手を合わせた。「いただきます」の合図とともに食べ始めるけれど、李典は少しのあいだ黙りこくっていた。箸にも手をつけず、顎をつまんで数秒の考えごと。 やっとのこと口を開いたのは、アナウンサーが画面の向こうでビーフを口にしたときのことだ。 「あんたは俺と付き合うべきだ」 「…………えっ」 おもわず、箸が床に落ちる。 李典の頬はほんのりと赤みをさしている。私は、――真っ赤だ。期待をしていたわけでもないし、むしろ李典とそういう関係を考えてたわけでもない。あまりにも突然すぎる告白に動揺を隠せなかった。そもそも、これが告白なのかもわからなかった。ほとんど決めつけのようなものだ。 「……好きだから、言ってるの?」 声が震えるのが、情けないなあ。 「私のことが、好きってこと?」 一拍置いて、李典は頷いた。「だから、あんたのとこにやってきた」とも。そっか、そうだったか。確かに李典ほどの男となると、他の女の子に声をかけることもできる。隣に郭嘉さんがいたらなおさら。 「ていうか、いい加減気づけって! クリスマスに女のとこに行くってだけで怪しいし、泊まる気しかないってのも分かるだろ」 そう言った李典は頭を抱えて、 「大体、連絡したら家に来てもいいよみたいな発言も引っかかるし、俺……」 と、顔をそむけ、続けた。 「友達って言われて、怒れよな」 そこまで言われて、私はようやく口を開いた。ひとつだけの疑問を抱えて。 「……や、あの、その、ごめん」 好きって言われてから、駄目、見れない。李典ってこんなにかっこよかったかな。声も私の耳に心地よい刺激ばかりを与えてきて……。友達と呼ばれて怒らなかったのは、そのときは私自身がふたりの関係を友達と思っていたからだ。連絡するなら歓迎するのも、あくまで友達だからってだけで、だ。いざこうして付き合うかの選択肢をせばまれると、私はなんとも言えなかった。答えさえもわからなかった。 そうやって、また快感を得るのだ。 「……恥ずかしい、から今日は中止。えっと、李典って何でここに来た?」 「いーや、その手には乗らないぜ、俺」 「いやいや、ほんと今日は勘弁してください。好きとか今さら気づかされても、そんな、もしかしたら一瞬の気のはやりかもしれないし」 はやく鍋を食べないと冷えちゃうよ、と言ってみる。すると、李典はあっさり身を引かせるのだった。無言のまま、顔をうつむかせて。 時がようやく動き出したようだった。テレビから流れるクリスマスソングが機嫌よく流れている。窓ががたがたと音を刻んでいる。私の心音さえも明確に、それでいて感情を高ぶらせる。 「今、す、好きって、言ったよな」 「言いましたけど……」 「き、今日は帰るわ、俺」 え、という間もなく慌ただしく立ち上がる李典。「ちょっと!」と声をかけても、振り返らない背中を見送った。なんて情けない男だ、と腹の底から湧き上がる怒りと羞恥に箸をきつく握りしめる。ここまで人の家も感情も荒らして、すこし本音を耳にすると逃げるだなんて。李典が他の女性を誘っていたとしても、その彼女をいたわるほどの行為だ。ついでに李典はチキンだと教えなければ。焼いてしまおう。 明日、いったいどんな顔で会えばいいのか。連絡先でも消してしまおうか。画面と幼いにらめっこを繰り返す。結局、何もできずに頭を抱えるのだけれども。 ――そう思った矢先、玄関のドアが開き、乱暴に閉める音がした。 「俺と付き合ってくれ、淵師!」 そう言って、私の身を抱き寄せるのは一体誰か。 「……李典」 「悪いな、情けなくって。やっぱり俺、あんたのことがずっと好きだったから、早く終わらせたいんだよ」 耳を、体中を優しく刺激する声。呆気にとられる私の顔は口をぽかんと開けたまま。帰ったと思っていたのに。そうして辺りを視線だけで見渡すと、車のキーとお酒が目に入った。 私は数十秒も外にいた李典の冷え切った背中に腕を回した。コートもマフラーも置いたままで、車のキーさえもほったらかしで、ほんと馬鹿な人だ。こんな人と付き合う女性は、大変な思いをするのだろう。毎日がうるさくて、楽しいのだろう。 私は、帰ってきてほしかった。だから、すぐに家に戻ってきて、こうして身を抱き寄せ私を必要としてくれていることが嬉しい。たくさん、鮮やかな感情が降りかかってくる。 「……クリスマス、もったいないね」 「あぁ、そうだな、もったいない」 「よかったら、だけど」 「なんだ?」 その声は、すべてを知っているような安堵とぬくもりを孕んでいた。プレゼントを待ちわびる子供のような躍動感も感じた。 「私と、今年は一緒に過ごしてほしい」 友達としてかはわからない、と付け足す。 今ここで好きというのは怖かった。告白されて、そのとき気づく感情に従うのはあまりにも不自由だ。 李典はゆっくりと顔をあげ、私から身を離す。 「最高のクリスマスだ」 と、満面の笑みを浮かべて、私の手を包み込んだ。来年もあるのだと言っているようだった。 そのとき跳ねる心臓の音を聞いて、私は答えを見つける。それを言うのは、きっと明日。言う前に、まずは男女の二人組がするようなクリスマスを見届けようと思う。 |