10000企画 | ナノ


▼ 何度まばたきをしても

さっ、と筆を滑らせ、これで間違いはないかと何度も推敲する。記録を録るだけといえど、仮に名前でも間違えれば曹操殿に何をされるか。ただでさえ、このまま記録係止まりかもしれないのだ。

ため息を落とし、墨を乾かすために格子窓の方へ竹簡を並べた。新しく書き出すため、筆をとり、肩を鳴らす。

そのとき、とんとんと扉を叩かれる音がした。誰だろうか、もしかしたら李典殿の功績自慢が始まるのではないか。内心焦ったものの、仕事を少し休憩したかったため、安心もしてしまう。

「入るね?」
「なまえ殿……!」

開かれた扉の向こうには、常日頃会いたいと思っていたなまえ殿が立っていた。彼女とは同じときに仕官し始めたものの、違う職種にあてられ、空いた時間でしか会えなくなっている。それを寂しいと口出したことはないが、正直、いつも隣にいてもらたいと思っていた。
立ち上がり、その扉の向こうにいるなまえ殿を迎える。手をとり、室内へ招き入れた。

「だ、抱き締めてもいいですか」
「えっ? あっ、いいよ」

許可を貰うと、優しく抱き寄せる。すりすりと胸に顔を押さえつける彼女がとても愛しい。私の鼓動が早すぎていないか、だとか、いろいろ心配になってしまう。
なまえ殿の柔らかい髪からは大好きな匂いがする。いつも木の下でお昼寝をしていたり、昼頃に食べるのは必ず桃だからだ。甘くて優しい匂い。

「このままこうしていたいです、なまえ殿」
「……私も、楽進さんは暖かくて離したくないな」
「恐縮です」
「ふふ、恐縮です、なんて言うから笑えてきちゃったよ」

身を離すと、彼女はくすくすと笑っていた。これが郭嘉殿が言っていた恋というやつなのだろう。胸がぎゅうと締め付けられる。
つられて笑うと、それはとても暖かい雰囲気に包まれた。
しかし、これ以上何を喋ったらいいのか分からない。えっと、と言葉が詰まる。思考が止まったように、息も止まった。

「い、生きてる?」
「は、はい!」

そっか、となまえ殿は笑う。彼女に手を引かれ、寝台へ腰をおろすよう指示をされた。よりにもよって、今日に限って布団を整えていない。決して手を出すわけではないが、さすがに女人にこんなぐちゃぐちゃな布団を見せるのはーー。

「楽進さん?」
「あっ、いえ!」
「ごめんね、その、疲れてるのに」
「違いますなまえ殿! 私はただ、あなたに会えて嬉しくて……」
「が、楽進さん……?」
「あああ、す、すみません!」

咄嗟に手を繋いでしまった。
目の前で顔を真っ赤にするなまえ殿に、私も赤くなる。手を離そうとすると、そっと彼女は包み込んでくれた。
穏やかな眼差しに、とらえられる。

「文謙、さん」
「なまえ殿……?」
「わっ、や、やっぱり今の駄目! 聞かなかったことにして!」

どす、と胸に顔を埋められる。
きっと恥ずかしさゆえにした行為なのだろうけど、これは、些か恥ずかしい。彼女の背中に腕を回すべきか、ええと、どうしたら。
とりあえず、なまえ殿の頭を撫でてみる。やがて静かになってくると、彼女はその行為に身を委ねてくれた。

「なまえ殿、顔をあげてください」
「楽進さん……」

上気した頬に熱のこもった瞳で見つめられる。訳も分からずくらくらとした。なまえ殿は本当に傍にいて幸せにしてくれる人だ。緩やかに微笑み、彼女の唇にーーと思ったが、やはり出来ることなく、頬へ口付けた。

「もっと、精進します……」
「わ、私も頑張るね」

顔が離れ、互いに体を向け合いながら、顔を俯かせる。鼓動が鳴り止まない。きっと、なまえ殿もそうだ。

彼女の指先に触れると、あどけなく、柔らかく笑っている。こぼれおちそうな頬はなまえ殿が大好きな桃みたいだ。

「私が文官から武官になったとき、あなたを一番槍で守ります!」
「ありがとう、楽進さん。ずっと、隣を空けて待ってるから」

そう言って、彼女は私の胸へとんと頭を預けた。



(心臓はあなたに従順)




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