02

「海がきれいだぜ、銀時ィ。見たかァ」

 晋助がニヤリとイヤな顔で笑った。と思われる。顔なぞ見なくとも気配でわかる。

「……そうですねー…」

 いつもの倍は気怠げにハンドルを握る銀時が答えた。

「海以外なんもねェみてェだなァ。オイ」

「……。うるせーよっ! 見たっつってっだろうがっ!」

 銀時の願いはいとも簡単に打ち砕かれていた。南へと向かう道は呆気なく郊外へと抜けた。のんびりとした田舎町にはコンビニもなければ、徐々に民家も減り、ついにはそれもなくなっていた。

 晋助は地元で知らぬ者はいない超有名なファミレス『じょいふる』のチラシを眺めている。「何、見てんだよ」とこの状況にぶすくれる銀時が晋助に尋ねると、晋助は顔を上げずに「地図」とぼそりと答えた。晋助が『地図』と言ったそれは、地図というよりはほぼイラストで、晋助は徐に顔を上げるとそのチラシをヒラヒラさせながら「どうせ何にもねェんだし海沿いの道を走ろうぜ。きっと道はあるぜ」と言い出した。

 そして今、銀時たちの眼前に広がるのは切り立った崖を削って作られた道とその崖に打ち寄せる外海の荒々しい波の光景だ。

「あ〜すげぇなぁ〜…、日本じゃねぇみてぇ、っつって、俺、日本から出たことねぇけどよ〜…」

 視線を海の方にやると大きく抉られた海岸線の向こう側が見える。白っぽい崖の上には草ばかりで木は殆ど生えていない。海からの風に薄い緑色をした草が揺れている。その向こう側に見えるのは白いむくむくと垂直に広がった雲とコバルトブルーの空で、ほんの僅かに紫がかったその青は空を深く高く見せていた。

 メインの国道から逸れた狭い海岸線をこんな早朝に走る車はない。銀時は自分が運転する赤い車がポツンと一台どこまでも続く海岸線を走る様子を想像した。白い崖に車の赤と空と海の青、崖の上でザザザと音をたて揺れる緑色の草、まるで何かの映画のワンシーンみたいだなぁと考え、そんなことを考える自分は陳腐だなと思い直した。

 だけど、助手席のコイツとこんなことをしていられるのも今だけかもなぁとなんとなく感傷的な気分になったのは、やっぱりこの風景のせいだよなともう一度ずっと続いている海岸線を眺めた。

 それにしても腹が減ったと、銀時はかれこれ何本目かの缶コーヒーを飲む。今度はカフェオレにしてみた。大概飽きてはいるが、炭酸の甘ったるいジュースは後味が悪い。いや、こうなってくると缶コーヒーだろうが何だろうが十分後味は悪いが。しかし、せめて糖分は摂った方がいい。ような気がする。なんたって糖分はエネルギーだもんなと、自分に言い聞かせてみる。

 この状況を作り出した諸悪の根源、晋助はというと、隣で涼しい顔をして海を眺めながら煙草をふかしている。長い指で煙草を摘むと口から放す、フーッと煙を吐きながら灰皿代わりの空き缶にトンと灰を落とした。チラリと見た鼻筋の通ったきれいな横顔にコイツは腹が減ってねぇのか!? そのツラがなんかムカつくとか思いながら銀時は遠くに見える青く高い空を見た。



 *



 しばらく海沿いの道をのんびり走ると国道への標識が出たので国道へと戻った。このまましばらくまた国道を南下すると、今度は本土最南端の岬の標識が出るだろう。国道とは名ばかりの狭い田舎道のまわりに見えるのは畑ばかりで、相変わらずコンビニなんて一軒も見当たらない。

「オイ! 晋助! ここいらの人間はどうやって暮らしてるんデスかね!?」

「…さぁな」

「なァ!! コンビニないんですけど!!」

「うるせーなァ…。俺が知るかよ。お、銀時、見ろよ、自販機があるぜ」

「うるせーっ! テメー、いっそ寝てろ!」

「眠くもねェのに眠れるかよ。馬鹿か、テメェ」

「馬鹿はテメーだっ!」

「馬鹿はテメェだろうが。あ〜、うるせェなァ……」

 日はだいぶ高くなっていた。朝は靄がかかっていたが、すっかり晴れ渡って真っ白な雲が真っ青な空にもくもくと高く伸びている。そのうちひと雨来たりするのだろうか。全開にした車の窓から入って来ていた涼しい風は、いつのまにか温くじっとりとしたものに変わった。道の脇に植えられた栗の木の葉の陰に青いイガがなっているのがちらりと見えた。青いイガはしばらくすると茶色になり、誰かがそのイガを拾いにやって来るのだろう。木の根元では萎れ始めた空と同じ色をしたツユクサが風に揺れていた。流れる景色を眺めていると風の音に混じってツクツクボウシの鳴き声が近づいたり遠のいたりを繰り返す。つい最近まで聞こえていたはずのアブラゼミの声は聞こえて来ないことに気がつく。夏の終わりはひっそりとでも確実に訪れているらしい。

 岬への小さな標識を見つけ、脇道に入ると道はいよいよ狭くった。車一台が通るのがやっとだ。畑もなくなり曲がりくねった細い道が岬の先へと続いている。背の低い木が疎らに生え、地面は膝丈ほどの草に覆われている。ゆっくりとカーブを曲がると時折木々の隙間からキラキラと光る波が垣間見える。

「あ!」

 突然、銀時が声を上げた。

「あ?」

「俺、じゃがりこ食ってなかったハズ」

 銀時は片手でハンドルを操作しながら後部座席をガサガサと探る。晋助は銀時をちらりと見やり、「危ねェぞ。ちゃんと運転しろよ」と腕を伸ばしじゃがりこを探し当てた。晋助が「これか?」と手に持ったじゃがりこを銀時に見せると、「おう、ソレソレ。開けろよ」と銀時が嬉しそうに言う。晋助がペリペリと蓋を剥いだのを横目で確認すると、銀時は待ってましたとばかりに手を伸ばし、じゃがりこをひとつ摘むと口に放り込んだ。

「うぉおお! うめぇ〜〜〜!! じゃがりこってこんなにうまかったっけ? チョ〜うめぇ!」

 銀時はひとり歓喜の声を上げ、再びじゃがりこの箱へと手を伸ばした。

「オイ。片手運転してんじゃねェよ」

 晋助はニッと意地悪く笑うと、じゃがりこの箱を銀時の手の届かないところへと離した。銀時が舌打ちをして手を引っ込めると、晋助はドリンクホルダーにじゃがりこの箱を置く。

「俺ァ腹減ってんだよ。食わせろ、じゃがりこ」

 銀時が徐にじゃがりこに手を伸ばすと、晋助は「何食おうとしてんだ? 誰がいいっつった?」と、ニヤリと笑いながら銀時の手の甲をペシリと叩いた。

「何しやがんだ。食わせろ」

「食うなっつってんだろ」

「バカヤロ、食わせろ」

「ドライバーは駄目だろ。危ねェからなァ。テメェは黙って前見て運転してろ。俺は食うけどな」

「待て。コラ。俺のじゃがりこ食うんじゃねぇ」

というやりとりを何度か繰り返したあと、キレた銀時が

「あーっもーっ! わぁったよ、食わなきゃいいんだろ! 食わなきゃ!」

と言うと、晋助は「最初からそうすりゃいいんだよ。それに岬の先まで着きゃなんかあんじゃねェのか? そしたら運転も代わってやるよ」と愉快そうに笑い、じゃがりこを摘むとほらよと銀時の口に運んでやった。

 道は相変わらず細く曲がりくねっているが、いつの間にか車の左側には海が広がっている。どうやら地球が丸いのは本当らしいと遠くの水平線を眺めた。暮らしている街よりも南で見る太陽を眩しく感じるのは気のせいなのだろうか。空はやたらに青く、湧き上がる雲もやたらに白く輝いているような気がする。

 銀時はあともう少しと晋助に食わせてもらったじゃがりこをモグモグ食べながらこの道の先にある明るい岬の景色を想像した。



 *



 晋助の言葉に希望を抱き岬の先端に辿り着いたが、そこには絵葉書やキーホルダーを売る小さな土産物屋と自販機しかなかった。土産物屋にいるのは遠い昔娘さんだったと思われる売り娘さんがひとり。客は疎らで駐車場もガランとしている。何もかもが古ぼけた昭和の匂いがプンプンする光景に、岬に来る途中で俺たちはタイムトンネル的な何かを通り抜けたのかもしれないと銀時は遠くを見た。

 銀時はカコンと空き缶をゴミ箱に捨て、自販機に小銭を入れるとヤケクソでコーラのボタンを押した。ガゴンと音がして取り出し口にコーラの缶が落ちてきた。ため息を吐きながらコーラを取り出す。

「オイ、晋助、なんもねぇじゃねぇかよ。俺に固形物を食わせろ。オイ。なんかあんじゃなかったのかよ!?」

 煙草をふかしながら背伸びをしている晋助に話しかける。

「俺ァ、『あんじゃねェのか?』とは言ったが『ある。』とは言ってねェ」

「いや、もう、オマエ死んでください。今の俺にとっちゃどっちも同義なんだよ!」

「ヘェ〜、あ、銀時ィ、自販機ならあるみてェだけどなァ。買い溜めしとかなくていいのかァ」

 晋助がクククと笑う。

「マジ死ね」

 銀時は晋助を睨み悪態をつくと、何度も何度もため息を吐いた。腹が減り過ぎてもうため息しか出てこない。俺にはあのじゃがりこしか残されていないんだと、銀時は車中に残されたあの緑を基調としたパッケージを思い出した。

「オイ、この先も行けるみてェだぜ。行くか? 歩きみてェだがなァ」

 晋助はうなだれる銀時の頭をパコンと叩くと何食わぬ顔で訊いた。ゴツゴツとした岩と岩の間に錆びてくすんだ赤い手すりと細い道が見える。どうやら土産物屋の中にチケット売り場があり、そこでチケットを買わなければ岬の先の展望台までは行けないらしい。店の奥に『展望台入り口』の看板が見えた。

「行かねーよ。俺はもう最南端は満喫しました。行きたきゃテメーひとりで行ってこい。とにかく俺になんか食わせろ。あ〜…腹減った〜…」

 銀時を眺め意地の悪いイヤミな笑みを浮かべる晋助に銀時はプイッと顔をそむけ口を尖らせた。





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