于禁 「かような真似をされては、軍の士気にも関わる」と、ある日言われた。私はその日、なにか特別なことをしていたわけでもなく、ただ鍛錬場にいただけであった。そのことを李典殿との会話の種にでもしてみると、「愛されてるな」とだけ言って笑っていた。何が、とは思ったけれど、今となってはよく分かる気がする。 「淵師、淵師」 珍しい。名前を呼ばれて、まず思ったことはそれだ。文則様が私の名前を二度呼ぶなんて。というより、彼は二度同じことを続けるような人ではない。 「どうしたんですか?」 侍女の者には下がってもらい、ちょうど野菜を切っていたときだった。文則様は私の背後に立ち、こちらを見ている。日常の中でも、切れ長な瞳のせいか彼はよく恐れられている。そのことを気にしている様子はないけれど、たぶん、私が怖がったら悲しむことは分かる。 「李典殿が、お前を心配していた」 李典殿? と、久々に聞いた名前に、私が文則様と婚姻を結ぶ前までに語り合った光景を思い出す。 「下らぬ世話だが……、お前は、随分お世話になっていたようだな」 「えぇ、確かに。よくあなたのお話をしてたんですよ」 「私のことなど、話して楽しいことなどあるまい」 「いえ、とても楽しいです」 昔の私は文則様の気持ちをさっぱり理解できなかったから、彼の勘が私にいつも答えを与えてくれたのだ。 「鍛錬場で怒られたときも、目に毒だからかと思ってたんですが」 何のことかと思って疑問を浮かべる文則様が、ひらめいた表情をする。 「嫉妬を、してくださったと聞いて」 「……」 文則様は相変わらずの渋い顔で私を見た。どうするのだろう。とりあえず野菜を水へ浸し、手を布で拭いて文則様を見つめた。 「手が」 そうやって私の手を包み込む彼の手のひらは、日々の鍛錬や戦で、すっかり皮膚が硬くなってしまっている。 「日頃の礼をせねばな。感謝をしている、淵師」 私の指の腹を揉み、あかぎれをなぞる。 「……これだけ、教えてください」 李典殿に心配されましたが、なんて答えたんですか? 問うと、文則様は仏頂面で口を開いた。 「幸福に満ちていよう」 その仏頂面は、彼にとっての笑みなのかもしれない。 |