キス企画! | ナノ

執着


唇に紅を引き、着慣れない衣装を身に纏う。鏡台から自分であるのに、自分でない誰かが映った。それが、どうも嫌だ。
宴会ということで着せられたこの着物。深く暗い藍色に赤が映えるとのことで、対照が激しく、とても存在感のあるものだった。

もとより私は武人である。
普段は紅を引かないし、肌に何かをつける、なんてできない。
宴会からだいぶ時間が経ち、疲れが溜まったため私は自室へと足を運んだ。布の擦れる音が、遠くで騒がしく盛り上がる宴会音と混ざり、やけに響く。

「おい、大丈夫か」
「呂蒙殿?」

背後から声をかけられる。聞き慣れた声だった。声の主の方を向くと、ほう、と見惚れてしまいそうになる。きっと、宴会という晴れやかな舞台だから、なんら普段と変わらない呂蒙殿がかっこよく見えるのだろう。
ぐ、と言葉を飲み込み、その場に立ち尽くす。

「なまえ、か? その格好はどうした、なまえ」
「あ、ええと。宴会だからとのことで、練師と姫様がやってくれたんです」
「そうか……。随分と見違えたぞ」
「ほ、本当ですか?」

髭を撫で、感心するように息を吐いている。なんだかそうまじまじと見られると恥ずかしいと言うか。目を逸らし、着物をぎゅっと握る。

「それでは、先に失礼しますね」
「待て、なまえ。俺もお前と同伴しても良いか」
「私の部屋で一杯お飲みに?」
「いや、酒は結構だ。なに、お前のことを少し知りたくてな」

そう平然と言いのける呂蒙殿。
この言葉が、私の耳に反響する。一歩、また一歩。彼が私に近付いた。いずれ手を取られると、指先から熱が伝わりだす。

「で、では行きましょう、か」
「うむ」

手を引いたが、きつく掴まれていた。無骨な手のひらは、私と大きさがだいぶ違う。おかしくて、つい笑みを浮かべてしまった。ぽかぽかと胸が暖かくなる。



「――ほぅ、してなまえは武人になったのか」
「はい。ふふ、我ながらくだらない理由ですけど」
「そんなことはないぞ、なまえ。ふとしたことで己を変えることは良いことだ」

机を挟み、迎え合わせに座る私たち。
呂蒙殿は結局酒に手を出していた。私も同じように、酒を含んでいる。
彼の顔をじっと見ると、視界が眩み出すほどには飲んでしまったようだ。

「今日のなまえはとても綺麗だが、俺には普段のお前の方が輝いて見えよう」
「うーん、私は呂蒙殿は変わらないので、いつでもかっこいいです」

はは、と乾いた笑いを浮かべる。なんだか頭が回らなくなってきた。
これは些か、飲みすぎた気がする。今呂蒙殿のことをかっこいいと言ってしまった。本心であるけど、あぁ、やはり驚いてしまっている。

「す、すみません。 あぁ、でも本当ですよ、なんて」
「なまえ、酔っているな?」
「酔ってるんですかね。で、ですが呂蒙殿、酔ってなくても私は常にあなたを、」
「ったく、お前は……」

呂蒙殿は私を寝かせようとしてきた。酒を取られ、寝台を整えている。
彼の名前を呼んでみた。「どうした」と素っ気ない返事が一つ。むっとなって、また名前を呼ぶと、とうとう返事は来なくなる。
椅子にもたれかかり、ずいぶん飲んでしまったと後悔をした。私は二日酔いが好きではない。あのぐるぐると脳を駆け巡る思考に、吐き気を覚えるのだ。

「今日はもう休め」
「はい……」

いざ眠るとなると少し寂しい。
呂蒙殿に腕を掴まれ立たされるときに、こけてしまいそうになった。
しっかりと支えられ、嬉しくなる。頬が緩み、今きっと私がだらしない笑みを浮かべているだろう。
彼に寝台に寝かされ、布団をかけられる。

「待って、ください」
「ん?」

うとうとしてきたが、彼の名を呼んだ。

「眠る前に、呂蒙殿の顔を焼き付けていたくて。なんて」
「……俺の顔を焼き付けても何にもならんだろう」
「そんなことないです、あなたの顔はとてもかっこよくて、いつも見ていたくなる」
「ううむ、買い被りすぎだ、なまえ」

呂蒙殿は一歩私に近寄る。

「呂蒙殿」

また名前を呼んだ。なんだ、と気付けば近くなった彼が返事をした。
つい嬉しくなって、何度も呼ぶ。きっと酔ってしまったから、こんなことをできるのだ。呂蒙殿は片膝を折り、私の前髪を掻きわける。

「もうよい、なまえ」

もう良いのだ。
突然、視界が暗くなる。呂蒙殿がのしかかったのだ。瞼から目尻を撫でると、瞳を覗き込まれる。
彼の瞳には、紅を引き装飾品に飾られた女の私がいた。そのまま、視界が絡み合う。唇が重なるのか、舌が絡まるのか。駄目だ、思考がおかしくなる。

「呂蒙殿……」

息を漏らした。それは、彼を迎えているに等しい合図である。呂蒙殿はそっと、壊れ物を扱うように私の唇を奪った。絞殺されるんじゃないか、私の、心の臓の鼓動が鳴りやまないから。
上唇を食み、ゆるやかにほどけるように、呂蒙殿が離れた。瞳はとらえられたままに。

「……すまん」
「どうして謝るのですか」
「俺がお前を酔わせて、襲ったようなものだ」
「そ、そのようなことはないです!」

離れようとする呂蒙殿の腕を掴んだ。たくましい腕は、私の手のひらではすべてを包むことができない。強引だが、離れてほしくなかった。複雑そうに私を見る彼には焦りが滲んでいる。

「やめんか、なまえ」
「私は、呂蒙殿を恋い慕ってます」
「……誠、か」
「もちろんです。酔った勢いで、などと罪を負わせません。だから、」

彼の頬を、優しく包み込む。
髭を撫でると、顔を寄せ、不慣れながらも呂蒙殿に口付けをした。すると、立場が突然逆になった。離したすぐに首筋をなぞられる。息が漏れた。彼のざんばらな髭がくすぐったい。

「まさか、お前が俺を、その……好いているとは思っていなくてな」
「私もです。そんな、知勇に名高き呂蒙殿が」
「明日から、なまえは元の姿に戻るのであろう」
「……はい」

戻るのだ、女らしくない私に。
呂蒙殿はがっかりするだろうか。もしがっかりするなら、毎日紅も引くし、武人だけれども、鍛錬が終えたらすぐに着飾るに違いない。顔を、俯かせてしまった。しかし呂蒙殿は私の頬に触れ、

「俺は普段のお前の方が好きだ」

と言った。
目一杯に笑みを浮かべる彼がいる。頬が熱い。彼を見てはいけないのだ。私が、おかしくなる。そろそろ本気で酔いが回ってきたのかもしれない。
ささくれだった指先が私の鎖骨を撫でる。

「俺も酔いが回ったのやもしれん。……なまえに変なことを口走りそうだ」
「ならば、口走る前に私を、あなたの好きな私にしてください」

この紅はあなたに擦り付けて、装飾品は外して、着物は脱がして。
呂蒙殿は一瞬驚いたが、頷く前に、触れるだけの口付けで返事をしてくれた。
指を絡め合うと、男女の差が極めたつ。その指先に彼は接吻をし、踊るように、ゆるやかと、私を誘ってくれた。

布の擦れる音が、静閑な室内に響く。
はさり、という音がしたら、それは合図であり、私は彼の名を呼んで微笑んだ。
二人の指を絡めたら、彼は熱情的に答えてくれる。

最後に名前を呼ぶと、彼の笑い声が聞こえた気がした。


(首筋に誘われる)




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