▼ くだらない恋をしよう
ねえねえ、何してるの? と、優しい手つきで肩を触れられる。そのまま背後から私の腹部まで腕を回し、見た目とは反して子供のような行動を馬岱殿はしてくる。背中に顔をうずめられ、くんくんと彼が私の匂いを堪能するたび私はくすぐったくて笑うのだ。馬岱殿が「いい匂いだね」と言うと、眠たそうな声を出して私の体を彼の足の間にすっぽり飲み込ませてしまった。彼のすこし柔らかな頬が、背の上にのしかかっている。包まれるような重さで心地よい。
「んー、このまま眠ろうかな」
「馬岱殿ってば、風邪ひきますよ」
「ひかないひかない。だって君って暖かいし」
そう言った馬岱殿はすこし抱き締める力を強めて、私の空いた両手は彼のたくましい腕に重ねていた。私の文机の前での出来事だ。筆は彼が来たときから放られている。
差し込む陽射しと背中や腹から伝わる温もりに私は幸福を感じるのだ。この窓から神様は私たちの行いを見ているのだろうか。あと少ししたら執務を再開するから、今だけは見逃していてほしい。馬岱殿の腕から手の甲、指をなぞり、当たり前のように絡ませた。
柔い皮膚の下には私に焦がれている恋心が潜んでいる。
「なまえちゃんさ、ちょい休憩しない? ううん、した方がいいよ」
「でも、少しで終わりそうですから」
「えー」
と、言いつつも筆は放っている。
後ろで頬をぐりぐりする馬岱殿の行為に頬が緩んでしまう。これはある意味試練だ。このまま流されたら私の負け。だから流されないように厳しく挑まなければ。
馬岱殿から手を離し、筆を持つ。その手が掴まれる。「馬岱殿」ときつめに言うと、悲しそうに手が離れたので一瞬負けそうになった。
「今死んじゃったらどうするの、なまえちゃんは」
「死にませんから。ね?」
「俺は一秒でも君と過ごしたいんだよ」
「……過ごしてますって」
「俺のこと見てくれてないじゃない?」
「女々しいことを言ってないで……、あの、これさえ終わればずっと隣にいますから」
「ずっと?」と言われたときには遅い。馬岱殿は満面の笑みを浮かべて、私を離すまいと抱きしめる。
「じゃ、もう執務はおしまい!」
「えぇっ、でもこれがまだ」
「これは俺が諸葛亮殿に頼んで他の人にやらせるから、君の仕事はなし! いいよね?」
彼に言いくるめられ、内心私も嬉しく思っていた。この竹簡を任せられる人にとってはいい迷惑だけれど、馬岱殿に流されよう。
文机の前から少し腰をずらして、私は馬岱殿と向き合った。
「じゃあ、何しますか?」
「俺の言うこと聞いてくれる?」
「今さら抵抗しませんよ。ずっと、隣にいますから」
そう言うと、馬岱殿の手が私の頬を優しくなぞり、彼の顔が密やかに近づく。
「そうだね、ずっと、一緒だもんね。俺たち」
言い聞かせるような、低めの声で囁く馬岱殿の唇に触れる。すぐに離れてしまったけれど、「もう一度」と言って、今度は真っ正面から抱きしめてくれた。これから過ごす時間は長そうだ。たぶん、遠乗りにでも行くのだろう。
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