髪の毛はオッケー。服はめくれてないし、うん、大丈夫。鏡の前で自分とにらめっこする。にかーっと笑ってみると想像以上に気持ち悪くて絶望した。 「……うし、頑張るぜ、俺!」 辛気臭い顔はしないこと。歩幅を合わせたり車道側を歩いたりしてさりげない優しさを披露したら、挙げ句の果てに淵師の心を手にいれられるのではないか。 どきどきするのは女々しい証拠だ。ここは、がつんと度胸が大事。メッセンジャーバッグに財布や淵師の好きなCDを詰めて、急いで部屋を出る。 いい予感しかしない。目指すは淵師の笑顔だけだ。 * * * 待ち合わせ場所には一時間前に来てしまった。これこそデートの基本だと書いてある。本に頼るのは気が引けるが、仕方がない。そうだ、これはデートとは違う。あくまでお使いであるのだ。 マフラーで顔を隠し、コートのポケットに手を突っ込む。行き交う人を見てると、どうして誰ともぶつからないんだと思った。携帯をしながら歩いても、忍者みたいにかわしていく。 とか言う俺も、人のことは言えない。駅前でぼんやりと立ってるのはなかなか暇だ。緊張していたら、時間があっという間に過ぎるのだろうか。 バッグから淵師の聴くエレクトロンだったかエレクトーンだったかのCDを取り出す。俺が聴く音楽と、ジャケットから違うのだ。ロックンロールの欠片もない。 「り、李典、さん……?」 「うわっ!」 あやうくCDを落としかける。 声のした方へ振り返ると、そこには普段見る姿とは打って変わって可愛らしい淵師が立っていた。 どっと緊張が高まる。心臓が激しく波打っていた。咄嗟に口元を抑えて、きょとんとこちらを見る淵師から目を逸らす。 (まずい、早く何か言わねえと淵師が……。あー、でも何を言えばいいか全然わかんないって言うか) 「人違いでした、か」 「ち、違う! 俺だ、李典!」 「あっ、良かった」 改めて目がばちんと合う。冬なのに、顔がとてつもなく熱い。真正面から顔を合わすのは初めてだ。いや、今まであったのかもしれないが、記憶にない。 淵師は顔を傾ける。 「どうかしたの?」 「お、おう? いいや、なんでもない!」 「そっか。それにしても偶然だね」 そのまま、照れ臭そうに笑った。 「一時間前なのに、もう揃っちゃったよ」 「確かにな。まあ、あんたと一時間長く出掛けられるんだ。ゆっくり行こうぜ」 「そうだね、李典さん」 持っていたCDを片付け、淵師の横に並ぶ。デート感覚で手を繋ぎそうになったが、すぐに手を引いて、ただ悶々と湧き上がる感情と共に歩き出した。 「うー、寒いっ」 「本当にね。コート着てきて良かったよ」 「……そう言えば俺、淵師のそういう姿初めてだよな」 横目で淵師を見る。 学校じゃ、シンプルで清楚な服だったり、それかぼろぼろに汚れたエプロンだったり、こういう女の子らしい衣装は初めて見た。普段の格好とは違うため、新鮮に感じる。 淵師は「そうだね」と考え込んだ。その仕草に可愛いなんて思ってしまって、それを本人に言えない自分は本当に大馬鹿である。 「李典さん以外に私服見せたことないもの」 「え、本当かよ」 「本当ほんと。そもそも大学でも私生活でも、こんなに近くにいるのはあなただけだよ。友達でもここまで寄ってこないって」 「……悪い」 「ちょ、ちょっと待って! 謝らないで、むしろ、お礼を言わせてほしい」 淵師は俯いた。 彼女の向こうに車が走る。そう言えば車道側を歩くのを忘れていた。淵師の肩を掴み、そっと場所を変わる。何か分からず不思議そうにこちらを見ていたが、咳払いを俺がすると、淵師は肩を竦ませて笑った。 「……ありがとう」 「……はは、改めて言われると照れるな。こちらこそありがと、淵師」 そんで、あんたが好きだよ。 それは言わずに、心にしまった。 淵師の手をあどけなく触ると、彼女は戸惑いがちに握り返してくれる。爆発しそうなほど緊張が走った。 己の髪を撫で、俺は苦笑を浮かべる。すると、後ろから自転車のベルを鳴らされた。 なんだ、これは空気読めないにもほどがある。その隙に淵師から手を離され、彼女は俺と距離をとるように少し走った。 「お、おい!」 淵師を追い掛けると、すぐに追いつく。顔を覗くと、彼女は恥ずかしそうに顔に手をあてていた。 これは、と自惚れてしまう。淵師の肩に触れようとしたが、やはり触れることはない。臆病だ。むかつくぐらい。 だから、代わりに淵師に気を使わせまいと先に歩いた。歩幅を合わせない方がいいって、俺の勘が言っている気がしたのだ。 (盗まれた恋心) |