Nothing changes.
何をしているのだ、と賈クは疑念を浮かべた。
がたがたと窓が揺れている。既に時刻は昼を過ぎ、陽がてっぺんに昇りつめていた。それなのに、やけに肌寒い。
眼前で持ち前のジャージを着て、体を震わす生徒を見る。物干し竿には彼女が先ほどまで着ていたシャツとスカート。
生徒だからなのか、彼女――淵師だからなのか、欲に駆り立てられることはなく。いや、学校に身を置く以上、年の離れた生徒に駆り立ててしまったら、それはなんて最悪なことか。学園長に仕事をなくされ、賈クという人間にはこの先真っ暗な人生しか残されていないだろう。
ストーブの前でぼんやりと賈クを眺める淵師を、見つめ返した。
それでもやはり、賈クは疑念を浮かべる。彼女は、どう見てもサボりにしか見えなかった。
「着る物はあるんだし、さっさと授業に出たらどうかな?」
「……うーん、めんどくさいからいいです」
「ははあ。全く、困った生徒だ」
笑ったものの、内心げんなりとした。
よりにもよって、淵師が用務員室に来るとは思っていなかったのだ。
三限目を終え、淵師は教室へと移動をしていた。普段通りの雑用を済ます賈クは、廊下の窓拭き。バケツを放ってはいたものの、さすがに高校生にもなって、足元を気にせず歩く者はいないであろう、と思っていた。
鼻歌交じりに窓を隅々まで拭く。綺麗にしておかないと、学院長とその息子の生徒会長がうるさくてたまらない。
「あ、賈ク先生ー!」
「おっと」
「う、わっ?」
廊下に、薄汚れた水が広がる。
賈クは盛大にため息を落としたと共に、周りに集まる好奇の目をすべて睨み返した。
▽
(俺も変な奴に好かれちまったもんだ)
冷たい床のせいでお尻まで冷たくなってきた。あぐらをかいて、膝に肘を置き、頬杖をつく。ストーブが暖かい。むしろ、膝小僧が暑くなってきた。
「本当にごめんなさい」
「謝るなら授業に出ることだね」
「じゃあ、あと一時間休ませてください」
なんて図々しい子だ、と賈クは苦笑した。
昔からそうだと思ったが、彼女はそれを知らない。なんせ、淵師の過去を知っているのはこの世で彼しかいないのだから。あくまで推定の範囲で、だが。
「ま、俺もおかげで仕事をサボれている。一時間ぐらい大目に見てやるさ」
「ありがとうございます」
そうして、淵師は膝を抱えた。
顔を膝にうずめ、眠りにつくようだ。全く不用心すぎるのではないか。
これが俺ではなく郭嘉殿だったら、手を出しているに違いないね。また賈クは呆れたように笑う。ゆっくり、砂時計の砂がこぼれ落ちるように、髪の毛が膝に広がっていくのを見つめた。
頬杖のせいで、骨が膝に刺さり痛い。
賈クは背を伸ばすと、壁にもたれかかる。
(そうやって、一人で悩む癖も昔から変わっちゃあいないねえ)
きっと、何を悩んでいるかはわかる。
どうせ昼前からここにいるから、空腹に違いない。賈クは用事を思い出したと言わんばかり、無言で立ち上がる。
「……どこへ行かれるんですか?」
「どこにも行きやしない。ほら、休んでてくださいよ」
「はい……」
眠そうだが、淵師は笑う。
全く、と賈クは肩を竦ませて、カーテンで隠しているつもりの台所へ足を運んだ。
冷蔵庫から、曹操から支給してもらっている弁当を取り出す。
それをレンジで温めると、待っている間に机に散乱する書類を片付けた。
「淵師、これを食べたらさっさと授業に行くこと」
「え? いえ、でもこれは賈ク先生のお昼ですから……」
起きたばかりの、ぼんやりとして熱っぽい眼差しに賈クはぎょっとするも、机に座るよう合図した。とんとんと指で叩くも、淵師は遠慮をしている。
「俺はいい、あんたが食べてる姿でお腹いっぱいだ」
「な、なおさら駄目です!」
何を怒るところがあるのだろう。
ため息を落とす賈クは、強引に淵師の腕を掴むと、立ち上がらせた。
「そうだ、交換ってことならいいかな?」
「交換ですか?」
「あぁ。俺の高級弁当と、淵師の愛情たっぷり手作り弁当をね」
「愛情っ!?」
かああ、と頬を真っ赤にする淵師。
まだまだ子供らしい反応だった。それと共に窓が風で叩かれる。賈クはストーブも取り上げた。
既に選択肢はない。淵師は肩を落として、渋々椅子に座った。
弁当を挟んで賈クも座る。見られているとやはり恥ずかしい。恨みを込めて賈クを睨むが、それも彼には効かなかった。
「さ、召し上がれ」
「……その代わり、先生が私のお弁当を完食するまでずっと見ておきますからね」
「あははあ! それは怖い」
「……いただきます」
ひょい、と箸をとる。
正しい箸の持ち方に賈クは何故か関心をした。最近用務員室に遊びに来る生徒は、女子含め箸の持ち方が正しくない。
別に賈ク自身とても綺麗な持ち方というわけではないが、彼の思う前世とやらのせいで、食にはなかなか厳しい目をしている。
「淵師、俺はあんたが懐かしい」
「どうしてですか?」
「んー、会ったことがあるからね」
「……ごめんなさい、分からない、です」
「そりゃそうだ」
賈クは、嘲笑を含み、天井を見上げた。
(何も変わらない)
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