「なまえさん、なまえさん!」
ぱたぱたとキッチンから私の名を呼ぶ銀屏の言葉にはっと意識を取り戻す。そうだ、そうだった。銀屏が米をといでる間に私はリビングのテーブルの上で野菜を切ってたんだった。ただ、米をとぐ銀屏の長い髪が綺麗だなあ、とか。落とした視線でいるのに睫毛がきらきらしてるなあ、とか。思わず見惚れる容貌に、本当に見惚れてしまったのだ。
「ごめんごめん、気にしないで」
「そう……?」
と、こちらへ心配するような眼差しを向ける銀屏。とても可愛い。お人形を買ったみたいだ。ただ隠れて見えないけれど、カウンター越しにじゃっじゃっと米をとぐ音さえしなければ最高だと思う。それにしても、家庭的な女の子が来てくれてよかった。近所にはほんわかイケメンや天然女たらしイケメン、この世界に鍛錬というものがなく悩んでいるイケメンなどといった銀屏の兄たちが来ている。そのなかで可愛くて常識もある、ーー物はよく壊すけれど、すこしドジな子なのかな?
「なまえさん、お米って潰れてるけどいいのかな?」
「えぇっ?」
野菜を切る手を止めて、銀屏のもとへ足を運ぶ。つい、炊飯器の中にある米の光景に首を傾げてしまった。水が白いのは銀屏が潰した米のせいか否や。わずかに残る粒状の米は残りわずか。それに銀屏が握っていたところの取手は指型にへこんでいる。彼女の方を一瞥。眉を下げて、何かしてしまったのではないかというような眼差しを向けてきている。そんな顔をされたら、何も言えないではないか。
「……う、うん、大丈夫だよ。スープカレーとかもあるしね。そうだ、お米は私がやるから銀屏は野菜を切っててくれる?」
「そっか、よかった……! じゃあ、野菜を切るの頑張るね。なまえさんがやってる感じに切ればいいのかな?」
「そうだよー」
「わかった!」
あー、やっぱり可愛いは得だ。と、思った矢先部屋中に響く轟音。何かを叩きつけるような物音。嫌な予感を張り巡らせつつ、しずかに顔を上げてみる。後悔をしたのは、彼女に包丁を渡したことから始まるのか。
「ぎ、ぎぎ、銀屏、何したの?」
「机が、」
「オッケー。言わなくて大丈夫。うん、大丈夫。みたらわかった。あと怒ってないから泣かないこと」
目の前で、机の足が見事に折れてしまっている光景を目にした。どう考えてもこの先ないことだ。貴重な経験はできたけれど、この複雑な気持ちをどうしたら。机自体は安かったものだし、部屋に合わないデザインだから買い直したいとは思っていたわけだ。それなら、と言い済ませ……られるだろうか。
「今日はこたつで食べよっか」
「なまえさん……、本当にごめんなさい。非力なのに、どうしてこうなんだろう」
「今までも何回かあったの?」
「……うん」
と、頷く銀屏。そのとき、私はどことなく過去のことを思い出し、心から納得していた。彼女、非力じゃなくて怪力なのだと。視線を落とすと潰れた米が見える。上げれば、机の足が折れてしまって卓上の物が床に広がった光景。大きな物音もしてしまったし、明日郵便受けに貼り紙がされてそうだ。
「まぁ、気にしなくて大丈夫だよ。とりあえず、野菜は温めるから……。銀屏は落ちた物を拾っておいてくれるかな?」
「うん。あの、本当にごめんね、なまえさん」
「いいのいいの。それよりもほら、床に広がったつまようじを拾うこと」
「……うん!」
この破損物は、破損ごみの日にでも捨てるか回収をしてもらおう。あー、待って銀屏、つまようじ折れてるよ。落ちたから使わないけれど、折れてる。ぼきぼき折れてるってば!
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