10000企画 | ナノ


▼ いっそ愛してしまいたい

「そろそろ退いていただかないと、俺が曹操殿に怒られるんですがね」
「嫌」
「そうかい」

まったく、どこでこんな躾をされたんだ。と、思ったものの躾をしているのはあの曹一家。曹操殿に寵愛され、曹丕殿と奥方の甄姫殿からは溺愛。夏侯惇殿にはいけすかない奴と、彼女は思われているようだ。
なまえ殿は俺よりも一回り、二回りも歳も体も何もかもが小さい。そんな彼女は執務をする俺の後ろに椅子をわざわざ持ってきて、すっかり邪魔をしていた。可愛げなんてものは、もちろんない。

「あ、夏侯惇殿」
「えっ、賈ク、私を隠して!」
「あははあ。嘘ですよ、なまえ殿」

からかうと頬を膨らまして、こちらを睨んできた。なんだその顔は、むしろ睨みたいのはこちらなのに。ため息を落とす俺のことはどうでもいいと言わんばかりに、なまえは俺の髪を弄り出した。髪ばさばさだね。ま、そうでしょうね。なまえは弄る手を止めた。
突然静かになるものだから、違和感を感じる。

「ねえ、賈ク」
「はぁ、なんですか」
「婚姻」
「しませんよ」
「してよ」

どうして、国を統一する一族の娘と、その父に仕える俺が婚姻せねばならないんだ。よほどの実績と信頼がなければ、仮に曹操殿に「娘さんと婚姻します」と言っても「やらぬ」の一点張りに違いない(もちろん息子夫婦にも揃って拒否される)。確かになまえぐらいの歳になると、不安はあるだろう。見ず知らずの男と政略結婚させられるのだ、いつか。むしろこの歳にもなってさせられないのが不思議だ。

「俺は曹操殿にそこまで気に入られてはないですしね」
「じゃあ、可愛い女房候補のために気に入られてよ」
「あははあ、ほんと、手加減ない女房候補だ」

今の言葉は本心からだ。いくらなまえのためといえど、曹操殿に気に入られるのは難しい。打算的な考えは良くない、と綺麗事が大好きな彼女はよく言った。ちなみに、これは打算ではない。
筆を片し、なまえの方へ体を振り向かせた。久しぶりに顔をみた気がする。と言っても、少し前に見たばかりだ。明るく入室してきたくせに、彼女は今では視線を落としていた。

「知らない人に嫁ぐの嫌だもの」

だから、そうやって淋しそうに俯かれても、俺には効果はない。ないのだが、口は勝手に動いてしまった。

「なまえ殿がもっといい女になったら、迎えにきますよ」

おまけに、手も動いてしまった。なまえの頭を撫でてやる。俺とは違う、つやつやの髪はよく指を通す。その度に、歳の差を痛感するのだ。

そうだ、歳の差さえなければいい。
きっとなまえがいい女になる頃には、俺は老いぼれになっているのだろうか。

「嬉しい……。やっぱり、賈クは昔から変わらないわ。私、だからあなたを好きになったの」
「んー、あんた俺の心読んだか?」

意表を突かれて、正直驚いている。
なまえは年相応のあどけない笑みを浮かべると、俺が頭を撫でている手を掴み、暖かい手のひらを重ねてきた。
柔らかい肌は、昔とよく変わった。どんどん成長してきている。

「私、いい女に、なるわ」

そう言って、なまえは白い歯を見せて笑った。その笑顔は反則だ。これでは、言わなくてはならないではないか。

「いい女になったら迎えにいくと言ったが……」



「なまえ殿は十分にお綺麗だ。あははあ、世辞だと思っておいでで?」

そう言ったら、なまえは顔を真っ赤にして、やはりまだまだだな、と心の中で笑ってやった。





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