10000企画 | ナノ


▼ あなたのことを綴る日々

あの人の戦場での背姿とは、燃え盛る戦場の中での一筋の光だった。何よりも輝き、真剣に槍を振るう様には味方だけでなく敵も感嘆の息を落としていく。身長が高いというのも注目の的の理由だろう。たとえ兜が外れようと、彼の黒髪は太陽に映され爛々と……。

「なまえ、どうかしたのか?」
「っ、文鴦さま!」

背後からの声に、思わず椅子から落ちそうになってしまった。ばくばくと音を刻む心臓に手を当て、腰を曲げながら後ろから様子を覗き込んでいる文鴦さまを見つめる。鍛錬だと聞いていたから、文官の端くれでしかない私はこうして彼の室で物静かに言葉を連ねていたのに。場所が悪かった。いや、今更場所などという問題ではない。どうやって隠すか。そのあいだにも、文鴦さまは先ほどの言葉通りどうしたのかと問うような表情で私を見つめ返してきた。それと、爽やかな笑顔を一つ。

「執務、にしては楽しそうだが……」
「いえ、これはその、趣味といいますか……、やましいことではないので、できれば触れないで……ほしいなあ、なんて」

決して、文鴦さまを褒め称えるだけの書物を後世に残そうなどと今は考えていない。書き始めの頃は考えていたけれど。書いているうちに自信がなくなってしまったのだ。

「そう言うのなら、これ以上は問わない。しかし、久しぶりにこうして話そうと思っていたのだが……邪魔ではなかったか?」
「じ、邪魔なわけありません! 私も、文鴦さまの声が聞きたかったです」

鍛錬の前は本日二度目の軍議があった。朝は司馬昭さまの不在もあり、あまり国勢などの事柄や献策などが伝わらなかったからだそうだ。だからさっき元姫さまと賈充さまが忙しそうに宮内を歩き回っていたのか。なるほど。
何はともあれ、文鴦さまのお許しを得たので、私は急いで竹簡を畳む。筆を借りたことを言うと、「気にしないでくれ」と微笑んだ。あぁ、やっぱりお優しい。普通ならば貴族の娘でもない場合、彼ほどの立場の者なら私たち文官をもっと雑に扱うものなのに。私物を無断で使わせようものなら、文官としての職位剥奪が目に見えている。おまけに私室への立ち入りも加えて。

「あの、文鴦さま」
「どうした」
「せっかくの晴天日和です。どちらかへ参りませんか? それか、散歩にでも」
「……いや、今日はここにいよう。あなたと真っ向から言葉を交わすのも、楽しそうだ」
「それはそれは、ありがとうございます」

頭を下げたと同時に唇を噛みしめる。冷静でいるけれど、頬がゆるみそうだった。恋い慕う人からの、いわゆる二人っきりでいようという言葉ほど嬉しいものはない。女としての幸福とはこのことだ。文鴦さまに導かれ、机の前の長椅子に二人で腰掛ける。
私たちの関係を唯一知る侍女の者に彼はお茶を頼み、頼まれた侍女は急いで室を出て行った。

「さて、何を話そうか」
「文鴦さまの良いところとかどうです?」
「よ、よしてくれ。それはいささか、恥ずかしい」

文鴦さまはそう言って苦笑いを浮かべた。
それなら、と反射的に笑って、答えた。

「過去のことでも話しませんか?」


▽▲▽



「なまえは私よりかなり背丈の低い女性だから、書庫では気付かなかったのだ」
「そのままぶつかりましたよね、確か」
「そうだったな……。あのとき、痛くはなかったか?」
「支えてくれましたから」

運ばれたお茶を飲み、微笑んだ。文鴦さまとの思い出に馳せる時間とは、心地良いものだった。過去のことだというのに、私の心を何度も揺らし、時折焦がすのだ。
気付けば、文鴦さまの手が私の手と重なっていた。けれど、私は知らない素振りをする。重なって当たり前という余裕からか、それとも会話に火がついたからか。きっと後者だ。

「文鴦さまは本当に背が高いですよね」
「よく言われるよ。私としてはあまりそう思わないのだが、なまえから見てもそうだろうか?」
「……はい」
「そうか……。しかし、おかげでよく物を見渡せる。それに、ちょうどいいと思わないか」

文鴦さまは突然手を差し出し、優しく私の体を包み込んだ。背中で組まれた腕の中で息をする柔らかな心地が、一気に訪れる。幸せだと脳が告げる。私も彼の背に腕を回した。

「ちょうどいいです、文鴦さま」

胸元に頬をすり寄せ、自然と頬が緩むのがこらえきれなかった。襟口まで結ばれていて、彼の直の体温は分からない。ただ背中に回っていた腕が頭へ向かい、すがるように身を寄せ合おうと彼の手が押さえているのは分かった。

「なまえ、一つ尋ねてもいいだろうか」
「なんでしょう?」
「……あの書簡の中身、は、誰に向けて、だろうか」

そう言って、文鴦さまは私の頭を撫でた。宥めるように、優しく。私は内心どきりとした。彼は私が他の人に渡すのではないかと案じているのだ。

「あれは、文鴦さまのことを書いただけのものです。と言っても、戦場に赴いたことはないので、想像ですが……」
「……なるほど。はは、安心したよ、なまえ」

文鴦さまの手が、私の頬へと滑る。身を離して、彼とまっすぐ見つめあった。

「また今度、読ませていただこう」
「……それはすこし、恥ずかしいです」

そう言うと、彼は笑って私の横髪を耳へとかけた。「なまえ」と呼び、微笑む。

「あなたを愛していることも、書いておいてくれ」



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