小説 | ナノ
第一話___櫛___



私は日本文化が好きだ。
特に着物や和柄の小物などを好んでいる。

家では常に着物を着て、髪を結い上げ、暇さえあれば組紐をしたりしている。
子どもの頃はできなかった憧れの生活をようやっと手に入れた私は、とても幸せだった。


しかしながら、この世の中は世知辛いものである。
着物を着て外に出れば、異様な目で見られる。その上気持ちの悪い視線が突き刺さるため、慌てて家に逃げ帰ったものだ。

好きなものを着て、好きなものを食べて、好きなように生きる。
こんなささやかな願いすら、この世は許してはくれないのか。私は絶望にも似た気持ちを持ったりもしたが、普通に生活をするためには、と我慢した。
けれど今では、外では洋服、家では着物と着分けることで、なんとか周りに上手く溶け込みつつ、自分の好きなこともする、という生活を送ることができている。


私のことを理解してくれている友人たちは、好きな着物を着たらいいのにと言ってくれたりする。
私だって、そうしたいと毎日のように思っている。
だが、私の幼少期の記憶が邪魔をするのだ。

私は一度、誘拐されそうになったことがある。
小学校低学年の頃、友だちと夏祭りに行った時のことだ。暑いからと、親から散々ダメだと言われていたのにも関わらず、友人に勧められるがまま髪を結い上げてしまった。

いくら平和で安全な世の中になったとはいえ、人の心に潜む鬼は消えることはない。

私は髪を上げることで尋常ではない色気を出してしまうらしい。
そのため、髪を結い上げた姿を見た人身売買のグループのものに目をつけられ、人混みに紛れて連れ去られそうになった。
その時は幸い、防犯ブザーを持ち歩いていたため、口を塞がれ後ろから抱き抱えられた時、即座に鳴らしたことで事なきを得た。

だから私は、それ以降、外で髪を結い上げることはしなくなった。さらに、着物は髪を結い上げるものと思っているため、有事の際などにも着物を着ることはなくなった。

________


今日も今日とて、仕事の疲れを着物を着ることで癒していた。
色々と持っている小物のなかでも、櫛は私にとって特別である。なぜなのかはわからないが、小さい頃からずっと櫛が一番好きなのである。

それに、櫛は私の憧れでもある。
櫛は、苦と死を連想させられる上に、別れの呪いがあると言われたりもする。しかし、一昔前は、男性が女性に櫛を贈ることで、苦楽も死も共に、という意味のプロポーズであった。
私はそれを聞いて以来、プロポーズされるときは櫛を、と思うようになった。


小学生の修学旅行先の京都で買ってきた、ちょっとお高めの櫛は、私のお気に入りである。黒い漆塗りの上に淡いピンク色の桜が描かれたもので、とても大事にしている。
しかし、毎日使ってきたからか、先程見たら歯が欠けてしまっているのに気がついた。とても残念だったが、10年以上使っていれば仕方のないことと諦める。
この櫛は飾ることにして、新しいものを買いに行くため、洋服に着替えた。


櫛が好きで、いままで色んな櫛と出会ってきた。
素敵だな、かわいいな、と思えるものや、お気に入りのものはある。
しかしどれに対しても、これじゃない、という気がしてしまい、今まで私が心の底から欲しいと思えるような櫛には、未だ出会えていない。

運命の出会いとは、偶然であり、必然である。
そして、突然訪れるものである。

________


最近近くに出来た着物屋さんは櫛も売っていた筈だ、と考えながら歩いていると、道向こうでフリーマーケットが開かれていた。
骨董品を見ることも好きなので、気の向くままにふらっと寄ってみることにした。
商品を眺めながら、着物などが置いてあるブースに近づいていく。

その途中、たくさん並べられたブースの中に一つ、ぽつんと櫛が置いてあった。
流し見で歩いていたのに、その櫛を目にした途端、引き寄せられるように手に取っていた。
そこにいたのは着物を着た優しげなおばあさんで、そのブースには今手に取った櫛一つだけが置いてあった。


「…これは、この櫛は、売り物でよろしいのですか?」


尋ねずにはいられなかった。
この櫛がかなり古いものであることや、とても繊細な、それでいて力強い、職人技の結晶のようなものであることを抜いても、どこからどう見ても想いのこもったものであることが分かったからである。

それに何より、この櫛は、どうしようもなく私の心を揺さぶり、掴んで離さない。

『ずっとこれを探していた。やっと見つけた』

焦りにも似た気持ちに支配され、私は自分の気持ちに戸惑う。

そんな私に、おばあさんはにこりと笑顔を浮かべ、ホッと安心したかのようなため息をついた。

「それは売り物じゃないんですよ」
「やっぱり!大切なものなんですよね?でしたら、ここに置いちゃダメですよ、おばあさん」

売り物ではないという言葉に残念な気持ちになりながらも、慌てておばあさんにお返ししようと櫛を差し出す。
すると、「いいえ、そこでよいのですよ」と首を振りながら言われ、売り物でないなら何故?という顔をする私におばあさんは「ふふふ」とおかしそうに笑った。

「その櫛はね、貴方のものなのですよ」
「え…?」

意味が分からなかった。
しかし、手に持つとしっくりとくるこの櫛をよく見てみると、懐かしく、涙が出そうな気持ちになった。

『どこかでこれを、誰かから…』

何かを忘れているという感覚。
思い出さなくてはという焦燥感。

「その櫛はあなたに差し上げます。その代わり、少し私の家で話し相手になってくれませんか?」

突然の申し出に反応できず、櫛を持ったまま混乱しているうちに、おばあさんはブースとして敷いていた敷物をたたみ、「さあ、行きましょう」と私の手を取った。

「ま、待って下さい!こんな大切なもの、いただけません!それに、突然お邪魔するのもご迷惑でしょうし!」

なんとか櫛を返そう、家に行くのもなんだか怖いし、お断りしたい。そう思って声をかけたが、おばあさんは「詳しいお話は家でしますね」と楽しそうに人の波を器用に避けて歩いていく。
お年寄りや小さい子など、自分よりも弱いものには優しくあるべきだと思っているため、あまり強くは出られず、お家に着いて話し相手が終わったらお返しして帰ろう、と考え直し、おばあさんの敷物を預かって付いていくことにした。

________


この時、私はまだ知らなかった。
これから自分の身に起きる不思議な体験。
胸が張り裂けそうなほどの悲しみ、それを上回るほどの、たくさんの幸福な思い出。
そして、運命の再会。


まだ、何も知らなかった。
それでも、これから何かが起きる、それは私にとってとても大切なものになるだろう、という予感だけは、確かに感じ取っていた。


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