近場のコンビニへ歩く途中、やっぱり帰っておけばよかったなあなんて一度思った。スカートにほんの少し染みたココアは、下にはくタイツにまで滲み、冷たくなっている。膝から風邪をひく、なんて聞いたことはないけど、今ならひけそうだ。
でも、そういうことが理由ではない。仲権の夢を聞いたことや、仲権にされたキス、それと、今こうして手を繋いでいる現状があまりにも虚しすぎる。心が満たされないなんて、そんな貪欲なことは言わない。ただ、おかしい。でも、
「手、暖かい」
なんて、まるで、本当の彼女みたいに言いのけてしまう。わたしは貪欲じゃないけど、わがままだ。断ったくせに後悔をし、あげく仲権の方からもう一度の告白を望んでいるのだ。
「お前、子供体温だもんな」
「仲権だって、子供体温でしょ」
「わ、悪いかよ。あったかくて気持ちいいだろ」
口を尖らせ、仲権はきつくわたしの手を握った。暖かい。暖かいから、涙が出そうになる。「あのさ」栓がはずれて、歯止めがきかなくなるのに。
「わたし、やっぱり帰りたい」
「え?」と、仲権は首を傾げた。思ったより近い距離に、鼓動が大きく高鳴る。
「やっぱりスカート、冷たかったよな……」
「いや、違うの」
「ん、じゃあどうしたんだ?」
「それは……」
気持ちを落ち着かせて、いろいろと頭の中を整理したい。そう告げると、仲権は一度は驚いたものの、「そっか」とさみしそうに笑った。そんな笑顔は見たくないのに。自分がしてしまった行動に、それこそ馬鹿だと責める。
「じゃあ、今から帰ろう」
「……本当にごめん」
「ま、こうしてなまえの好感度をあげるのも悪くねえしな」
笑いながら、繋いだ手にこめる力をすこし強めた。この行動にはどんな意味を孕んでいるのだろう。頑張ろう、さみしい、離したくない、そんな自己満足な気持ちばかり述べて、つい胸が高鳴る。
ふふ、と口元からこぼれる笑みに、仲権は振り向いた。ちょうど目があって、優しい眼差しだなあと感動をしてしまった。
「どうした?」
「ううん、何となく。そういえば、仲権の夢っておじさんのとこに行くんだっけ」
話題転換も含め、聞いてみる。仲権は「そうだな」と言って、何やら考えだした。
「事務とか秘書とかしなくていいから、若い女の人はいつも募集してるぜ? どうだ、なまえなら余裕で採用されると思うけど」
「えー、それはちょっと……」
あまりよくないイメージが浮かんでしまった。おじさんが働いているところだし、大きなところだから危なくはないと思うけど……。それにしても、女性だけ募集をするのは変な話だ。
一度、会社にいる自分を想像してみる。そこにいたらずっと仲権といられるのだと思うと、やはり考えてしまう。そうして黙りこくっていると、不意に仲権は口を開いた。
「じゃあ、なまえの夢は?」
その言葉を聞かれるのは仕方のない流れだった。「え」と詰まるわたしに、仲権は「まだ決まってない感じだな」と笑った。まるで予想通りと言いたいようだった。
「俺の奥さんとかどうだよ」
「そ、それは、恥ずかしい……」
視線を足元に向け、ローファーのつま先についた水の渇いた跡を見つけた。あ、ココア、ここにもついてる。そんなことを思っても、やはり仲権からの言葉をもう一度思い出してしまい、巻いたマフラーに顔を半分ほどうずめる。
「好反応だから、期待していいのか」
「……でも、それ書いたところで出せないよ、恥ずかしいし」
「はは、だな」
仲権は「それなら仕方ねえな」と言って、辿り着いた我が家を見た。ぱっと、手が離れる。
「じゃあ、またな」
そう言った仲権は、わたしに控えめに手を振る。遠慮をしているように、わたしの目には映っていた。そんな彼に手を振り返し、「またね」と笑う。うん、今日は楽しかったから笑えてる。それに笑えてなくても、マフラーで口元はすこし隠れているから気付かれないだろう。
仲権が家に入るのを見送り、わたしもすぐ近くの自分の家へ足を進めた。
どっと疲れが押し寄せてきた気がする。そうか、彼と繋がない手はこんなに冷たいんだ。わたしは仲権に告白をされたのに、断って、そのくせ心の底から好きだと思っている。赤茶色の染みがついたスカートを見て、心に押し寄せる虚しさに拳をきつく握った。それでも足りなくて、両手の指を絡めた。ぜんぜん暖かくない。自分でどれだけ強く握っても、冷たいままなのだ。
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