短編 | ナノ

 02

車内の助手席に乗り込むと、ふわりとコーヒーの匂いがした。普段サボりつつもなんだかんだ作業をしている人のくせに。なんて、訳の分からない理由をつけて似合わないと思ってやった。
彼自身にはコーヒーがとても似合う。ブラックなのだろうか。はたまたカフェオレかもしれない。

「私の家までは案内しますね。すごい近いですし……」
「いや、それは結構だ。淵師の家は把握済みでね」
「仕事早いですね……」

シートベルトをし、横にいる賈ク先生をじっと見る。彼もこちらを見ると、苦笑を浮かべながら「あまり見ないでくれ」と肩を竦ませた。
それがとても意外で、可愛くも感じて、小さく笑うと賈ク先生はため息を落とした。

「じゃあ、帰るとしますか。お嬢さん」
「お嬢さん? へへ、それなら賈ク先生はなんだろう」
「是非とも、いい役にしてもらいたいものだね」
「優秀な主に飼われる犬、とか?」
「……ま、いいがね」

アクセルを踏み、緩やかにスピードが出る。さっきまで濡れて寒く感じたのに、突然暖かくなるものだから眠くなってきた。心地よい音楽と、好きなコーヒーの匂いがなおさら。

「んー、休んでて構わないよ」
「……それでは五分だけ、休みますね」
「できるかな?」

瞼を閉じ、全身から抜けるような感覚を感じながら、流れる音楽の歌詞を必死に聞き取った。洋楽のようで、ちっとも分からなかったけど、賈ク先生が横にいるならいいか、とぼんやりとした頭で納得させた。


* * *


約束をした通り、眠ったのは五分より遅いけど家につく前には起きることができた。ごしごしと目をこすり、前を見る。
雨はだいぶ収まっていた。

「おはよう、淵師」
「おはようございます、先生。雨、結構やんじゃってますね」
「みたいだ。あ、ここを右だったかな?」
「真っ直ぐいくと遠回りですよ。……なんて。はい、右に回れば大丈夫です」

何を言ってるんだろうと苦笑した。
信号は青になり、私はぐちゃぐちゃのカバンを抱き締める。右に曲がるのか、と思えば賈ク先生は真っ直ぐ突き進んだ。

「賈ク先生、これだと遠回りですよ!」
「あははあ。これもまた面白いじゃない」
「そんな……申し訳ないです」
「俺は嬉しいんだ。遠慮はしなくていいさ」

よく分からない人だ。そう思い、こぼれそうになる喜びを噛み締めた。
信号が見えるたびにそこを曲がる、だの教えていると、だんだん見慣れた土地に入ってきた。車で十分足らず。二曲目が終わり、新たな曲が流れ出した。

「ここらは実にいい場所だ。駅にも近いし、先生からしたらありがたいだろうね」
「賈ク先生は作業員じゃないですか」
「んー、これでも曹操殿のお手伝いはしてるんだがね。いろいろ、汚い仕事とか」
「まさか、人を……」
「あははあ。あんたの妄想は行き過ぎてるけど、うん、そんな感じかな」

賈ク先生は、見えてきたマンションの前に車を止める。もう帰るんだ。そう思うとさみしく思う。服はだいぶ乾いていた。結局夏侯惇先生の傘は使っていない。

「今日はありがとうございました」
「……少し、待ってくれないか?」
「は、はい……」

ドアに手を伸ばしたが、もう片方の腕を掴まれた。熱を感じる。振り向き、賈ク先生の顔をじっと見た。なんだか独り言を呟き、己の髪を撫でている。

「今日あんたと二人きりになれると聞いたとき、俺は仕事をサボってあんたを選んだ」
「先生」
「単刀直入に言うかね。ま、俺はあんたに惚れてるんだ。淵師」

びく、と肩が震えてしまった。
濡れた髪を撫でられ、そのまま腰に手が回り、賈ク先生に抱き寄せられる。
声にならなくて、とにかく真っ白な頭で言葉を探した。何をいえばいいのだろう。

「か、賈ク先生……」
「そしてあんたは俺に惚れてる。間違いないね」

指で髪を梳かれる。気分が良くなって、このまま流れに任せそうになった。こんな人なのに、こんな人だからこそ扱いがうまいから困る。

「……好き、です」

だから、そう言ってしまった。
でもそれが嘘なのかと聞かれたら真実である。本心からそう思っている。
私は賈ク先生が好きなのだ。サボり癖があるのに、仕事をきちんとこなし、人を小馬鹿にする割には生徒思いのこの人を。

「やっぱりね。んー、それなら、もう少し、こうやってあんたを暖かくさせてくれないか」
「……嬉し過ぎて、死んじゃいますよ、私。先生の言う汚い仕事の第一号が私になっちゃいます」
「あははあ。それもまた素晴らしいね。いっそあんたを殺せるよう頑張ろうかな。仕事休んでまであんたを心配する。俺もなかなかなもんだろう?」
「……聞かないでください」


彼の胸に置いていた手を、背中に回した。今更、先生の服が濡れるだとか関係ない。
流れる曲は終盤に回っていた。アップテンポなメロディーが、なかなか雰囲気にそぐわない。

「先生」
「ん?」

体が離れると、触れるだけの口付けを先生にしてやった。あまりにも突然で、彼も驚いている。肘がクラクションに当たり、大きな音がマンションの駐車場で鳴り響いた。

「すまない。ムードってのは苦手なんだ」
「本当ですよ……近所迷惑です」
「そうだ、こうしときゃあんたと俺が何してようと誰にも見えないな」

そう言うと、先生はシートベルトを外し、陽を避けるためのガードを降ろした。
そもそもこのマンションには人があまり住んでいない。私の、使うことのない駐車場は、賈ク先生の車以外外出中だった。

「勝利の口付けをまさか姫さんからされるとはね……」
「姫さんって、んっ」

荒々しく口付けをされる。
必死に応え、私も彼の首に腕を回した。
座席を下げられ、賈ク先生はゆっくり覆い被さってくる。胸が張り裂けそうなほど、高鳴っていた。

「淵師も変わり者だ。俺なんかと付き合ってくれるなんて」
「……先生はとても魅力的です。むしろその魅力に気付いてる私を幸福者と言ってほしい、んっ」
「全く、たまらないね」

覆い被さったにも関わらず、さすがに賈ク先生も身を引くと、私のカバンを取り、渡してくれた。
名残惜しそうに自分の髪を撫でている。

「そんな悲しそうな顔するんじゃない。ほら、行って行って」
「わわっ、行きますってば!」

賈ク先生はボタンを押すと、ドアを開き私を強引に押し出す。家に誘おうかとも思ったけど、夏侯惇先生の傘を彼に返してもらわないといけないし、何より部屋が汚い。

また、綺麗にしておこう。
そう思い、閉まるドアを見届け、窓の奥にいる賈ク先生に手を振った。

「この駐車場、これからは俺の車専用になっちまうとは」

私に聞こえることはなかったが、賈ク先生はそう呟き、車を発車させる。
なんて味気のない別れなんだろう。さっき感じた熱情的なものが嘘のようだ。

(先生が聴いてた曲、私も探そう)

映画鑑賞なんて後だあと。
そう、賈ク先生に掴まれた腕をさすりながら、私は家へと戻って行った。


(うれしいからわらっています)

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