彼はお母さんに編んでもらった白の手袋で口元を覆いながら、はー、と息を吐いた。そして、それでも寒いのか、わたしが編んであげた(それも白の)マフラーで口まで隠した。
わたしはそんな仲権の姿を見て、理由もなく手に持つ紙(あ、これも白)を丸める。丸めたのは進路希望調査書だった。放課後貰いたてほやほやのものだ。
「ね、寒いね」と、横に歩く仲権へ何気なく呟いた。
「そうだな」
仲権はこっちを見ることなく、前を向いて歩いている。背筋をぴんとさせているのは、確か身長を高く見せたいからだとか。わたしよりも高いからいいじゃない、なんて思う。わたし基準にものを考えるのはよくないのだけれど、まあ、仲権だからいいかなあなんて。
「寒いならさ」ふと、仲権は顔を赤くして口を開いた。
「俺と、その……手、繋ぐ?」
差し出された手に戸惑ってしまった。最後に人と手を繋いだのはいつだろう。多分、お母さんか、仲権のお父さんの夏侯淵さんだった気がする。
「て、手? わたしたちって、え?」
「いっ、いやいやいや、冗談だって!」
ばっと手を引っ込ませた仲権は必死に手を振り、わたしから目を逸らす。揺らぐ瞳を見ようと彼の周りをうろちょろすると、必死に仲権は抵抗をしてきた。
挙句、肩を押されてしまう。
「……わーかったから、見ろよ、俺の顔。ほら、今日は寒いし、早く帰るぜ」
「ごめん、怒らないでって」
吐き出したくなるほど甘い雰囲気に包まれているけれど、これも悪くはない。恋人でないのが不思議なくらいだ。友達同士という言葉は本当に便利だと思う。枠に嵌めるだけで、わたしたちは発展する勇気をなくしてしまうのだ。
わたしの言葉に、仲権は「怒ってない」の一点張り。これは帰るまで喋らないつもりだ。
彼は、マフラーへ更に深く口元をうずめる。わたしには、もはや真ん丸できらきらと瞳を吸い込む大きな瞳しか見えない。その瞳が瞬きをするたびに、まるで星が弾けるように世界が光りだすのだ。
さみしい、と思いながら二人で歩いた。バッグに飾られるチャームがじゃらじゃらと揺れていた。あと、何回二人でこの道を通るのだろう(と言っても、一年後もここを通っているのだ)。学校に入学して、二年の冬。既に冬は過ぎ去る準備をし始め、春が訪れるのは近い未来のことだ。
わたしは、進路希望調査書を開いた。昔、同じ折り紙で紙飛行機や鶴を折ったときのように、亀裂のようなしわが調査書に入っていた。
「なあ」そこに、意外と口を開いたのは仲権だった。
「書くこと決まったのか?」
「ううん、まだ。書くことがないからね」
「そっか」仲権はまた押し黙った。
彼は何を書くのだろう。小学生のときは仲権の夢はスポーツ選手だった。中学では弁護士(ドラマの影響らしい)で、高校生は――。
「――身長が伸びること、とか?」
「えっ、俺のことじゃねえよな」
「仲権のことだよ」
「なんだよ、気にしてるんだぜー?」
笑いをにじませながら、仲権は頬を掻いた。
「高校生の夢なんてさ、夢のまま書いちゃえばいいんだよ。わたしたちには未来のことを考えられるほど、人生を経験してないもの」
「悟ってるなあ」
肩をすくませる仲権を横目に、わたしは思っていることを舌を噛まずに言えたのに感動していた。
今言ったことは、本心から思っていたことだった。まだ、わたしたちは人生の醍醐味である恋愛もお金の稼ぎ方も、何も経験していない。高校生活は夢の集大成だけど、その夢を深めるために集大成を一回味わうのだ。ちなみにわたしはその夢をまだ経験していない。主に恋愛面。
「でも、なまえの言うとおりかもな」
「うん?」
いつもより真面目な声で、彼はわたしの名前を言った。わたしの方へ体を向け、温かい指先がわたしの冷たい指先に触れる。指先が熱を持ち始めたのは、きっと、彼が温かいからだ。多分だけど、普段より低い声のトーンにときめいたからではない。じんわりと、沁みていく温もり。
「俺の奥さんって、書いてくれよ」
「――え?」
その温もりは、体全体を駆け巡った電流によって、かき消された。思考がゆるやかに止まり、わたしは、ただ口を開いただけだった。重なるのは、彼の柔らかい唇。道路の真ん中で大胆な奴だ、なんて思うことはない。胸から湧き上がる感情に、わたしは彼を突き飛ばしたのだ。残されたのは、仲権とわたしの進路希望調査書。それと夢の一かけらの恋愛ごとだ。
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