遭難 | ナノ


「誰かにとって大切な人が亡くなっても、私は呑気に生きてるんですよね」

その言葉には毒気はないが、私の心を殺すには充分であった。
悲惨なラブストーリーを見た後、なまえは主人公によほど感情移入をしたのか、涙目で訴えた。私も先ほどまで見ていた映画、――恋人を失くした女性が、その恋人を求める旅に出る話だ――を見て、確かに感動はした。ただ、男女の感情の差は違う。おまけに立場もだ。なまえは主人公の立場として見て、同情や作品を讃えることによって涙を流した。しかし、私には亡くなった恋人の立場が訪れる可能性があった。

「そうだろうね」と、これ以外に宥める言葉が浮かばず、私はとりあえず彼女の手を握った。私という男はいずれ死ぬ。この世界に来てより、特に目立った症状は何もないが、やはり不安なものだ。心臓を打ち付ける苦しみ。今こそ元気なためあの感覚がぼんやりとしている。奇跡だ。まるで私自身の存在が否定されているように症状が訪れなくなったのだ。それとも私だけ時間軸が狂っているのか。一応、歳はとっていた。なまえと同じように重ねていた。

「郭嘉さんが元の世界に戻って、私は生活をする。あなたも生活をする」

一度、頷いた。

「私が年老いて死んだ時、そのことはあなたにはわからない。逆もそうで、きっと、私はあなたが帰ったあとあなたが死んだことがわかることはない」
「あなたを想って、生きていたいのに」
「調べてはならないという約束を破るのが怖いんですよ」

ここまで愛されて嬉しくない男はいないだろう。なんて喜ばしいことだ。胸を打つ鼓動に頬をほころばせ、なまえの手を強く握った。同時に、その言葉を言わせてしまって申し訳なくなった。彼女は華だ。まだ若い。この先私ではない男と出会い、婚姻を誓い、子をなして、儚く美しい家庭を築いていく。私とは、郭奉孝という男は一体何なのだろうか。曹操殿の覇道を見据えるために頑張ってきたというのに、ここにいるだけで倍以上も生きていける可能性があるのだと安心しきっている。死ぬのが怖いのだ。戻らないだけで、愛する妻を手に入れることができる。あの方の覇道を見届けたあとでも手に入れられないような妻を。ただ、このような生活は長くは続かないのが難点だ。
もし、私が死んだ時、なまえはこうして映画を見ながら泣くのだろうか。あぁ、でも調べないのなら伝える術がないのか。

「死んだら、あなたの隣にいられるのかな」

ほら、さっきまで見ていた映画みたいに。

「私があちらで亡くなった時、その時は私がこれからここに住まうのだと思ってほしいな」
「郭嘉という男は、あなたの隣で映画を見て笑い、手を繋いで、優しく抱いているということ」
「たとえ、姿が見えなくてもね」

ラブストーリーにハッピーエンドがあるように、たとえ互いが納得せずとも、誰かがハッピーエンドに作り上げてくれるのだ。それが作者にとってのつぐないである。

「もしかしたら、死体が動くかもしれないけれど。……なまえ、どうしたの?」

そんな泣いてばかりで、どうしたの。

「どうして……」

なまえは体を震わせながら泣いていた。私は彼女の頬に流れる涙を指で拭った。よほど映画に心が打たれたのか、それとも私という男を愛してくれていたのか。大丈夫、いなくならないよ。そう、言えたらいいのに。

「どこにいるの」

そう言って、なまえは私の体を抱いた。私は自分に、彼女に言い聞かせるように宥めた。「大丈夫、ここにいるよ」と。体温が感じられない。匂いがしない。姿は見えるのに。それだけではない。なまえにとって、私は見えていない。郭奉孝という男は、あの日、あの時代から去った。魂こそここに来られたが、肉体はない。
よく、男女間の間にて「心だけでも傍に」という会話が飛び交う。それはあまりにも残酷だ。視覚にて相手を確認できないと、満足ができない。だからなまえは泣いているのだ。それならば、いっそ魂こそ燃やしてくれれば良かったというのに。

「おいで、なまえ」

手招きをして、私はなまえの体をきつく抱き締めた。これがラブストーリーというのならば、これこそ私たちに与えられたハッピーエンドなのだろう。


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