アポトーシス

 目が覚めて、数日前から部屋の片隅に置いてあった水槽を覗いた。なんとなく嫌な予感はしていた。水槽の底に敷いたキッチンペーパーの上にクタリと小さないもむしが横たわっている。いつの間にかパセリの鉢植えに棲みついていたソイツは、柔らかそうな黄緑色の体に黒と朱で模様が入っていて丸っこくて愛嬌があってなんだか可愛くて、ほんの少しばかり愛着が湧いてきたところだった。水槽の中のソイツはピクリとも動かない。それが生命活動のすべてを停止してしまっていることは、たとえそれが小さな虫であっても見ただけでわかるもので、コイツがもう二度と動くことはないという事実は何故だかチクリと胸を刺した。愛着が湧いていたとは言ってもガキじゃないので墓を作ったりするほど感情移入はしていない。水槽をいもむしごと片付けた。手のひらになんとなく感じた重みは気のせいだと思った。

 からっぽになった水槽から風に微かに揺れるパセリに視線を移した。台風が来るからと捕まえてから数日経ったころ、いもむしが水槽の中をウロウロしていた。幼虫から蛹へと変態するときにいもむしは10メートル程度移動するらしい。しかし、アイツは蛹にはならなかった。なれずに死んだ。どうやら命の長さは最初から決まっていてちゃんとしたタイミングで成長したり変態できないと死ぬようにできているらしかった。余計なことをしたのかもしれないと思った。蝶の姿を思い浮かべ、申し訳ないと思った。美しい蝶だった。よく知ってる黄色いアゲハとよく似ているが網目模様の黒い部分が多くて地の黄色とのコントラストがよりはっきりとしている。翅の端の青のグラデーションと赤い斑点が美しかった。

「見たかったな」

 ポツリとそう呟いた。

 そして、アレは何をしているんだろうと昔からよく知ってる男を思い出す。黄色と黒と青と赤と。鮮やかなあの蝶の翅がいけない。しまい込んでいた不必要な記憶を呼び起こす。

「似てるかも」

 自分は何者にもなれないまま朽ちていくだけなんだろうなと哀れないもむしを思い浮かべた。カレンダーを見て薄く笑って俯き首に手をやる。

「……酒でも買って来ようかなー……」

 重い腰をゆっくりと上げた。



(了)

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