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「ふむ、淵師はあの名高き隻眼将軍、夏侯惇と……クク」
「え、どうかしましたか、太公望殿」
「いや、随分と種類が違うものだ、と。貴殿のことだ、同じ智を磨く者、……せめて、性が穏やかな者かと思っていた」
「これまた失礼なことを言いますね」
「全くだ」

背後から唸る声にはっとなり、宴席でくつろいでいた皆がその声の方を見て、凍りついた。太公望殿がある意味「智のない」とけなした相手、それでいて私の愛する人でもある元譲殿が腕を組んで仁王立ちをしていたのだ。まるで私たちが被害者みたいだけれど、正反対だ。
どことなく顔が引きつる私と、相変わらず口元に狐を浮かべる太公望殿。どちらかが口を開くべきかと彼に視線を合わせる。太公望殿が何やら自信ありげに鼻で笑った。内心ほっとしつつ、元譲殿の機嫌を取り戻してくださいと願っておく。

「これはこれは夏侯惇将軍。貴殿ともあろうお方が、この私に何の御用か」
「……俺が用があるのは、お前ではない」
「淵師に用があると? 済まぬが、我らは酌を交わし合っているところ。将軍殿よ、後にしてはいかがだ」

あああ、何を言ってるんですか!「違います、誤解です!」と必死に元譲殿に弁明。彼は太公望殿をきつく、今すぐ食い殺してしまうのではないかと思えるほどの眼光で睨んだ。さすがに余裕を保つ太公望殿も喉を鳴らしている。元譲殿は私の手首を掴むと、強引に立たせて無言のまま宴席をたった。好奇心に滲んだ周囲の眼差しが痛い。それでも私の意図を汲むことなく、彼はどこかへ歩むのだった。



「あの」と、一度声をかける。天幕の方もすっかり離れて、何もない広大な大地の上に立ってしまっていた。空気が澄み渡っていて、とても静かな場所だった。先ほどまでの熱狂的な雰囲気など、みじんも感じられない。ようやく足を止めた元譲殿は、一度大きくため息を落とす。私は彼の表情を覗こうと、「あの」ともう一度声をかけた。

「まったく、情けないものだ」

元譲殿がそう言って見せた表情は穏やかだった。ふだんのときよりも。そのまま彼の指先が私の頬を滑る。熱く、硬い皮膚の感触に心が焼けるようだった。その熱が頬に浸透したように、かっとなり始める。「元譲殿」顔をうつむかせ、名前を呼んだ。「どうした」と、低くかすれた声が頭上に響いた。

「嫉妬、したんですね」
「……いちいち聞くでないわ」

彼の言葉に、頬が緩む。撫でていたために、わずかな筋肉の動きに気付いた元譲殿は、すこしだけ微笑んで見つめてくる。

「太公望殿も意地悪でしたね。でも、誤解を招かれたのなら謝ります」
「いや、構わん。どうせお前がやつを好くことなどないのだからな」
「そうですね、私がこれからも好きなのは元譲殿だけですから」

ふたりだけの世界、というのはなんて美しいものなのだろう。私は確信をした。
今この場に作り出している世界は、置かれている融合された世界において何よりも美しいのだと。誰も入れないのだ。そして、この瞬間が恋しく思う。私は頬にあてられている元譲殿の手を掴んだ。指をきつく揉む。すると、もう一つの手が伸びてきて、それは私の腰元へと回ってきた。ぐい、と引き寄せられる体。胸にすっぽりとおさまる安心感が私を包んだ。「元譲殿」あぁ、幸せだと痛感をする。

「目を閉じろ」

言われるがまま、私は瞼を落とす。何をされるのかわかっているくせに。それなのに、何が一体私の感情を高ぶらせているのか。元譲殿の鼻筋が私の頬に触れたあたりで、すべての感覚が狂ってしまいそうになる。「淵師」と、名前を呼ばれると、音もなく唇が重なり合った。




「して、夏侯惇殿があそこまで嬉々としている、というか」
「はい」
「滑稽なほどに愉快な様子であったろうな。人の子は、そのような行為に浪漫を感じるのか」
「太公望殿はそういう感情はないのですか?」

好奇心をにじませて訪ねてみる。

「人間との愛は、稚拙で、不毛だ。ゆえに私は望まぬ。今も、だ」

そう言う太公望殿の表情はどこか憂いをおびていて。私は微笑むと、くく、と喉を鳴らして笑う彼を置いて、元譲殿の元へと足を運んだ。きっと、あの場所にいるのだ。

(それにしても、)

さっきの太公望殿の眼差し。

(どこか遠い世界を焦がれてたみたいだ)


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