宴会は終わり、後日、目が引きつる感覚を感じて私は朝を迎えた。染み渡る頭の痛みに、顔をしかめる。 額に手を当てたまま、寝台から体を起こすと、女官の者に渡された水を一口喉に流した。乱れた衣服を直し、鏡の前で髪をすく。 ……そういえば。 あの後、残念なことに何事も起きなかったのだ。郭嘉殿の言おうとした言葉も理解できることはなく、またいつか教えてくれると彼は約束をしてくれた。 昨日郭嘉殿を襲った痛み。あれは思い出すたび胸がざわめく。そこの記憶だけ抜けてくれればいいのに。そう思っても、あいにく、現実は厳しい。 ため息を落とした。 鏡台に布をかけ、櫛を置く。服を着替えたらまた知恵比べに挑もう。その前に、昨日の復習でもするべきか。 うんうんと悩むが、結局復習はせずに知恵比べへ挑むことにした。 肌着をおろすと、冷たい外気が私の肌をぴりりと刺した。 * * * 「今日もお願いします」 まず、部屋に入り卓上を見た。昨日と変わらないままだった。椅子には誰も腰掛けていない。どうやら郭嘉殿はまだ来ていないようだった。 残念、と思う反面ほっとする。先に椅子に座り、散らばった駒を集めた。彼が昨日持て余していた赤の駒。敵軍、という位置で彼はあえて不利なほうを選んでくれている。 いっとき前までは、私も郭嘉殿の言う卑怯な策ーー奇襲や、火計も使えていた。 使えないのは、きっと、いや、絶対自分をよく見せようとしているからだ。 なんて馬鹿馬鹿しいことで、自分を意識してもらおうとしているのだろう。 (単独で遊んでもらっているだけで、きっと郭嘉殿のことが好きな人からみたら妬ましいことなんだろうな……) まだ、女官たちにはこのことは気づかれていない。気づかれてしまえば、私はここに立てないだろう。そう考えると郭嘉殿と婚姻した女性は、過酷な運命を歩むに違いない。 「わっ」 「わぁあっ!?」 がた、と椅子から転げ落ちそうになってしまった。机に身を伏せ、振り返る。青ざめた顔で背後にいる、郭嘉殿を凝視した。 「ごめんね、淵師。なんだか構ってほしそうな背中だったんだ」 「お、驚いて死ぬかと思いましたよ……!」 「はは、死ぬのは駄目だけど、そこまで驚いてもらえたなら満足かな」 頭を撫でて、郭嘉殿は私の横を通り、前にある椅子に腰掛ける。私もそうすると、胸のどきどきと共に地図を見つめた。 「さぁ、始めようか」 「お手柔らかにお願いしますね」 * * * 事態は想像以上に深刻だった。 またも、戦場で言うなら敗走の危機。いや、敗北の危機と言った方がいいかもしれない。 優勢だった私の軍は、彼の鮮やかな手並みに押されていた。既に何をしようとしているのかも、読まれているかもしれない。 「淵師、少しいいかな?」 「は、はい……?」 郭嘉殿は立ち上がると、私の背後に立つ。そのまま私の腕を掴み、私が敷こうとした布陣をあっさり見抜かれた。 「こう駒を並べたら、軍が分断されちゃうね。私の軍に攻め込まれたら、終わる。だから……」 「あ、ちょっと待ってください。それなら、私が分断してることに気付いてない、と郭嘉殿は言いましたよね? 実は気付いていて、この崖上から奇襲はどうですか?」 「あぁ、それもいいね。やはり淵師には才能がある。……でも、あなたはそれをしない。どうしてかな?」 腕を引かれ、彼と向き合う形になる。もう片方の手で私の顎を上げると、その瞳と向き合わされた。頬に熱が集中するのがわかる。逸らしたいのに、とらえられたように離せない。 「教えてくれるかな? 淵師」 「か、郭嘉殿……」 ぞわ、と身体中が震える。 私の手首をつかむ彼の手を引き離そうとしても、敵わない。 「私は淵師に嫌がられているようだね。今から離れるから、ほら、暴れないで」 「い、嫌がってなんていません……」 「無理やり問われてるのに、それが嬉しいとでも言うつもりかな?」 「……郭嘉殿なら、大丈夫です」 「はは、可愛いことを言うもんだ」 ぱっと手を離し、彼は私から身を引いてもとの椅子へ戻る。 「今日はもうよそう」 「……わかりました」 今度は、郭嘉殿は片付けることもせずに出て行く。何も言葉は交わさなかった。 それを寂しく思い、一言彼の名前を呼んだが、郭嘉殿は戻ってくることはない。 一瞬、郭嘉殿に近付いたのはあれはただの戯れだったのだろうか。 泣きそうになるが、そっと胸に仕舞い込み、片付けを始めた。 |