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陳宮

 その名前で呼ばないでいただきたい。なんて、突然言うものだから。

「陳宮、」

 間を置いて、もう一度言ってしまうではないか。
 呆れるような表情のまま陳宮殿はうなだれる。何があったのかわからない私は、うなだれたことにより近付く陳宮殿から一歩引いた。

「淵師殿はいつになれば理解をするのです」
「何をですか?」
「私のことを字で、親しき友、仲間のように呼ぶと昨日言ったではありませんか」

 昨日……?
 昨日は張遼殿と次に向かう地へ視察をし、帰ってきたのは夜頃。そのあとは天幕の中で休眠をとっていたら、陳宮殿に呼ばれて談笑を……。「あぁ!」思い出した!

「あなた、酔っ払ってたんじゃ!」

 そのとき、陳宮殿は確かに酔っ払っていた。本人に聞こえているかもしれないのに、呂布様への文句を垂らし、べつに勇姿を讃えていた。そしたら天下をとったらどうするかとかどうか、まるで夢でも見ているような感覚になって、陳宮殿が真っ赤な顔で私に「公台と呼んでくだされ」とか言ったんだ。「公台」「いいですぞ」「公台、公台」とか、うわ、恥ずかしい(そのあと大声で豪快に笑いあったし……)。

「あれは演技に決まっていましょう!」
「威張って言うな!」
「とにかく、とにかく言ってくださらねば、私は夜な夜な泣き寝入りをする次第。どうかお慈悲をくださらぬか?」
「……」

 まん丸な瞳は私をとらえる。陳宮殿はこの軍きっての話しやすい人物第一位だ。呂布様の子女はまだ幼いし、張遼殿も話しやすいのだがいささか背が高い。呂布様もだ。
 それだけではなく、互いに信じあっているのもあるけれど……。うーんと頭を悩ませ、いざ呼べと言われるとすこし緊張をしてしまうものだ。

「淵師殿」
「わ、わかりましたって」

 大きく息を吸って。

「公台、殿」

 小さく、吐いた。

「おお、おお! なんと素晴らしき響き!」
「……」
「淵師殿、感謝しますぞ」

 え、もう行くの。私に呼ばせるだけ呼ばせて、それだけですか!

「では明日の軍議にて、淵師殿」

 そのとき目を合わせてくれなかった理由を知るのは、私が一人になってから、彼の赤い頬の理由を考えてからだった。


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