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懇願


その日はとても肌寒い日だった。雨がしとしとと降り外にも出ることができず、湿気にまみれた一室で読書に耽ることしかできない。しかし、読書にも飽きが来てしまう。すでに何度も読んだ兵法書だ。読まずとも、頭に流れてくる。

関興はため息を落とし、書物を閉じた。
瞼を落とすと寝台へ寝転ぶ。鍛錬に勤しむ気にもなれない。兄妹たちと喋っていても、この天気だ。気分が沈むに違いない。

気分が沈むのは、どうしてだろうか。
関興は考える。それは、父上があの日ーー、と思考を張り巡らしたところで、考えるのをやめた。
とんとんと扉が叩かれたからだ。どうぞ、と返事をすると、関興は上半身だけ起こし目を開く。扉の向こうを見通すように。

「突然ごめんね……?」
「いや、大丈夫だ」

ぱたんと礼儀よく扉を閉めると、その場でなまえは立ち尽くす。関興は首を傾げると「何をしてるの」と聞いた。
あー、と言葉に詰まっている。とりあえず、彼女は関興の元へ近寄ると、寝台の横に椅子を置き、なまえはそこへ腰掛けた。

雨は激しいものへ変わっている。ざあざあと降り止まない音に、関興は耳を塞ぎたくなった。

「銀屏のところに行ったらね、その……。関興が、寂しがってるだろうって」
「銀屏が?」
「ほら、天気が大雨、だから」
「……あぁ」

言葉を濁し、なまえは俯いた。関興は別に気にをしなくていいのに、と思う。親友の言葉は絶対だからなのか、それとも本当に自分を心配してくれているからなのか。
関興は、真っ直ぐなまえを見つめる。今、何を言えばいいのだろう。心に従えばいいのか。

「なまえ、ありがとう」
「……うん」
「でも、私は寂しくない。なまえが横にいてくれる、から」
「う、ん」

手を伸ばし、なまえの手を握った。とても暖かい。雨音が優しく飽和されていく気がした。なまえも彼の手を包み込むと、あどけなく微笑む。

「もっと、寄っていいかな」
「あぁ、こっちにおいで」

関興が体をずらすと、なまえは関興の眠る寝台へ移動した。ぎし、と軋む音が響く。向かい合わせになると、互いに見つめあった。
見透かすような綺麗な瞳の関興に対し、なまえはとうとう負けてしまいそうになる。瞬きをしたと同時に目を逸らすと、彼の手をとった。

「雨、嫌だね」
「でも、自然現象だから仕方がないことだ」
「……そっか」
「なまえ? さっきからおかしいようだが」

ぎゅ、と握り返す。
先ほどからなまえがおかしい。関興は必死に理由を探した。もしかして昨日なまえの話を聞かずにお花を見つめてたことを、まだ気にしているのだろうか。
いいや、それとも朝餉のときになまえの好きなものを食べたからなのか。

「よく分からないけれど、すまない」
「う、うん? 謝られる理由がないよ、関興。それより、私こそあの日を引きずっててごめんなさい」
「謝らなくていい。それに父上も兄上も、なまえにそこまで思われて、満足してると思う」
「そう、かな」

なまえは寂しそうに俯く。
関興は困ったものの、彼女の手を強く握り締め、己の顔の前へ運んだ。指先に口付けを落とすと、珍しい行為になまえは顔をあげた。

頬を紅潮させている。反して、関興はきょとんとしていた。

「私のことをどう思ってるか知りたい」
「……し、しっかり聞いてね。もちろん、うん、好きだよ」
「そうか、私もなまえが好きだ」

あまりにもしれっと言うものだから、なまえは呆然としてしまう。しかし、改めてその言葉の意味を理解し、顔を赤く染めた。いつもの表情から、少し笑みを滲ませる関興は彼女の手のひらに口付けをする。
さらに染まる頬。関興はなまえを引き寄せると、その柔らかい髪に鼻をうずめる。

「この匂いが好きなんだ」
「う、うん。私も、関興は暖かくて好きだよ」
「なまえが傍にいてくれるなら、私は毎日雨でも構わない」
「雨じゃなくても来るから、毎日雨だけは困るなあ」

柔らかい髪から肩へ鼻頭を移動させ、関興は微笑んだ。背中に回される手が愛しく思う。
体を離すと、愛しく思った手のひらを再度握り締めた。今度は離すことなく。

「銀屏に後でお礼を言わないとな」
「律儀だね、お兄さんってば」

「それなら、」となまえは続けた。

「私の話昨日聞かなかったよね。ふわふわーってお花ばっか見てさ。それに、朝餉も勝手に食べちゃって。……ね、関興」
「……許してほしい」
「こら、寝ないの!」

なまえの手を握り締めたまま眠るのだから、今だけはすこやかに眠りたい。関興はそう思い、布団に潜り込んだ。







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