何だってこんなことになったのかと、何度も考えてしまった。家で寝転んでも、試しに洋楽ロックを聴きながら絵を描いても、曲のせいか気持ちのせいか黒い絵ばかり生まれるだけ。 改めて今日のことを考えると、明日来るとは言ったが、いざ強引すぎたと後悔した。 「女々しすぎるぜ、俺……」 ベッドに体を放り、枕に顔を埋める。 淵師が悲しんでいたあの顔は、どうも見たくはなかった。できれば笑っていてほしい。 このまま会話も交わすことなく、彼女が過去の人になることだけは避けなければ。 * * * 気付けば、眠りについていた。 思った以上に遅い起床に焦ったが、時計をみるとまだ昼前で、適当にアトリエへ持っていく課題と筆箱をかき集める。 身支度を整え、向かうは彼女の元へ。当たり前のように向かおうとしていたが、玄関で気付いた。昨日喧嘩をしたのではないかと。 靴を急いで履いていたが、なんだか気が重くなる。 「どうするかな……」 メールはもちろん来ていない。 電源を落とし、ポケットにしまう。 「ま、男に二言はないだろ!」 吹っ切れた気分だ。 よれた靴に足を通し、玄関の扉を荒々しく開く。冷たい風が吹いていた。大学からは割と近いこの物件。ほんとありがたい。 待っててくれよな、と願掛けを胸に、イヤホンを耳にいれた。 * * * アトリエへ到着すると、扉の前で深呼吸をする。大丈夫、行けるはずだ。なんたって、今まで淵師と過ごしてきたのだ。築き上げてきた絆ってのが強いと……一応、思う。 「李典さん?」 「うお!?」 だめだ、これは格好つかない。 もっと格好よくきめて、淵師昨日はすまなかったと言うべきだった。 「あ、ごめん?」 「いや、気にすんな」 淵師は二本のジュースを持って、先に俺の横を通り過ぎた。 意外と変わらない今に安心感を抱くと、彼女の後へ続く。確実に完成に近付く作品が、アトリエ内の空気を変えてきていた。中心的存在のよう。 「完成しそうだな、もう少しで」 鞄を机に置き、普段通り淵師が作品へ向かう姿を斜め後ろから見つめた。 既にどれも一度は聴いたことがあるため、次は俺の好きな激しめの音楽を流すことにする。本当なら音量を馬鹿でかくして、楽しい気分で流したいものだが、まぁ、今にはそぐわない。 「うん、今回はすごい頑張ったんだ。なんだろな、いろいろな想いを込めたから、なんて」 はは、と彼女は薄く笑った。 「……ほんと、いろいろ」 そこから滲み出る本心は表情とは打って変わって違う。とても深い悲しみのようだ。 「……昨日は悪かったな、なんか。でも俺、あんたが無理してる気がするぜ?」 「無理じゃないんだけど、うん……笑わないで、聞いてくれるかな?」 筆を止めて、淵師は立ち上がる。こちらへ近寄り、俺が流した音楽を止めた。じっと見つめられる。一瞬、気恥ずかしそうな表情を見せたが、すぐに凛とした眼差しを向けてきた。 「一を手にいれたら、十、百、千とどんどん欲しくなっちゃうんだ」 「……あー、まぁ」 言葉を濁して、頷くふりをする。 「私が賞を取ると、さらにとせがむ人がいるんだよ。そりゃあ賞をとると嬉しいけど、賞のために書くんじゃ力にはならない。……一昨日、だから泣いてたの」 「見られちゃったね」と彼女はくしゃりと笑った。絵のことはいまいち分からないけど、彼女が悲しんでいるのは分かる。何をいえば分からない。ほんの僅かな時間、沈黙が生まれた。 その沈黙を破ったのは、俺である。 「今度、俺に絵を教えてくれよな」 「……うん」 「あと、賞とれるってことは、そんだけ淵師が上達してるってことだと思うぜ、俺。あんま気張んなってこと」 「そう、かな」 淵師は戸惑いがちにこちらを見つめた。ゆっくりと俺の方へ体を近づけてくる。ふわり、と俺の好きな匂い。彼女は音楽を再生すると、静かに体を抱き寄せた。 「ありがとう」 そう言われたのは分かったが、正直頭に入ってこない。ダメだ、しっかりしろ。淵師の背中に手を回すべきか、回さないべきか。そんなことを考えている間に、体は引き離されてしまう。 「あ、まぁ、そうだよな」 「うん?」 いや、なんでもねえ。とはにかむと、淵師は肩を竦ませ困ったように笑い、立ち上がった。完成させるために筆を滑らせるのだ。 結局昨日は告白しようとしたが失敗はするし、なんだか淵師はあんな言葉で吹っ切れた様子だ。 「淵師ー」 「どうしたの」 淵師は絵を描き進めながら、こちらの言葉に返事する。 この冬休みに勇気なんてものは一切つかなくて。挙句、言葉に詰まってしまった。 「昨日のことだけど」 そんな俺とは裏腹に淵師は口を開く。 「あの、すごい嬉しかった。私も同じ、気持ち」 「……本当かよ」 「でも、その、教授で生徒だから……えっと、あまり良くないかなって」 「そのへんは大丈夫だって! それより、俺のことが好きってことでいいんだな……?」 絵を描く淵師の方へ近寄った。背後に立ち、膝を落とす。彼女も振り向くと、ゆっくりと頷いた。多分、冬休み中一番可愛い笑みを浮かべている気がした。 「……俺が大学卒業するとき、絶対迎えに行くからな」 「じゃあ、待ってるね」 「あー、駄目だって俺。さっきから全然格好つかねえよ」 振り返り、淵師から目を逸らした。 くすくすと笑い声が聞こえる。見る勇気はない。 ふと、後頭部に何か触れる感じがした。 「卒業まで禁止だから、ね?」 淵師に口付けをされたようだ。しかし、俺からも彼女からも、これからは禁止のよう。絶対無理に決まっているけど。 とりあえず頷くと、淵師は小さく笑って、絵に取り組んだ。 その背中が、たくましく感じる。 |