なつのわすれもの | ナノ
The time which was together with her is a treasure.

「賈ク殿、今から村を案行するのでしたら、共によろしいでしょうか?」

そう淵師が、厩にまで来て
言った。
賈クは、己の頭に巻く布を撫で、ため息を落とし暫し考える。彼女が共に来ても面白くはない筈だ。その旨を伝えるも、どうやら意思は意志へと変わっていた。

「あんた、そもそも仕事はどうしたんだ。配属将といえど夏侯惇殿の配属将、だろう?」
「将軍は本日は視察へ向かっています。殿直々に行きますからね。殿は郭嘉殿と夏侯淵殿だけでいいと言ってたんですが、俺も行くぞと言い張って」
「あははあ、想像できるねえ」

曹操はきっと気休めとして行きたかったのだろう。自由を好む人だと賈クには思えた。
しかし、視察をしているのならば案行なんて必要だろうか。案行もほぼ変わらない。ただ見回り、調べるだけだ。確かに民から徴収も何もしないが、行うことはほぼ同じである。

「ま、行くとしよう」
「はいっ」

愛用馬と、淵師も己の馬を引き、厩から離れた。横に並ぶ彼女の足取りが軽い。そこまで面白いと思えるのか。賈クは、一生かけても分かることはできないだろう、と苦笑した。
だが、淵師がいるのなら、面白いかもしれない。賈クは横目で淵師をみると、ふと目が合い微笑を浮かべられるのを見て、なんだか目を逸らしたくなった。微妙な気持ちを感じながら、馬に跨る。今回は蹴ることはなく、ゆっくり進んでいった。傍らにいるのは淵師。
賈クは、分からないと思っていた面白いという感情をわずかに思ってしまった。



「わあ、凄い! あっ、あれって華南で流行ってる……」
「こら、勝手に行くもんじゃない」
「あ、ごめんなさい」

馬を降り、近くの建物に紐をかけ、その場に置いて行く。ぶるる、と静かに待つ馬を撫でてやると、それを淵師はじっと見つめていた。

そして現在、わいわいと賑わう街並みを見て淵師は感嘆の声を漏らしていた。賈クは半ば呆れつつ、彼女についていく。このままではどこかに行ってしまいそうだ。一応、視察ではないが案行へと来たのである。

「あとでなんか買ってやるから、ほら、ついて来るんだ」
「はい」

とてて、と後ろに並んでついてくる。
歩幅が合わないのか、必死に走って来てくれた。それが子犬みたいだと、もっと早く歩いてしまう。普通なら彼女の歩幅に合わせるのかもしれない。しかし、

(この反応は面白い)

賈クは頬が緩んでしまい、咄嗟に顎鬚を撫でた。ぴた、と歩みを止める。背中に子供体温じゃないかと勘違いするほど、暖かい彼女がぶつかった。「うっ」などと色気の出さない声を出すものだから、さらにおかしく思える。

「ど、どうしました?」
「案行はもう済んだ。さて、二人きりで買い物といこうか」
「全然見てないですけど、よいのですか?」
「んー、まぁ、何とかなるさ。それより、あんたの反応が面白いもんでね。気が気じゃない」
「ははあ、なるほど」
「それは俺の専売特許。使うなら、お金を要求させてもらう」

賈クは冗談で手を出すと、淵師は「えっ」と顔を青ざめさせる。
その反応に、彼は笑ってしまった。二人は先ほどまで歩いていた街へ戻ると、今度は歩幅を合わせて歩いて行く。
きょろきょろと辺りを見回す淵師に反して、賈クはただ真っ直ぐ前だけを。すると、ふと淵師に袖を掴まれ、賈クはその足をはた、と止めた。

「あの、少し買い足ししてもよろしいですか? せっかく街まで降りたのです」
「あぁ、いいさ」

きっと執務にでも使うのだろう筆や墨を売る、日用品店のようなところへ淵師は向かった。店内はそれほど広くなく、細筆や重り、骨董品などが売ってある。

華北には値を張るものがたくさんあるのか、と賈クは改めて思った。もっと北ーー涼州の辺りはここまで高くはない。
横で愛用の筆を見つけた淵師にとっては、この値が当たり前なのだろう。ふと、彼女に他の世界を見せてやりたくなった。

「少し待っててくださいね」
「わかったよ」

賈クは先に店を出るよう指示をされ、人が自分以外存在していないかのように、ぶつかることなく通って行く姿を、壁にもたれながら見つめていた。
まるで、それは賈クが打算で処世してきたように、手際よく人を避けている。

(俺は淵師を避けて……いや、避けなくても寄ってくるか)

腕を組み、ははあ、と小声で笑った。



「賈ク殿、お待たせしました!」
「あぁ、おかえり。んー、買い物できて満足そうな顔だね」
「はい。あっ、そうだ賈ク殿、これ……」
「ん?」

彼より幾分か小さな手のひらで、賈クの手首は掴まれる。強引に指を開かれると、そこには彼女が確かによく使う、筆が一つ握らされた。

「あんた、」
「あの、前に賈ク殿の執務室へ足をお運びしたとき、筆先が広がりかけてらしたので」

「申し訳ありません」と、淵師はぺこりと謝った。

「いや、謝ることじゃない。ただ、贈り物ってのは男から……あははあ、ま、そんなのはいい。ありがたく受け取っておくよ、淵師」
「良かった……!」
「おいおい、あんたが喜んでどうする」

淵師に改めて礼を言う。
彼女はにへらと笑った。不意にその笑顔を見つめられない賈クがいた。平常心を保ち、真顔で視線を逸らす。

(これは……まさかな)

いくらなんでも遅すぎる、年の差だとかいろいろあるし、何より淵師には……。
それ以上考え、軍師は私情に流されてはならないと己を律した。決して今は戦時中ではないが。

「小腹が空いたな……淵師、暇なら昼も兼ねて食事でもどうかな」
「いいですよー」

既に収まったが、淵師を見ると落ち着かない。先ほど気が気でないと言ったが、これは想像以上にそうだ。
笑顔で落とされたのか否や、取り敢えず横に並ぶ淵師を見て、賈クは困ったように笑ってしまった。


(彼女と共にいた時間が宝物)







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