03

「運転しねぇっつうのはラクだよなぁ〜」

 銀時が首を左右にコキコキと降りトントンと肩を叩きながらしみじみと呟いた。ふたりは展望台はなかったことにして、早々に本土最南端の岬をあとにした。自分で言っていたとおり煙草をくわえた晋助がハンドルを握り、助手席に銀時が座っている。

 銀時は晋助が持っていたファミレス『じょいふる』のチラシを眺めながら考えた。同じ道を帰るのも面白くないし、山を突っ切った方が距離も近そうだし、何よりさっき通った道には食べ物屋がない。山の方に行けばじょいふるがある。絶対ライスは大盛にしようと銀時は心に誓った。

 国道への標識が出て、晋助が「山側の道を通って帰るか?」と訊いてきたので、銀時はチラシに載っているオススメメニューの写真を眺めながら「そだなー。そっちの方がじょいふるありそうだしなー。まともなモン食いてぇし、」と答える。カチカチとウィンカーを出す音がして、晋助がハンドルを切った。

「あ!」

「なんだ? うるせーぞ」

 銀時は晋助には答えず、キョロキョロと車内を見回し助手席のシートの隙間に挟まれたじゃがりこの箱を取り出した。銀時は「やっと食える〜。俺のじゃがりこ〜」と満面の笑みで蓋を捲る。と、銀時が固まった。

「………オイ」

 一瞬の間があって銀時がゆっくりと口を開いた。

「ぁあ? どうした?」

「俺のじゃがりこがねぇんだけど」

 銀時は箱をじっと見つめたまま顔を上げずに晋助に訊く。

「じゃがりこ?」

「そう。俺のじゃがりこ」

「あぁ、じゃがりこ。アレなら食った。テメェ、いいっつってただろ」

「テメーが食うなっつったんだろうが! 俺はいらねーなんて言ってねぇぞ!」

「そうだったか?」

「『そうだったか?』じゃねぇぇえ! テメ、食ったとかあり得んだろ!? 俺のじゃがりこだぞ!? 何、食ってんだよ!?」

「俺の!? 俺のだろうが」

「バカヤロー、俺のカネで買ったんだ! 俺のじゃがりこだろうが!」

「あ〜そりゃ悪かったな」

「チクショー! 俺のじゃがりこーっ!!!」

「うるせーっ!」

 銀時はガックリと肩を落としうなだれた。

「あぁぁぁ…、じゃがりこ…、じゃがりこ、食いたかった…、マジで食いたかったんだけど、じゃがりこ…」

 銀時が空のじゃがりこの箱を見つめたまま小さく呟く。



―――じゃがりこ

食べたかった。

楽しみにしていた。

運転を代わってもらえば食べられると、そう信じていたのに。

なのに蓋を捲ったら箱はカラだった。

じゃがりこ。

俺のじゃがりこ。



「あ、じゃがりこの匂いがする…」

 銀時は箱に鼻を近づけクンクンと匂いを嗅いだ。こんなにいい匂いだったっけと思う。

「…オイ、情けねーからやめろよ」

 晋助が何か言ってるみたいだが無視だ。箱についた塩を舐めちゃおうかなどと情けないことを考え始めると自分がとてつもなく腹をすかせていたことに気がつく。あぁ、俺はじゃがりこが凄く食べたかったんだなと思うとジワジワと悲しみが胸に広がって行くのを感じた。

 こんな悲しみを感じたことなんてなかった。じわりと心を浸食し、その感情でいっぱいにしていく。

「…食べたかったなー…」

 そう口にしてみたらポロリと涙が零れた。器にいっぱいになった水が耐えきれずに静かに溢れ出した感じだ。これが『悲しみ』とか『絶望』とかいうヤツかもなと他人事のように思う。

「アレ? なんか涙出てんだけど。コレ、おかしくね?」

 銀時はハハハと小さく笑った。なんでじゃがりこ如きで涙が出てくるのか。涙を流す自分が滑稽に思えて笑える。泣けばいいのか笑えばいいのかわからない。泣きたい自分も、それを笑いたい自分も、どちらもホンモノらしい。

「…オイ…、じゃがりこ如きで泣いてんじゃねェよ…」

 晋助がハンドルを握ったままため息混じりにそう言ったが涙が止まらないのだからどうしようもないだろう。

「あームリ。コレ止まんねー」

 晋助はハァと大きくため息を吐くと、木陰になっている路肩に車を寄せてエンジンを切った。

「止まんねーって…、お前なァ…、そんなにじゃがりこ食いたかったのかよ」

「食いたかったよ。腹減ってんだもん。何も食ってねぇもん」

 銀時はギロリと恨めしそうに晋助を睨んだ。晋助は呆れたようにもう一度ため息を吐くとハンドルから手を離した。いい年こいた男がじゃがりこで泣くのかよと思いつつ、睨む銀時の頬を両手で包み親指の腹でそっと目尻を拭った。「止まんねー」と言った銀時のその言葉のとおり赤っぽい石をはめ込んだみたいな眸からポロポロと涙は零れる。晋助は面白ェなとその様子をじっと観察した。髪と同じ色をした睫に縁取られた眸いっぱいに涙が溜まるとゆっくりと丸い滴ができる。パチパチと瞬きをするとポロリとその滴が零れ落ち、長い睫が揺れる。

 晋助は銀時の頬を包むようにしていた手を少しだけずらすとゆっくりと顔を近づけ涙が零れ落ちて来る目尻をペロリと舐めてみた。

「…甘くはねェか、」

「アホか。涙が甘ェわけねぇだろうが」

 口調はいつもの調子だが涙だけは止まらないらしい。

「テメェのだったらそういうこともあるかと思ってな、まあ、こっちは甘ェけど…、」

 晋助は銀時の厚くも薄くもない形のいい柔らかい唇を指でそっとなぞってから、食む様に口づける。下唇をゆっくりと食んでから上唇に移ると、「…ん、」と銀時の口から息が漏れた。ダラリと伸ばしていた白い腕が晋助の首に縋るようにまとわりつくと、晋助は小さく笑い舌先を口内へと侵入させた。

 風が吹いてザワザワと葉ずれの音がして木漏れ日が揺れる。アスファルトの道は熱気でユラユラと揺らめいて見える。木陰に寄せた車を通り抜けて行く風が思いのほかひんやりと心地いいのは土があるからだろう。木陰を作っている木の向こう側にはこじんまりとした畑が見える。手入れされた畑にはナスがたわわに紫色の細長い実をつけていた。

 晋助は舌先で銀時の甘い口内を弄りながら銀時の背中へと手を回す。そしてゆっくりとやさしく撫でる手は徐々に下へと移動し、銀時の形のいい尻へと伸びた。晋助はジーンズ越しなのが残念だなと思いながら思う存分銀時の唇を味わい、チュッという音を立て銀時の唇を解放した。

「…飯よりホテルが先だな」

と言うと、むにとそのまま銀時の尻を掴んだ。

「オイ。銀時、そういう訳だか…」

と、何故か俯いていた銀時の旋毛を見ながら晋助がそう言いかけたとき、銀時のアッパーが晋助の顎に決まった。

「死ね」

 晋助は突然顎に食らった衝撃に「うぉ」と思わず呻き声をあげ顎を押さえた。ちらりと視線を上に向けると銀時が怒っている。「まだやるか!?」と自分を睨んでいる。晋助が「いや、やらねー」と言うと、銀時はフンッと鼻息も荒く勝ち誇った表情で晋助を見下ろしながら指をボキッと鳴らした。

 晋助がハァと大きく息を吐いてから腕組みをして助手席にどっかりと座る銀時に向かって口を開いた。

「オイ、涙は止まったか?」

 晋助が顎をさすりながら銀時に尋ねると、

「テメーのアホな発言のおかげで止まりましたっ」

と、銀時はチラッと晋助を見やり答えた。

「あ〜そりゃよかったな。食いモン屋見つけたらすぐ入ってやるから」

 むくれる銀時にため息を吐きながら晋助が言うと、

「テメーのカネだろうな」

と、じろりと横目で晋助を睨んだ。

「俺と飯食ってテメェがカネ払ったことなんかねェだろうが」

と晋助が言うと、銀時はニシシと笑い、

「そうだっけ?」

と答えた。

 晋助はその答えに微かに口角上げ笑うと、銀時のフワフワの頭をポンポンと撫でキーを回してエンジンをかけた。



 *



結論から言えば、コンビニもない田舎の山道に食べられるような店があるはずもなく、銀時が固形物を口にすることができたのは、その地域の中心街になっている少し大きな町に入ったときでおやつの時間もとうに過ぎた頃だった。

毎日のように通っているファミレスじょいふるのハンバーグがこんなに美味しかったことはなかった。食えるってだけでこんなに有り難いなんて、マズいだのなんだの贅沢言っちゃあなんねぇなと、銀時はハンバーグをしみじみと味わった。

 ハンバーグを3分の1ほど食べ、「うめー!」とひと息吐いてから味噌汁の入った椀に手を伸ばす。それをひと口コクリと飲むと、麩とワカメを食べた。

「なぁ、晋助。オメーは腹減ってなかったのかよ。えらく余裕ぶちかましてたけど」

 銀時は向かいに座る晋助に視線だけを向け訊いた。

「あん? 減ってたけどテメェほどじゃねェなァ」

 おかわり自由のコーヒーを飲みながら晋助が答えた。

「なんで?」

「ぁあ? 俺、朝、食ったから」

「はぁああああ!?」

「テメェが涎垂らして寝てる間にあそこのコンビニで地図見て、おにぎり食って、煙草吸うぐらい時間はあったからなァ」

「ちょ、待て。それで俺のじゃがりこ食ったのか!?」

「食ったな」

「なんで!?」

「なんでって、そりゃあ、腹減ったからだろ」

「…晋助、テメー…」

「まあ、食えよ」

 晋助はニヤリと笑うと買ったばかりの煙草を1本取り出し口にくわえた。使い込んだジッポで火を点けると、フーッと煙を吐いた。ブツブツ言いながらハンバーグを食べる銀時に「デザートもつけるか?」と、愉快そうに訊くと手を伸ばしもぐもぐと動く頬をスウッと撫でた。

 そして、

「次は最西端に夕日でも見に行くか?」

と、きれいに笑いながら銀時に訊く。

 銀時はちょっと考えてから、

「食糧の確保を確実にしてくれんならいいぜ」

と、悪戯っぽく笑った。

「次は俺の車で行くか。テメェのボロ車じゃケツと腰が痛ェからな」

「俺の愛車にケチつけんじゃねぇよ」

「秋、かな…」

「だな」

 窓から空を見上げると濃い緑に覆われた山と青い空と夏の名残りの入道雲が見えた。



(了)

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