ぱちん、ぱちんと駒を置く。 視線だけを動かし、敵軍の将兵の配置や兵糧庫の場所を確かめる。そうだ、ここに兵を誘導してしまえば……。 私は身体を屈め、随分と前に駒を置いた。すでに読んでいたかのように、次の一手が郭嘉殿により下される。 「お手上げかな?」 「まだいけます……」 ぱちん、と駒を置いた。 郭嘉殿の笑顔は崩れないまま、腕を伸ばし私の置く駒を崩そうと、青いものを三つ並べる。 時間があっという間に流れていく気がした。勝てる確証がない限り動くことはできない。郭嘉殿には微塵の隙もなかった。それがやけにむず痒くて、煩わしくて、焦ってしまう。 「あなたはあなたのままでいいんだ」 「はい」 「ーーそう、そこに置けば私は」 「あ……!」 郭嘉殿は声をあげるも控えめに笑った。 最後の駒を、静かに置く。勝ったのだろうか。顔をあげ、郭嘉殿の顔を見つめた。 普段通りの顔に、眉根が下がっている。 「とても楽しかったよ、淵師。今回は私の負けだね。でも、悔いはないな」 「やった……!」 つい、はしゃいでしまい机を大きく揺らしてしまった。崩れた駒を郭嘉殿は卓上の中央に集め、地図を折るとその上に置いた。 「じゃあ、淵師の願い事というのを、聞かせてもらおうか」 「笑わないで聞いてくださいね?」 「あなたの願いだ、笑わないよ」 私と郭嘉殿の間に机を挟んで椅子に腰掛ける。見つめられ、見つめ返した。 何人の女人を落としたのだろう、と思う艶やかな笑みに頭がくらくらする。 そうだ、私は彼が好きで、彼は私が好きだったんだ。 郭嘉殿の好き、が他の女性と同じ好きだったとしたら、少し悲しい。いや、とても悲しいものだ。 「私は、郭嘉殿が好きです」 「うん」 「……朝一番に私はあなたの顔を見たいです。おはようと言ったら、おはようと言ってくれて……。それで、同じ土を踏み締めて、朝を迎え、昼が過ぎ、宵を越えたら共に眠りたい、です」 「……うん」 「お酒を飲んだら、介抱をしてください。代わりに、郭嘉殿がさみしいとき私がいつも側にいます」 「ありがとう、淵師」 「それで、終わりです……」 言い終えた。どっどっ、と胸打つ鼓動を抑え、大きく息を吐く。 もう、言いたいことはない。馬鹿馬鹿しい願いだけど、これが本心からの願いだ。郭嘉殿をみると、彼は私をただ見ているだけだった。 熱のこもった視線。ぐ、と体に緊張が走る。 「横、いいかな」 「ど、どうぞ……」 今いた場所からどき、彼は私の隣にある椅子へと移動した。ふんわりとした甘い匂いに、抑える鼓動が更に高鳴る。 もう駄目だ、と諦めたくなった。意識を手放したくなるほど、恥ずかしくて、かっこよくて、どうしたらいいのかが分からない。 すると、郭嘉殿はそんな私に追い打ちをかけるように両手を優しく包んだ。 「淵師、私は、いつかあなたの願い事を損ねるんだ。それがとても怖いよ」 困ったように郭嘉殿が笑む。 「……まったく、馬鹿みたいだ。女性のことでこんなに悩むなんてね。ねえ淵師。私には一つ分かることがある。……朝、おはようと言えないかもしれない。夜も共に居られないことも考えられる」 郭嘉殿は、私の身体を、そっと抱き寄せた。 「それでも、あなたがお酒に酔うとき、介抱をしてあげることはできるよ。 あなたが起きているとき、私は息をして、あなたの横で共有をする。……とても、夢想的だろうね。淵師、私はあなたの最後の願い事を叶えるため、横にいさせて貰っても……いいかな?」 「……っ、かく、か殿……!」 「あぁ、泣いちゃって……」 頭をゆっくり、髪の毛を梳きながら撫でられる。彼の肩に顔を埋め、こぼれ出る感情に素直になった。傍らには郭嘉殿がいてくれる。それがとても嬉しい。 触れることはないと思っていた彼に触れている。理解できない苦しみを理解できた気がした。 「郭嘉殿……」 「……怖がらないで」 身を引き離すと、慈しむような眼差しで顔を覗き込まれる。とうとう、なんて待ち侘びたように思うが、いざ彼の顔を見ると自信が消えて行く。 目元の涙を親指で拭われ、そのまま彼の唇が私のそれと重なった。応えるのに必死なのが、いかに自分が経験ないのかが丸わかりだ。 「……っ、はぁ」 「初めてを頂いた、ってところかな?」 「……はい」 頷くと、先ほどまでの緊張もなくしたのか、郭嘉殿は触れるだけの口付けをした。離れると、頬を優しく撫で、また口付けを落とす。 「好きだよ、淵師」 「私も好きです。郭嘉殿」 身を寄せ合い、彼の胸にことんと頭を当てて、その鼓動を聞いた。とても早くて、なんだか恥ずかしくなる。背中に腕を回した。 また郭嘉殿は私の髪を梳いている。 「なんだか悩みも吹っ飛んだよ。あなたといたいなら、あなたといればいいのに」 「……へへ、ありがとうございます」 ぎゅ、と目を瞑る。 心地よい温度と、心音を耳にしながら、私は彼に体を委ねた。 (知恵比べは終わり) |