10000企画 | ナノ


▼ 僕らまるでふたりぼっち

彼の室はいつも竹簡に溢れかえっていた。そのくせ性格からか、彼は誰へ渡すかをしっかりと分けているし、書き上げたものや推敲しなければならない物にもきちんと赤点をさしているのだ。とくに竹簡などもない殺風景な私の室よりも綺麗かもしれない。こう言うと不自然だが、人が活発に生きているように感じるのだ。

既に夜を回る頃、本日も陸遜の執務室へとやって来ていた。呂蒙殿が、最近彼が働き詰めだと、助言のようなことをしてくれたからだ(べつに助言をされたから来たわけではない)。理由があると、やはり向かいやすい。婚姻前の恋人である立場としても、なかなか仕事中は邪魔をしないよう近寄ることができない。寂しくは思うけど、仕方がないと言い聞かせている。有望な若者と言われている以上、ときおり時間を作って会えること自体奇跡なのだ。

「陸遜、今いい?」

扉の前で声をかける。返事はなかった。なんとなく予想ができていたため、私は肩をすくませた。集中しているのかな、寝ているのならいいけど……。適当な想像をしつつ、差し入れにと持ってきた夜食と共に入室する。扉を開いた先には、前日より少なくなっていた竹簡が、それでも積まれていた。
若輩者だ、と陸遜はよく自分を責めている。だから人一倍頑張るのだろう。そんな一人での想像で、胸が締め付けられた。

「陸遜……?」

彼は机に突っ伏し、眠りについているようだった。さらりとした栗色の髪が文机に広がっている。こんな夜更けに、寒そうだ。衣服をいくえに重ねている私でもそうなのだ。申し訳程度に、近くにあった掛け布を肩へかける。それにしても、疲れているのならいっそ寝台で眠った方が……と言っても、見た限り執務の途中で寝てしまったのだろう。机に夜食を置き、肩を揺する。何度も名前を呼んだ。

「……ん、なまえ……?」
「陸遜、起きて。こんなところで寝ると風邪ひいちゃうよ」
「駄目、です。……あと少し、したら寝ますから」
「あー。そう言いながら瞼を閉じてるじゃない」

とりあえず陸遜の体をぐいぐいと引っ張る。彼の腕を肩に乗せて、寝台へと運ぶ。さすがと言うべきか、私にも運べる重さとは。筋肉もついてるくせに。運べないほど重たいわけではないのが憎たらしい。……と、思う反面、最近食事すらちゃんとしていないのではないかと不安になる。そういった彼の健康状態に気づけないなんて、自分の馬鹿さ加減に呆れそうになる。

顔を少し横へ向け、陸遜の顔を見る。幼い面立ちの彼が、幸せそうに眠っていた。
母親のような気持ちと、恋人としての愛おしさを噛み締め、彼を寝台に敷いてやる。そのまま上から布団をかけようと、足元でぐしゃぐしゃになったそれに手を伸ばすと、その腕が突然引っ張られた。とん、と彼の胸に体を委ねると思いきや、ゆっくりと横に並べさせられる。

「なまえ、会いたかったです」
「りり、陸遜、起きてるの?」
「……あなたに運ばれたら、さすがに起きてしまいます」

じゃあ、さっき幸せそうに眠っていたのは芝居だったのか。もしかしたら漏らしてしまった笑い声も聞かれていたかもしれない。恥ずかしさで顔が熱くなる。彼がそういういたずらを仕掛ける人ではないと思っていたからこそ、意外なのだ。陸遜は私と向き合い、まだ眠そうな眼差しで見つめてきた。
わずかに見える熱っぽい瞳は、視線を重ねるのさえつらい。早鐘する鼓動は止まる気配もなかった。

「なまえが来てくれる日を、私は毎日待ってるんですよ」
「忙しくないの……?」
「まさか。あなたが来てくれるなら、こんな仕事、苦でもありません」

陸遜は私の髪を耳にかけると、目を細め笑った。こんな愛らしい笑みを浮かべる彼が待っているなら、私は毎日執務室へ行く。
「ごめんね」と、今まで毎日寄れなかったことに対して謝る。「いえ、お気になさらず」と、陸遜は微笑む。彼と喋る回数が減っていたから、この時間が大切な時間だと思える。指先まで熱が走るのだ。

「もう少しなまえと喋っていたいですが……眠たくて」
「寝ていいんだよ、陸遜」
「……あの、なまえ」
「うん?」

陸遜は頬を染め、恥ずかしそうにこちらを見つめた。この表情だけ見ると、まるで子供、いや、女性かもしれない。まして眠いからか目尻に涙がたまっていて、視界が眩んでしまう。れっきとした大人で、戦場では殿や呂蒙殿に見込まれる軍師の一人でもあるのだけれども。そんな彼のこんな表情を見れるのは私だけなのだ。心の中で自慢をしておこう。
彼の髪を撫でながら、口を開くのを待つ。陸遜は一向に口を開かない代わりに、髪を撫でていた私の手を優しく手のひらで包み込んだ。重ね合い、あどけなく指を絡ませると、陸遜はとうとう顔を真っ赤にして俯いてしまった。あれ、どっちが女だったかな。そう思うも、私の鼓動は既に止まるのではないかと思うぐらい高鳴っているため、うまく思考が回らない。

「陸遜……」
「あなたとこうしたかった、から。あぁ、すみません……」
「は、離さないでっ、ほしい!」

離されそうになった手をぎゅっと握ると、陸遜は赤く染まった頬のまま私をみようと顔を上げた。

「嬉しい、です……!」

陸遜はそう言って私の方へ体を丸め近寄った。同じ枕を並べて、指を絡め合い彼は目を閉じる。先ほどよりも近くなった頭を、空いた手のひらで撫でた。

「いつもお疲れ様、陸遜」

そう言うと、陸遜は目を閉じたまま嬉しそうに微笑んだ。その表情を満喫すると、太ももの上にある布団を引っ張り、私は二人の上にかける。

「おやすみ」

額に口付けを落とすと、私は夜食そっちのけで彼と同じように瞼を閉じた。



朝起きて、指先は繋がれたまま彼に口付けをされてしまうのは、これからの日常となりそう。




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