戯言スピーカー | ナノ



 


彼女と一瞬、触れ合った。
郭嘉にとってはそれは嬉しいことだった。だが、触れ合うことを他の女性と同じくらい嬉しいか、と問われたらそんなことはない。
淵師だからこそ、ここまで心が高鳴ったのだと思う。

知恵比べをして、気付けば長い月日が経った。いつしか、淵師と知恵比べ以外にも、二人きりでいたいという願望が生まれていた。
一昨日の宴会の夜、それを告げようとしたのに叶わない。彼女には見せたくない、発作が郭嘉を襲ったのだ。

郭嘉は長椅子に腰掛け、文机にたまる執務の一つを手に取る。
やるべきことはやらないと。いや、やはりやめておこう。
こうしてる間にも、淵師を思ってしまった。なんて女々しいのだろう。

普段の郭嘉からしてみれば、美女が並ぶ城内でも、特に目に入ったものがいたら声をかけ、相手がその気になれば二人きりになっていた。



この病がいっときのものなのか。
知りたくもない。と、郭嘉はやはり執務を放棄する。体を長椅子に預け、目を閉じた。
治る病なら今頃治っている。
不治の病だとしたら、これからも自分の体を蝕んでくるはずだ。ぞっとする。

刹那の夢に生きるのではないか。
小さく、自分を嘲笑する。郭嘉は立ち上がった。

行き先はまだ決まっていない。


「ーー私を見てください!」

なんてことを言うものだ、と。
頬から伝わる彼女の熱。胸の奥が疼いた。嬉しくて、たまらなくなった。
ここまで郭嘉を夢中にさせ、何も言わずとも彼のしてほしいことを、してくれる。郭嘉にも分からないことだ。

その手のひらに、己の手を重ねる。
淵師が可愛くて仕方がない。
今まで彼女より、色気もあって、世間からみたら美しい女を見てきた。しかし、彼女は特別だ。誰より美しい。

だからこそ知恵比べをここで終えたくないものだ。

「知恵比べをしてください」
「うん」
「私が勝ったら、願い事一つ聞いてください」

郭嘉は笑った。

「もちろん」

そう言うと淵師は郭嘉の頬から手を離そうとする。駄目だ、まだ触れていたい。すると、彼女は郭嘉の両手を包んでくれた。
驚く反面、胸が高鳴る。
郭嘉は淵師をじっと見た。気恥ずかしそうにして、彼女は彼から手を引こうとする。


「待って。あと少し、あなたを感じたいな」
「……はい」

逆に淵師の両手を包んだ。
彼女は、嬉しいのだろうか、暖かいからなのだろうか。愛らしく笑っている。

「可愛いね、淵師は」
「そ、そんなことないです」

そう言って俯いた。

「恥らう顔もとてもいいよ」
「何を言ってるんですか。ほら、最後の知恵比べをしますよ!」

最後の知恵比べ。これからもずっとしていくものだと思っていた。それに幕を閉ざそうとしているのは、郭嘉である。あまり実感はわかない。
淵師は普段通りの場所へ腰掛けた。気付けば手を離していたようだ。もったいない、と思いつつ郭嘉は、座り慣れた椅子へ座る。手を伸ばし、散らばった駒を集めた。

淵師が泣きながら、自分がくる前に復習でもしていたのか。
罪悪感に苛まれる。反面、彼女と本気で挑み、もし淵師が勝ったなら、彼女の願い事を叶えよう。

淵師の願い事が、郭嘉から離れるような願いならば悩むが。
多分、郭嘉は意地でも止めるだろう。ここまで自分を陥れたのだ。逃がすわけがない。


「淵師が赤の駒、か。うん、久しぶりにいいね」
「頑張って……勝たせていただきます」
「はは、楽しそうだ。私もなんだか楽しいよ」

本心から思った。
不思議と胸が暖かくなる。魔法のようで、あまりにも非現実的だからこれは夢なのではないか。
郭嘉は心の中だけで笑った。



(郭嘉の苦悶)