戯言スピーカー | ナノ



 


とうとうやってきてしまった、宴会の時間。給仕の者に、女官、そして舞妓がよく働くその場では、私にやることは何もない。酔い潰れる兵たちに絡まれないよう、微妙な距離をとりお酒をちびちびと飲む。いっそ自室でお酒を飲もうかと思った。しかし、郭嘉殿がどこかにいるかもしれない。視線だけで探しつつ、一口お酒を含んだ。

だいたい髪色で分かるのではないか、と考えたが案外見つからない。肩を落とす自分に、がっかりしてはいけないと叱る。

「あっ」

諦めそうになったとき、遠くに薄い色彩の髪色をした、うん、あれは郭嘉殿に違いない。目が合った。ひらひらと手を振る郭嘉殿の横には、意外と殿しかいない。安堵した自分に、悲しくなる。

だんだんと近寄ってくる郭嘉殿。緊張が高まってきて、私は気を紛らわそうとお酒を一気に飲み干した。かぐわしい香りに、酸味のあるお酒。気分が良くなる反面、胃がもたれそうだ。

「淵師が一気に飲むとはね。しかし、顔がとても赤い。あなたも彼らみたいに酔い潰れそうだよ」
「大丈夫です……」

そうは言ったものの、頭がくらくらしてきた。急速的に睡魔が押し寄せてくる。
郭嘉殿が珍しく眉を寄せ、心配そうな顔で私の額にかかる髪を撫でた。

「少し酔いを引かそう。淵師、立てるかな?」

肩に手を置かれると、私は頷いた。
支えられながら立ち上がり、最初はふらふらとした足取りだったが、次第に安定して歩けるようになる。
華やかな衣装の舞妓が、周りの人たちの気持ちを高ぶらせている。給仕の者に水を貰うと、私は郭嘉殿に連れ出され外へ向かった。


* * *


ひんやりとした空気は、やはり乾いていた。喉元をくすぐる風に身震いをしてしまう。これほど寒いなら上着ぐらい持ってきたら良かった。

「寒そうだね」
「あっ……」

ぐい、と身を寄せられる。
彼は何も言わなくても、私が求めていることをしてくれる。ふと、それを他の人にもしていくのか、と思って、自分で自分を傷つけてしまった。
馬鹿馬鹿しい嫉妬だとは思う。経験を積んであることだと余裕は持てるが、本当に恋愛ごとには経験がない。恥ずかしくはない。

「ありがとうございます。へへ、暖かいです」

これは本音だった。
横に並ぶ郭嘉殿を見上げると、とても穏やかな顔で私を見つめてくれる。
ひゅうひゅうと風が吹いた。地面から、枯葉が土を踏んで歩く音が聞こえる。からからと、耳に心地よい音だ。

肩に置かれた郭嘉殿の手のひらからは、薄い肌着のせいか温もりがじんわりと染みてきた。不思議なもので、それは心にも染み渡る。もし私が胸襟を開けるならば、想いを伝えるに違いない。

それは、どう足掻いてもできないのだけれども。

「私がここに連れてきたのは、あなたが心配だったからなんだ」
「え?」

今、ここに吹く風のように掴めることなく郭嘉殿は呟いた。憂いを帯びているその瞳は、明後日の方向をしっかりと見ている。

「先ほどの淵師の顔は、見た者全ての心を奪い取るだったろうね。人によっては、欲に負けるかもしれない」
「郭嘉殿……」
「あなたは無防備すぎるよ。今ここで私があなたを襲っても、何も抵抗できない」
「……郭嘉殿は、卑怯なことはしません」
「本当に純粋だ、淵師。そこが私は……ぐっ」

何かを言いかけた瞬間、郭嘉殿は胸元を抑えその場でうずくまった。あまりの事態に驚き、誰かに助けを求めようとしたが、それは郭嘉殿に制止される。

「か、郭嘉殿……!? 大丈夫ですか! 郭嘉殿!!」
「……うん、大丈夫だよ。淵師」

静かに立ち上がり、郭嘉殿は普段と同じような笑みを浮かべた。月夜に紛れ、その蒼白さまでは見えない。私の心が冷え渡る。冷や汗をかきそうになった。
胸があまりにもざわつき、とうとう泣きそうにもなる。

「あぁ、あなたの泣き顔は見たくなかったのに……ごめんね、淵師」
「……いいえ、私こそごめんなさい……。あの、医師には言わないのですか……? せめて、殿だけにでも」
「それはできない。淵師。……このことは他言無用でいいね」

目尻の涙を親指で優しく拭い、郭嘉殿は私を抱き寄せる。生きている。彼は、私の隣で。このまま陶酔しそうだ。郭嘉殿が私をどう思っているかは分からないが、また同じように歩きたい。

やがて身を離されると、郭嘉殿は庭に腰をおろした。ぽんぽんと横を叩くと、それは座れという合図らしい。
まだ早鐘が止まらない心臓を気にしながら、私はそこへ座る。

「……さて、月を眺望しながら、乾杯」
「はい、郭嘉殿。乾杯」

寒く感じたのに、今はなぜか体が火照っていた。またお酒を飲んだら酔うんじゃないかと焦ったが、あいにくこれは水である。郭嘉殿がくすくす笑うせいで、恥ずかしさにより結局暑くなってしまった。

郭嘉殿に何があるかは分からない。多分、教えてくれることはないのだろう。

「そういえば郭嘉殿」
「うん」
「先ほどの言葉の続きって……?」

そう問うと、郭嘉殿は肩を竦ませて小さく笑んだ。

「なんだろうね。秘密だよ」
「えっ、気になります」
「……そうだね、一つ教えてあげる。あなたが私のことをそう思ってくれてたらいいのにって言葉だよ」

それは、あまりにも難解な言葉だ。
月の光で妖しく見える郭嘉殿の笑みに、私は心打たれた。


(知恵比べ休憩)