10000企画 | ナノ


▼ それがあなたに捧げる唯一

馬岱さんが絵を描くときの背中が好きだ。たくましくて、凛としている。戦場に立つときの馬岱さんの背中も好きだけど、その時とは安心感が全然違うのだ。みんな生きるか死ぬかの瀬戸際にいるから、よほどのことがない限り戦場では会話なんて交わせない。でも、描画するときには誰も命を狙わないのだ。私も、安心して彼をずっと見ていられる。

馬岱さんには、意外と睫毛が長かったり、驚いたらまばたきが多くなったり、たくさんの発見があった。一つ知ると十の愛情が募って、百の行動で彼は愛を示してくれる。

「馬岱さん、馬岱さん」
「んー、どうしたの?」

たくましい背中に抱きつき、彼の胸元で腕を結ぶ。あぐらをかいて馬岱さんは絵を描いていた。墨を足し、紙に一本線を引く。ときどき絵を描くために体を傾かせるのが面白い。首元に顔をうずめ、くんくんと匂いを嗅ぐ。彼の柔らかい髪の毛がときどき鼻をくすぐるから 、むずむずする。

「馬岱さんの匂い好き」
「それは嬉しいねえ」
「いつも墨の匂いがする。それに、ときどき馬の匂いや自然の匂いがして楽しいの」
「匂いで楽しめるなまえちゃんは優しい子だね! 俺も、君の匂いがとーっても好きだよ!」

そうやって、言葉をわざわざ溜めて言ってくるのが好き。可愛らしい物言いに柔らかな笑顔。癒されてしまう。馬岱さんは筆をことんと置くと「よいしょ」と漏らして、私の方へ向かい合った。

彼の手がにゅっと私の方へ伸びる。なんだ、と思った矢先、流れるように私の髪を撫で回してきた。ときどき前髪を掻き分け、その節くれだつ手が頬を撫でてくれる。

「なまえちゃんは柔らかくて暖かいねえ」
「子供みたいですね、なんだか……」
「ううん、お日様みたいってこと。喜んでちょうだい、……そんななまえちゃんを、俺は愛してるってことも」
「ば、馬岱さ……っ」

む、と触れるだけの口付けを一つ。
すぐ互いの顔が離れると、馬岱さんは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。馬超さんの後ろについて回るときの、あの楽しそうな笑みとは少し違う。胸が射抜かれる反面、さらに追い打ちをかけるように馬岱さんは私の腕を引いて、後ろに倒れこんだ。

衝動で筆が床を転がる。

「馬岱、さんっ?」
「離さないからね、なまえちゃん」
「はい……」
下に敷かれる馬岱さんは私の身体を抱き寄せた。重みで潰さないよう退こうとしたが、一向に背中へ回す手を離してくれない。

もう一度名前を呼んだ。

「好き、だから……その、せめて横になろう?」
「……駄目。君にそんな顔見せられたら、もっと悪戯したくなっちゃうよ」

馬岱さんはそう言って、私を抱き締める手を離し解放する。彼の上から立ち退くものの、身体を起こし、再度あぐらをかいた馬岱さんは私の腰を引いて強く引き寄せた。

「ほんっと、君ってば楽しい子だよ」
「……楽しいのは、馬岱さんの方」
「ありがとね。でも、俺は君といないと楽しくいられない気がするんだ」

耳元で囁かれる。鼓動が早鐘するのを止められない。好きな匂いが鼻腔をくすぐり、優しい言葉が耳に反響する。

とうとう負けてしまった、と敗北を感じた。

「もう、俺のもんだからね」

その言葉にこくりと頷くと、馬岱さんはお日様のような笑顔を作って、私の指先に口付けを落とした。








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