公園のベンチに腰掛けながら、鞄にしまいこんだままの進路希望調査書を取り出した。今日提出ということをすっかり忘れていたのだ。
仲権と無事仲直りして三日。調査書を貰って四日ということでもあり、こんな早い期間で将来を決めるのが無茶な話なのだ。今年の夏はちっとも学校の体験入学に行っていない。三年生では遅いと言うけれども、そんなものいつ行っても変わらないと思っている。なにせ、夢がそもそもないし。働きたくもない。
「なまえ、ほら」
「ありがとー。あ、ココアだ」
「好きだったよな」
今日も仲権は暖かそうな身包みだった。わたしのコートとマフラーだけとは大違い。着ているものはそんなに変わらないけれども、なにぶん仲権のものは全てモコモコしているのだ。マフラーも手袋も、色が膨張しているように見える白で、おまけに手作りだからか毛糸が広がっている。そして何よりも身長。わたしより3センチ高いはずだけれど、ローファーを履くと結構近くなる。
そんな彼はわたしの持つ調査書を見て、眉を寄せた。
「げ、まだ出してないのかよ!」
「うーん、書くことなくて」
「いやいやいや、ありえないって。司馬懿先生と司馬師会長見ただろ。なんか、こう、すっげえ怒ってた!」
「プリントの一枚も出せない凡愚めが! でしょ。多分大丈夫。明日肉まん渡しとくからさ、会長に」
自信満々に言うと、仲権はそれでも満足できなさそうにため息を落とした。横に座り、いっちょ前にコーヒーを飲む仲権だったが、ミルクたっぷりのカフェオレだった。
彼にはカフェオレがよく似合う。ほんのり甘いのに、しつこくない。それにわたしの眠気をよく覚ましてくれる(これはカフェインが原因だけれど)。
ココアは冬なイメージだ。カフェオレはなんだろう。仲権は冬より夏が好きだし、CMもよく夏にやってるから、夏だろうか。なんて彼中心的に考えてると、仲権は口を開いた。
「なあ、俺さ」
「うん」
「将来父さんとおじさんが働いてるとこ行くんだ」
「……そうなんだ」
彼の夢を聞いて、少し悲しくなった。なんでだろう、と考えて、理由はなんとなく判った気がする。ただ、その隣にわたしはいるのかなあ、なんて考えたからだ。仲権を振ったわたしがそんなことを思うのはおこがましいだろうか。そもそも振ったわけではないのだ。頭が追いついてきていなくて、今もこうやって並ぶのも緊張する。冬なのに、服の下のわたしの体はとても熱い。
「怒ってるのか?」
「怒ってないよ」
「でも、泣きそうだぜ」
仲権の腕が伸びてきて、体を強張らせる。せっかく数日経って忘れかけていたあの日のキスが、鮮明によみがえってきた。ココアを持つ手が震えてくる。彼は何もしなかった。ただ、わたしの瞳を覗いてきただけだった。その様子は、わたしが仲権と手を繋ぐのを断わったあとのようだ。
(わたし、断わってばかりだな)
いいよ、と言う勇気がない。
ぼんやりと考え事に熱心になっていると、仲権はわたしの肩に触れた。あまりに驚いてしまって、ココアが音もなく地面にこぼれてしまう。ついでにスカートについてしまって、仲権はわたしよりも慌ててしまった。
「わ、悪い! って、えっと、ハンカチ」
そう言って鞄に手を伸ばしている。制止すると、疑問の眼差しで見つめ返された。
「い、いいよいいよ! そんな、あとコンビニ行って帰るだけだし」
「……はぁ、俺ってほんと、ださい」
「気にしないでって、明日からどうせ土日でしょ」
「そうだけど……お前に頼ってほしいなあ、なんて思う、わけで」
頬をかいて、照れくさそうに彼は目線を地面へ落とした。
乾いた地面はすっかりココアを吸い込んでしまっていた。まだ残っているココアの缶を手で振ると、静かな空間に水音がやけに響く。その音を耳にしながら、仲権の言葉にだんだんと頬が緩んできていた。とても嬉しかったのだ。いつも悪いと思って、なるべく彼に頼らないようにしていた。頼りすぎると、ある日隣にいないことに涙を落とすかもしれない。きっと、仲権は優しいから誰にでも頼られているけれども、出来れば彼の頼りにもなってみたいと思った。
「ね、仲権」
「どうした?」
「手、繋いでコンビニ行きたいな」
そして、優しく微笑んだ。仲権は、わたしのほうを見て一瞬驚いた。はにかみ、わたしの手を握る。その顔は幸せそうで、きっと今わたしは彼に愛されているのだろうと思った。
だからこそ、終わらせなければいけないとも思ったのだ。
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