10000企画 | ナノ


▼ おやすみまたね


最近知り合った子は、俺と同じように絵に親しむ女の子だった。街に出たとき、誰とも関わろうともせずに一人で黙々と描いていたのが彼女だった。俺はみんなと和気あいあいと描くのが好きだから、そこだけが彼女とは違うなと思った。そんな彼女の作品は、俺の心を奪っていた。墨しか使っていないのに、まるでそこに色があるように描かれているのだ。「すごいね」と単調な感想を述べると、なまえはえくぼを見せて「ありがとう」と笑った。


「ねえ、なまえ。どうして他の子と遊ばないんだい」

今日も今日で、たくさんの子供に囲まれて疲れたため、なまえの近くに立っている木陰で身を休ませた。尋ねられたなまえはすこし間を置いて、「関わりたいけど、いつか忘れちゃうから」と言った。

「どうして? 忘れないよ。だって、ここからいなくなるわけじゃないでしょ」
「いなく……なりはしないけど、でも、私……」

言葉に詰まるなまえに駆け寄り、彼女の頭を撫でると、そのまま視線を作品へと向けた。今日の作品はほとんど色の違いが見分けられない作品だった。風景をなぞる線もほとんど繋がっておらず、まるで目隠しをしながら描いたようだった。そして、その考えに息をのむ。

「なまえ、もしかして、目が」

そうだとしたら、こんな若い子になんて痛々しい現実だと己の健康を恨んだ。
できれば否定をしてほしい。そうして笑ってほしい。でも、なまえは黙ったままその瞳に涙を浮かべた。肯定という意味であった。





「なまえ、今日はお花を持ってきたよ」

その日から、俺は時間が空くたびになまえの家へ足を運ぶようになった。外に出ることもままならないなまえは、あの日以来家にいるようになった。俺がよく身を休ませた木のすぐ近くの場所だった。
ときどき母親に容体のことを聞き、目以外は至って健全だと聞くたびにほっとした。そして手土産を渡し、なまえには別の、――視覚以外で親しめるものを持って行った。

「わあ、すごい甘い匂いがする」
「そうでしょ? 城の庭で植えられてたのを、貰ってきたんだ」
「そうなんだ。これ、どんな色をしてるの?」

なまえは俺が持ってきたものに対し、いつも姿形、色を聞いてきた。本当は聞きたくないのではないかと思ったが、なまえ曰く「想像で楽しむ」と言った。彼女の中の世界では決して雨は降らない。お花はいつも満点に咲き誇り、雲はゆるやかに動き、すこし洒落た城が建っていて、みんなが仲良くしているそうだ。

「花の色はね、白と、桃色だよ」

花の名前は知らないけど、女の子が好きそうな可愛らしい花だった。花びらが小さくて、匂いも甘い。

「なまえの今着ている服と同じ色だね」
「そうなの? じゃあ、きっとその花を気に入るわ、私」

なまえの部屋にある花瓶には水が張られている。そこに花をさすと、なまえは楽しそうに微笑んだまま黙り込んでいた。
彼女はしばらく寝台に座ったままだそうだ。母親も仕事に追われているため、あまり外には出掛けられていないらしい。家の中での行動は目が見えなくとも、あらかた手が覚えている。ただ、外のことに関してはわからない、とのことだ。

俺は母親になまえと出掛けていいかを聞いた。「将軍様にそのようなこと、申し訳ない」と身分とか立場とか言って一度は断られたが、無理に頼み込むと、ようやく折れてくれた。まだ日は浅かった。今からなら、多少遠くへ行っても、夕暮れには帰ってこれることが容易に想像ができた。

「じゃあ、なまえをすこしお借りします。お母様こそ、すこし休まれたらどうでしょうか。お疲れ気味のようですよ。晩御飯も俺がなまえに出しますので、どうか、今日くらいはご自愛してください」

そう残して、なまえの部屋へ入ると、「どうしたの?」と聞かれた。

「俺と、お出掛けするんだよ!」

と、返す。するとなまえは、わっと盛り上がり、よほど嬉しいのかその場で跳ねた。やっぱり子供は好きだなあ、と思う反面、彼女には俺と似た暗さがあるのだと理解をした。


なまえとやってきた場所は、この村からも遠くはないお花畑だった。ここは劉備さまがやってきたときに、城のものに手配をさせ、色とりどりの花を植えさせたとっておきの場所だ。なまえなら来ているのかとも思ったが、「もう覚えていないわ」と返され、代わりに俺は彼女の手を強く握った。
馬には乗らなかった。危ない、ということもあった。けれど、それよりもなまえに地面を踏みしめる感動や、村の人々の賑わい、すべての感覚を噛み締めてほしかったのだ。

「ほら、そこ歩いちゃうとお花を踏んじゃうから、そうそう、ゆっくり来て」

なまえにお花を踏ませないよう慎重に手招きをし、まんべんに花の香りが漂う深い場所へと誘った。

「えー、どこだろう。楽しみだなあ」

と、まるで答えを知っているようになまえは笑うので、心が満たされたような感じになってしまう。俺よりも幾分か小さい彼女の方が、よほどの苦労をしている。別に同情をするわけではない。むしろ同情をしたところで、なまえがひどく悲しむだけだ。だから俺はなまえと友のように接した。それこそ同情なのだと、若に言われるまでは気が付かなかったが。

「よし、ここだよ。ほら、座って」

近くに梅の木が立っていて、その細い木陰の下でなまえと俺は座り込んだ。ここくらいしか花のない場所がない。どきどきしていた。喜んでくれるだろうか。

「すごい自然の音がするでしょ?」
「うん」
「それに、匂いもいいし」
「うん」
「どう、最高?」

なまえはすこし間をおいて、「最高!」と叫んで俺の体に飛び込んだ。
それからはなまえが手に触れた花の色をすべて答える時間へ移った。

「現実でも、こんなに綺麗な場所があるんだね」

どうやら彼女の世界にもこの景色を搭載しようとしているらしい。

「ねえ、この花は何色?」
「それはね、赤色……あ、でもすこし橙がかってるよ」
「じゃあ、これは?」
「うーん、なんだかね、青と赤を混ぜた感じ」

一つひとつ答えるのは多少大変なことでもあった。でも、答えるたびに浮かばれるなまえの笑顔に俺まで嬉しくなるのだから、きっとこれは素晴らしい時間なのだと思った。やがてなまえは疲れてしまい、眠そうにあくびをした。

「他に聞きたいこと、ある?」
「ある、けど……」
「もう、今さら遠慮はなしなし! なんでも聞いてちょうだいよ!」

そう答えると、なまえは小さく唸って、俯いた。

「馬岱さんの顔を、忘れたくないの」
「……うん」
「だからね、頬に触れて、形を確かめていいかしら。目は閉じてていいから、輪郭をなぞって……」

ずいぶんと大人びたことを言うようになった、と思った。でもそれは当たり前のことだった。なまえと出会って結構の月日が経つのだから。

「いいよ、ほら、ここが俺の顔」

細い手首を掴んで、俺の顔へ案内をする。なまえより俺の方が知る彼女の顔を見ながら、頬をまさぐられるくすぐったさに耐えた。どんな気持ちで触っているのだろう。不意にそう思った。同時にごめんねとも謝った。
毎日こうした行動ばかりしているから、気付けば彼女にとっての家族は俺になってしまっているのだった。それに気付くには遅すぎた。

「あ、ここ髭」
「髭はお嫌い?」
「ううん、憧れてたわ」

そうして、なまえはしずかに俺の顔から手を離した。

「私、こういう生活をして嫌だと逃げたくなったことはあるけど、逃げなかった」
「そうだね、偉いよ」
「でも、今はすごく逃げたい。馬岱さんの顔が見れないのは、つらい」

そうして涙を落としながら、なまえは俺の胸にすり寄った。頭を撫でて、「大丈夫」と言い聞かせる。お願いだから涙なんで見せないでよ、とは言わない。俺も泣いているのだから。ただ彼女に気付かれない涙ってのも、かっこいいんじゃないのだろうか。

「あのね、なまえ」
「うん……」
「俺の内面を一番知ってるのはなまえなんだよ。いわゆる、俺の特別な女の子ってこと」

これは本心からの言葉だった。
震える肩を抱き締めて、そのまま後ろにある木にもたれた。

「だからなまえってすごいんだよ。俺の本音を知る人なんて、俺となまえだけなんだから!」

それってなんだが浪漫的じゃない?
なまえの目尻から流れ落ちる涙を指の腹で拭って、問いかけた。すっかり涙のせいで赤くなった目元だけれど、相変わらずのえくぼを覗かせ、頷いた。

「いつか馬岱さんと絵を描きたい。私、字なんて書けないけど、絵なら、描けるから」
「そうか、じゃあ、次の目標ができたね。俺もなまえと楽しい絵を描けるように、たくさんのお話と紙、持ってくるよ」
「うん、約束」

なまえはどこにあるか分からない不安に耐え忍びながら、俺の両頬を挟んだ。そのまま顔が近づいてきて、こん、と互いの額がぶつかったのが分かった。

「……約束」

言い聞かせるように、俺もつぶやいた。
なまえの心の中の暗闇を悟る余裕はない。俺もこうして毎日を生きるたびに、暗闇が深くなっていく。
ただなまえのえくぼを見せる微笑みだけが癒しで、いつか天下が平定されたら、そのときは急いでなまえと暮らすことをお母様に願うことだけは、はっきりしていた。

立ち上がって、服についた土を払う。ぎこちなくなまえの柔らかい手が俺の手に触れたので、そんな緊張をほどくように優しく握り返した。

「ほら、手を繋いで競争しようよ!」

お花は踏まないようにね、と付け足すと、「無理だよ」と笑いながらなまえは俺よりも早く駆けて行った。その背中は、誰よりも立派だった。





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