短編 | ナノ

 01

※浮気シーン、姜維以外の男キャラからの束縛あります。









 ぎし、とベッドを軋ませてひたすらに彼の体の重みに耐えた。いや、耐えたというのはおかしい。喜んだ、の方がいいのだろうか。とめどなく降りかかるキスを必死に受け止めた。甘いチョコの味がする。きっと大人ぶってお酒の入ったチョコなんて食べたから、気持ちが高ぶっているのだろう。私もそうだった。
 その高ぶりは既になくなっていた。私は圧倒されるほどの裏切りの気持ちに胸を痛ませていたからだ。裏切りの代償に手に入れた好きな人の愛情は甘くはない。

「ん、姜維……」
「大丈夫か、淵師」

 熱い息が首筋にかかる。
 姜維の言った大丈夫はどちらなのだろう。嫌じゃないか、それとも後ろめたくないか、だろうか。いいや、姜維のことだから自分の行為が下手じゃないか、と案じているからか。

「大丈夫、大丈夫だから」

 裏切る後ろめたさは私の心を気持ちよく刺激していた。彼がこのことを知ったら悪女と罵るか、ビッチとみんなに言いふらすか。だんだんとどうでもよくなってきていた。姜維の手が私の頬を撫でると、もう一度キスをした。

 ▽

 横で寝ている姜維の寝顔は穏やかだった。私も穏やかに眠っていたのだけれど、夢の中まで彼に追い掛け回されていたからわからない。追いかけられて、首を絞められてしまった夢だった。ふと自分の首に触れる。まだ痕は残っていた。
 私と姜維は恋人同士ではない。お互い恋人がいるのに、気持ちを抑えきれずにこうなってしまった。私の恋人は束縛が激しく、夢に見た状況と同じになったため、姜維の元に駆けつけたのが何よりもの原因だった。警官でもある彼が何よりもの希望だったのである。
 ごろんと寝返りを打つ姜維を見て、私は心が和んだ。恋人の隣にいる彼女の気持ちをはじめて判った気がした。彼の頬にかかる髪をすくって、くすぐったそうに眉を動かす姜維の額に口付けをする。そのまま胸に顔を埋めると、姜維は優しく私の体を抱いてくれた。

「……おはよう」
「起きてたんだ?」
「今、起きた」
「ふふ、そっか」

 大きな手のひらが私の頭を撫でる。まるで赤子をあやす母親のようだ。「お前は大丈夫」と言われているみたいで、不意に涙が落ちそうになった。

「そうだ、チョコは好きか?」
「うん。でも……」と、卓上にある昨日食べたチョコを指差す。
「はは、もう酒の入った物は懲り懲りだろうな。安心してくれ、ちゃんとしたミルクチョコだ」
「じゃあ、欲しい」

「わかった」と姜維は立ち上がり、残された私は一人彼のシャツを着て、ベッドで待った。携帯の電源は落としていたがようやくつける。恐怖心が一気に私の胸に襲い掛かった。冬なのに、変な汗が出てくる。画面が光った。電話のマークの上に着信履歴が載っていた。一日で百件を超えている。自然と涙が落ちた。

「淵師?」
「――っ!?」
「待て、私だ!」

 チョコの箱とマグカップを卓上に置き、姜維は私の元へ駆け寄る。涙の原因でもある携帯の画面を見て、すぐに彼は体を抱き寄せてくれた。背中をさすりながら、無言で私が嗚咽交じりに泣き出すのを受け止めてくれる。落ち着くまで、何度も何度も。
 やがて泣き止むと、姜維はココアの入ったマグカップを渡してくれた。ベッドに腰掛け、二人の間に高そうな箱に入ったチョコを置く。ココアを一口流し込むと、程よい甘さに目尻が熱くなった。何が悪なのかは分からないが、結局の被害者は私でもなく、姜維とその彼女なのだと胸が痛んだ。

「……ごめんなさい」
「淵師」
「本当に、彼女さんにも何と言えば」
「気にするな、淵師」
「でも、」

 口を開くと、姜維はチョコを私の唇の押し込んだ。
 なめらかな舌触りのそれはすぐに溶けて、程なくして飲み込まれた。

「口に合うといいが……」
「ううん、すごく、おいしい」
「そうか、それなら安心した。……それに、淵師も可愛く笑ってくれているな。そちらの表情の方が、私は好きだ」

 頬に手を滑らせ、キスを一つした。昨晩と同じように、甘いチョコの味がする。私はその味をしっかり舌に覚えさせた。離れると、もう一粒チョコを味わって、姜維の言葉に頬をほころばせた。
 そんな時に、姜維は口を開いた。何度か戸惑い、何度もやめようとしていたが。

「私と共に逃げよう、淵師」

 そう言って、私の手を包み込む。突然の言葉に頭が混乱し始めた。まさか、逃げるとは、それは逢引ということでいいのだろうか。

「家族、はどうするの」
「母は大丈夫だ」
「仕事とか」
「異動の話が来ている。断わろうと思っていたが、淵師がこのような事態なのだ、放ってはおけまい」
「でも、彼女さんは」
「あいつもすぐに彼氏を見つけるだろう。何せ、私の警察仕事に反対であったからな」

 姜維は満足そうに笑み、私を抱き寄せた。手に持つマグカップが音をたてて倒れ、白いシーツに茶色の染みを落とす。

「ご、ごめんなさい!」
「これも新居には必要ないな。二人で新しいものを買い直そう、淵師。だからそう焦らなくてよい」
「……ほんと、優しすぎるとどうにかなりそう」
「私は優しくないと思うのだが……こんな、淵師に酷な選択を迫っているのだからな」
「酷じゃないよ、むしろありがとう。本当に、心底から姜維がいてくれてよかったって思ってる」
「そういわれると光栄だ。淵師、今後は引っ越すまで私の家にいるように。誰かが来てもしっかり確かめることだぞ」

 ▽

 姜維の家に住み始めて三日。今は引越し手続きをするため姜維が出かけている。一人での留守番に心配をされたが、ちゃんと戸締りをしているから大丈夫だろう。ソファーに腰掛け、私はテレビを見ていた。時間的に特に何もやっていなくて、だからと言って洗濯ものを干すことも禁じられている。
 昨日姜維は彼女と話をしたらしい。彼女もすぐに納得し、まずは安心だと言っていた。しかし、何よりも私たちを悩ませているのは彼氏の存在だった。

 玄関から鍵が開く音がして、私はその玄関の元を見た。ゆっくり開かれる扉。その開き方がおかしいと思ったのはすぐのことだった。揺らめく影が姜維とは違う物なのだ。私はすぐにテレビを消して寝室に入り、ベッドの下に隠れた。少しめくり上げ、足元を見る。携帯は警察へ電話できるように準備をしている。寝室の扉が開いた。華奢な足首が見える。
 ――姜維の彼女だと、分かった。警察に電話をしていいかも分からず、私は携帯を握り締め、息を止める。ずっずと這うように歩く音が、鼓動に、鼓膜に焼きつく。早く出て行って。お願いだから、見つけないで。そう願いながら、足音がやんだことに目を瞑った。終わりだと悟ったのだ。

「合鍵、置いとこうと思ったのに留守か……」

 卓上にじゃらじゃらと鍵を置く音がして、そのまま足音は寝室からなくなった。私はシーツをめくって、周りを見渡す。誰もいないことを確認すると、玄関から扉が閉まる音だけが聞こえ、ゆっくりベッドから出た。ふと、携帯から音がすると思い、私は画面を見た。握り締めたときに繋いでしまっていたようだ。既に切れていて、それならいいやと携帯を放ると、私は寝室から出ずにベッドに寝そべった。

 しかし、その瞬間、玄関から物音がした。
 姜維なわけがない。すぐに理解をした。だって、合鍵を置いて彼女が出て行ったのなら、彼女は鍵を閉めずに出て行ったということなのだ。姜維はそれを知らない。知らずに鍵を回したら、閉まって、もう一度鍵を開けるはずだ。
 私はベッドの下に潜り息をひそめる。今度こそ携帯で警察に電話をした。「助けて」と小さい声で言うと、既に警察はほとんど発っていると言われ、どうしようもない絶望が襲い掛かった。寝室の扉が開く。あいつがいた。玄関からまた物音がする。誰か入ってきたようだ。姜維ではありませんように、どうか。願いが届くよう必死に祈った。神様を信じていないのに、信仰心が芽生えていた。私はシーツがめくられたところで、あの声で名前を呼ばれた瞬間に意識をなくしてしまった。起きたら天国だろうか、それとも――。

 ▽

「……、淵師……」
「きょう、い? 姜維……?」
「大丈夫か、淵師」
「……ここ、どこ」
「私の家だ。ほら、見てみろ」

 意識がはっきりしだし、私は姜維が隣に寝転んでいることに気が付いた。真っ白なシーツに、くるまっている。何があったのかと聞くと、姜維は順に丁寧に説明をしてくれた。
 まず、私の無言電話の発信元が私だと分かり、既に警察に「彼氏」のことを説明していた姜維のおかげで、すぐに警察が駆けつけてくれていたこと。家から姜維の職場でもある警察署は近いため、駆けつけるとちょうどあいつがいて、しっかりと取り押さえたこと。

「じゃあ、もう近寄ってこないの?」
「そうだ」
「本当に?」
「あぁ、本当だ。あなたの働きの結果、私たちは救われたのだ」
「……そっか。はは、なんか安心して……っ」
「よしよし、よく頑張ったな」

 姜維は私の頭を撫で、優しく耳元で名前を囁いてくれた。何度も囁かれるからくすぐったくなる。それでも姜維はやめなかった。さらに、額に、頬にキスを落とし、きつく体を抱き締めた。

「これで、安心してゆっくり暮らせそうだ。そうだ、挙式はいつにしようか、私はいつでも歓迎するぞ」
「ちょっと、早いって」
「早いほうが、淵師と一秒でも一緒にいられよう」
「もう……」

 おかしくなって笑うと、姜維は満足そうに微笑んで離れた。どこに行くのかと聞くと、警察に話をしてくるとだけ言って、寝室から出て行った。きっと、私が目覚めたことを報告しに行くのだ。今日はなんだかぐっすり眠れそうだと思い、私はシーツにくるまった。そのまま、睡魔がゆるやかに襲ってくる。
 ここで眠りについたことは、何年経っても姜維が笑い話にしてくれた。警察沙汰の事件報告をするのに、安心しきって眠る淵師は最高だ、と。その話は、またいつか。



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