小説 | ナノ
第五話___ただいま___



会いたい。
ただそれだけしか考えられなかった。


行儀が悪いとか、はしたないとか、全く気にする余裕はない。一刻も早くこの目で確かめたい。
この扉の向こうにいる人が、自分の愛した夫なのかどうか。

台所までの廊下は昔のまま。
しかし、台所へ続くだろう扉は現代的なものだ。
私はまるで、この廊下が、前世から今世への道、あるいは、夫を想い続けた期間、今まで夫と出会えなかった時間のような気がした。

一瞬のような、永遠のような感覚の中、ひたすら足を動かして、目の前にある扉に手をかけた。
扉を押し開く際、長く暗い迷路を経て、ようやく出口にたどり着いたかのような安心感を覚えた。

ようやく、私の光に会える。

薄暗い廊下から、光あふれる空間に、あの人の元に飛び出した。

________


扉を開き、彼を目に留めた。
彼は前世と寸分違わずそこに立っていた。

持ち前の明るさを表すかのような、毛先にかけて赤くなっている炎のような髪色。
凛々しく、黒い眉毛。
意思の強さを象徴する、髪と同じ色の大きく開いた瞳。
剣道着を着ていても分かる逞しい体。
その全てが愛おしい。

彼は私を見た瞬間、その大きな瞳をさらに広げ、驚いた表情をした。
当たり前だ。こんな乱れた格好をした女がいきなり入ってきたら、誰だって驚くだろう。
そんな表情すら懐かしく、狂おしいほどに愛おしい。

扉を開いた際に止めた足を踏み出し、私は光に手を伸ばす。


「杏寿郎!!」


ただただ愛しいと思う気持ちだけを抱えて、彼の胸に飛び込んだ。
前世と変わらず、私が思い切り抱きついてもよろけることなく、いとも簡単に私を抱き留めた。

「杏寿郎…杏寿郎なのね?あなたは、煉獄杏寿郎…私の、私の夫の…!」

目の前の愛しい存在に、“煉獄杏寿郎であるか”を聞いた。
私の魂が、彼がそうだと叫んでいる。
もちろん分かっている。この人こそ、私が前世で愛し、今世で無意識に探し続けていた人であると。
それでも、聞かずにはいられなかった。
この人の口から、彼の存在を肯定して欲しかった。

「…真奈…本当に、真奈、なんだな?」

抱き留めた時に私に回していた腕を強めながら、彼は聞いてきた。
そうだと伝わるように、何度もうなづく。

ああ、やはりこの人だ、と思った。
何も聞かずとも、この人は既に記憶があって、きっと私を探してくれていたのだと分かった。
思い出すのが遅くなってごめんなさい。
あの幸福な思い出を忘れていてごめんなさい。
ずっと、ずっと会いたかった存在を前にして、私の涙腺は決壊した。

溢れる涙をそのままに、濡れた顔を上げ、愛しい夫の顔を見つめた。

「はい。遅くなってごめんなさい。…あなたの前世の妻の、真奈です」

愛しくて愛しくて、自然に笑顔になった。
彼の綺麗な瞳からも涙が溢れ、ぽた、と私の顔に降ってくる。背中に回していた手を彼の頬に添え、流れる涙を指で拭う。
彼も私の存在を確かめるかのように両手で私の頬を包み、涙を拭ってくれる。

「真奈…!真奈、ようやく会えた。…そうだ、俺は煉獄杏寿郎。君の、前世の夫だ」

私の胸は歓喜に満ち溢れた。
前世では12年間という短い期間しかともに在れなかった。任務で会えない期間も多く、時間換算したらもっと短い期間だろう。

しかし、決して不幸ではなかった。
杏寿郎の20年という短い生涯を、隣で、妻として過ごすことができた。杏寿郎の愛を、一身に受けることができた。
辛く、悲しいことも多くあったが、私の前世は幸せだった。
そしてこれからは、長い時間をともに過ごせるだろうと確信している。

私たちは、会えなかった時期(とき)を埋めるように、もう一度、強くお互いを抱きしめた。



ようやく、私の元に帰ってきてくれた。
やっと、2人でここに帰ることができた。
前世の夫へ最期に伝えた言葉。聞こえているかも分からなかったが、伝えずにはいられなかった言葉を、もう一度。

「杏寿郎様、長い間のお勤め、ご苦労様でございました」

そして、目の前の、今世の夫に対しては、この言葉を伝えたい。


「お帰りなさい!」

________


扉が開き、相手を認識したとき、目を疑った。
そこには、今もなお求めてやまない、前世の妻が立っていた。

走ったからか少し乱れてはいたが、自分が求婚した際に贈った着物と櫛を身につけていた。
それらを贈ったとき、彼女は大層喜んでくれて、姿見の前で自分の姿をくるくると楽しそうに見ていたのを思い出す。

茶混じりの黒髪を纏め、変わらずにクラっとする色気を振りまいている。
少し垂れた、涼しげな目。
スッと通った鼻筋。
少し小さめな口。
あの頃と全く変わらないその愛しい姿に、自分は都合の良い幻覚でも見ているのか、と固まった脳の片隅で考えた。

唖然とそんなことを考えていたら、彼女がこちらに向かって駆け出してきた。
その姿さえも、任務から帰った際にいつも駆け寄ってきてくれた妻と同じで、反応が遅れてしまった。
辛うじて広げることができた腕。そして、俺の名前を呼びながら胸に飛び込んできた、愛しい存在。
何も考えずとも、前世のように自然と彼女を抱き留めていた。


「杏寿郎…杏寿郎なのね?あなたは、煉獄杏寿郎…私の、私の夫の…!」


夫、という言葉に、俺の胸は高鳴る。
彼女は覚えてくれていたのか、俺のことを。
歓喜に打ち震えるが、それでも彼女の口から聞かない限り、安心はできない。
彼女が本当に、俺の愛した妻、“幸田真奈”であるのかどうか。
俺は彼女の問い掛けに答えるのも忘れて、彼女に質問を返していた。

「はい。遅くなってごめんなさい。…あなたの前世の妻の、真奈です」

真奈はうなづき、顔を上げてそう言った。俺の好きな笑顔を浮かべて。

ずっと会いたくて、探し続けて、ようやく掴んだ俺の光。

前世で置いて逝ってしまった後悔、今世でなかなか会えずに焦がれ続けた想い、愛しい存在に触れることができる喜び、その全ての想いが溢れ、気がついたら真奈の頬を濡らしてしまっていた。

真奈は笑いながら俺の頬に手を添え、溢れる涙を拭った。
俺も、彼女の存在を確かめたくて、頬を包んだ。
相変わらず両手に収まってしまう小さな顔に、滑らかな肌。そこに流れる涙が、俺の落とした涙と合わさった。
溢れる涙を少しでも止めたくて、真奈の頬に手を滑らせる。

そこでようやく真奈の問い掛けに答えていないことを思い出し、彼女と同じ、前世と変わらない自分の名前を口にした。

「真奈…!真奈、ようやく会えた。…そうだ、俺は煉獄杏寿郎。君の、前世の夫だ」

長い間待たせてしまったが、俺はようやく、妻の元に帰ることができた。
万感の思いを込めて、真奈を抱き締める。

「杏寿郎様、長い間のお勤め、ご苦労様でございました」
前世で、妻が最期に伝えてくれた言葉だ。
今でもはっきりと覚えている。
妻の顔を見ることは既にできなかったが、そばにいて、ずっと俺に伝え続けてくれた。

俺への労いと、後のことは心配せずゆっくり休めと。
これからもずっと愛している、と。

それを聴いて安心した俺は、来世での再会に想いを馳せながら、穏やかな気持ちで眠りにつくことができた。

「真奈、俺の方こそ、遅くなってしまってすまない。それから、子どもたちを立派に育て上げてくれて、ありがとう!」


そして、今世の俺に対して伝えてくれた言葉。

前世では、俺は生きて帰ることができなかった。
できることなら、帰って子どもたちと妻を抱き締めたかった。
ずっと、そばにいたかった。

そう、考えない日はない。
例え、悔いのない選択をしたと、胸を張ろうとも。
だが、過ぎ去った時間は戻らない。ましてや、今世で新しい人生を歩んでいる最中だ。
前世は前世。今をしっかりと生きなければ。
それでも、思えば俺はずっと、前世での心残りに囚われ、抱えて生きていた。

守るべき我が子と最愛の妻を遺してしまったこと。
我が子の成長を見ることができなかったこと。
後のことを全て妻に任せてしまったこと。
そして、帰ることができなかったこと。

しかし、これらの心残りを、前世に囚われていた俺を、妻はたった一言で、最も容易く掬い上げてくれた。

俺はようやく妻のもとに帰ってくることができたのだと、腕の中の温もりが教えてくれる。
今は妻だけだが、近い将来、また会えるだろう子どもたちにも伝わるように。


「 ただいま 」


前世では、この愛しい存在と、自分たちの宝を置いて逝ってしまった。

今世こそは、彼女を死ぬまで守りぬく。
ずっと、そばにいる。

そう、堅く胸に誓いを立てながら、今まで会えなかった分を埋めるかのように抱きしめてくる真奈が愛しくて、ようやく掴んだ幸せをかみしめた。


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この次のお話からは前世編です。
どうぞお楽しみください。

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