10000企画 | ナノ


▼ まずはとびきりのキスをしよう

さりげない一言で傷つけたのだと思う。

私の古くからの友達で、同じ人物に仕えるようになってからようやく恋人へと発展した楽進殿と最近喧嘩をした。理由は私たちにとって深刻なものだけれど、李典殿いわくのろけ話すぎるだろ、とのことで。
私が楽進殿に放った言葉は「恋い慕う人とずっと傍にいられるなんて、幸せですね」と、なんら意識もなく言ったことだった。知り合いが少し前に婚姻を結んだからだ。別に自分自身焦ってはいなくて、本心から彼女の婚姻を祝福したつもりだった。それにどちらかというと楽進殿に振ったわけでもなく、独り言の部類に入るだろう。
しかし、楽進殿は「すみません、あなたを幸せにできていなくて……」などと落ち込んでしまい、それからはなにを言っても「私が不甲斐ないのです」の一点張り。そのまま朝を迎え、今に至るのだ。


「あ、見つけた」

宮内を歩いていると、背後から声をかけられる。よく見知った声に内心嫌な予感を感じ、私は振り向いた。ひらひらと手を振っている男が一人。さすがに戦場でもないからか、いつもと違う軽装に違和感を感じた。

「李典、殿」

絞り出してようやく放った言葉が情けなく感じた。彼の能力が私にもやってきたのか、勘が悪い悪いと囁いてくる。きっと李典殿が話すのは楽進殿のことだろう。どうしよう、私を探していた様子だから何か話があるというのか。

「楽進のやつがあんたのこと探してたぜ」
「……そうですか」
「なんだよ、無愛想だな」
「すみません、あの、ありがとうございます」
「……まあ、いいけどよ。とりあえず行けよ、あいつ、あんたの室にいると思うから」

用件だけ伝えた李典殿は「じゃあな」と言って、すぐに立ち去ってしまった。置いていかれる私は廊下の真ん中で立ち尽くすだけ。あいにく、仕事は昨日にすべて片付けてしまった。話を聞く限り、楽進殿は私の室にいるようだ。足取りが重く感じる。それでも、自分の些細な言動に謝らなければならないと、足を進めた。


「あの、失礼します」

って、この室って私が普段使ってるじゃないか、と肩をすくませ、扉を押す。椅子に腰掛けている楽進殿の姿を真っ先に見つけた。彼は音に振り向くと、こちらを見て頭を下げる。昔から変わらない癖だ。どんなときでも丁寧で、見た目からは想像できないほど平和的思考で繊細な人。この人を傷つけたのかと少し心が痛くなってしまった。

「すみません、待たせちゃって」
「いえ、私の方こそ伝言などと……」

楽進殿は立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。何をするのかと様子を伺っていると、なんと私の肩へ手を伸ばした。何事かと驚く私の心臓は大きく跳ね上がる。なんだ、なんだなんだこれは。そのまま優しく抱き寄せられ、彼の鼻筋が私の頬をくすぐってきた。声帯が奪われてしまったように、声が出ない。呼吸さえも止まりそうだった。抱擁なんて、恋人同士なのだから普通にするのに。

「昨日の言葉を聞いて、なまえ殿を幸せにさせたいと思ってしまったのです」
「楽進、殿」と、意味もなく呼ぶと、「しかし」と遮られる。
「私にはその術がわからないのです。……それで行動を、と思いまして」

そう言った楽進殿は私の腰へと手を回し、まるで、そうだ、愛し合う者同士が行うように自然と寝台へ運ばれる。組み敷かれた私の上に、体重をかけないよう丁寧にのしかかる楽進殿の姿。殺しにかかっている行為。何か言おうにも声帯は奪われたまま。瞳を閉じて、次の行為を待つしかできないのだ。僅かに感じる期待。そのくせ、いやというほど私の胸を蝕んでくる。

「なまえ殿は、こういうことはお嫌いですか」
「……あ、の、」

その言葉にきつく胸が締め付けられる。すっかり火照った頬に唇があてられた。楽進殿の名前を呼んでみたけれど、きっと苦しそうに言ったに違いない。それでも嬉しそうに彼は耳元で笑うと、顔をこちらへ向けて「なまえ殿」と柔らかな声音で名を呼んでくれる。
……こういうのは反則だと思う。いつもと違う楽進殿の眼差し。昔馴染みであり、恋人へ向ける優しいものではなく、一人の男としての瞳。双眸は私をしっかりと捉えると、そのまま温度を唇から直に伝えるのだ。触れるだけなのに離れた瞬間に惜しくなる熱。

「私はあなただけを幸せにしたい。そんなやましい気持ちを、どうしたら」

あぁ、やっぱり彼は卑怯だ。もどかしい気持ちを噛み締め、私は頷く。

「幸せに、してください」

昨日の言葉の謝罪も含め、私は言った。すると、やはり楽進殿は私の言葉に嬉しそうにころころと笑うのだった。私はその笑顔だけで幸せになれるのに。今は言わないでとっておくこの言葉は、二人にとって同じ思いなのだろうと愉快になって微笑んだ。




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