01

 晋助から電話がかかってきたのはそろそろ日が変わろうかという時刻だった。いつもはそうでもないのだが、今夜に限っては珍しく上機嫌で、本人には決して言わないが、少々酔っているようだった。電話の向こうから「迎えに来い」といつもと同じ偉そうな声がする。銀時は「わかった」と短く返事をすると、電話を切った。

 晋助との付き合いは長い。初めて会ったのは小学生の頃だった。確か2年か、3年か、そのぐらいだった。晋助は銀時を引き取ってくれた先生の家のご近所さんちの息子で先生の教え子だった。晋助とは気にくわないヤツから喧嘩友達になり、そのうちただの友達でもなくなった。時間とともに関係性は変わったが、ふたりでいることに変わりはない。相変わらずふたりだ。そして、大学入学を機に銀時がアパートでひとり暮らしをするようになると、同じ大学に自宅から通う晋助は、飲んだりすると当然のように迎えに来いと電話をかけてきてはしばしば銀時のアパートに泊まるようになっていた。

 外に出てみると山の方から吹いて来る風が涼しい。そろそろ夏も終わる。銀時は聞こえてくる少し寂しげな虫の鳴き声に耳を澄ました。満月を過ぎ欠け始めた月がちょうどいちばん高いところに来るころで、ぼうっと黄色く輝く月にまだまだ夏の月だなぁとなんとなく考えた。月が明る過ぎて今夜の空に星はあまり見えない。ポツ、ポツと幾つかの星が疎らに暗い空に灯る。その星の中に赤い星を見つけると、あぁ、あの赤いのは蠍の心臓だなと心の中で呟く。そして、酔って上機嫌になるぐらいだからきっと気の合うヤツらだけで飲んだんだなと、なんとも面倒くさい、そのクセえらく整った顔の男を思い出し、面倒くせぇなぁと呟くとため息をひとつ吐いてからジーンズのポケットから車のキーを取り出した。

 古ぼけた小さな赤い車で夜道を走る。オレンジ色の街灯に照らされた道路は、バカみたいに広く整備されたばかりでのほほんとした田園風景にはなんとも不釣り合いだ。すれ違う車も殆どなくポツンとただ一人走るだだっ広い道はどこか日常からかけ離れていて不思議な気分になる。山を切り開いて作った道路は見晴らしのいい緩やかなカーブを描く下り坂で谷になっていて、下り切ってしまうとすぐに登りになる。銀時はどっか遠くに行きてぇなぁと遠くへと一度視線をやってからカチカチとウィンカーを点け、脇道に入った。

 不味くもなければ美味くもないその焼き鳥屋は、安くて学生の財布にやさしい。学生は毎年入れ替わっていくが、そこに大学がある限り店は安泰だろう。古今東西、学生はいつだって腹を空かせており、そして飲みたがる。今夜も店は繁盛しているだろう。

 赤い提灯が下がった店の前に人影が見えた。ガサゴソと尻のポケットを探り煙草の箱とライターを取り出す。しゃげた箱を整えると煙草を取り出し、少し俯き加減になりながら煙草をくわえた。ポウッと赤い火が点り、ゆらゆらと薄く白い煙が夜空へと昇って行く。ゆっくりとソイツが顔を上げると店から漏れた灯りに煙草をくわえた整った顔が見えた。店とは反対側に車を寄せ、クラクションを鳴らすか迷っていると車に気づいたらしく一度煙を吐いてからトントンと灰を落とし煙草をくわえ直すと慌てる様子もなくゆっくりと車の方へと向かって来た。

「早かったじゃねェか」

 晋助は当然のように助手席に乗り込むとシートを少し倒しながらそう言った。

「あ〜、信号にあんま引っかかんなかったし。この時間だかんな。そら早ェだろーよ」

 銀時が答えると、晋助は何も言わずに銀時を見やり、煙草をくわえた口の端を少し上げ愉快そうに笑うとシートベルトをカチリと締めた。

 店の前の駐車場に車を頭から突っ込みUターンさせると、来た道を戻る。突き当たりの幹線道路へと出る信号が見えたところで、晋助が煙草を口から放し、銀時が昼間に飲んでそのままにしていたコーヒーの空き缶にギュッと煙草を押し付けその吸い殻をポトリと缶の中に落とした。

「オイ、右折だ」

と、晋助が徐に口を開く。

「はぁ!?」

思わず聞き返した銀時に晋助はもう一度

「いいから右折だ」

と、その神経質そうなきれいな長い指で右を指差した。

「…帰らねーのかよ」

銀時がため息混じりにそう返すと、

「明日は休みだろ。いいじゃねェか。とりあえず南下しろよ」

と、晋助は上機嫌で答える。

 開けた窓に腕をつき風を受けながら外を眺める晋助を銀時はちらりと見やったあと、右にウィンカーを出しハンドルを切ると右折レーンに入った。

 酔っ払いには無駄に逆らわないのが一番だ。特にコイツが酔ってる場合は。



 *



 銀時が黙って車を走らせていると隣からは寝息が聞こえてきた。横目で隣をチラッと見ると、晋助はシートに凭れ窓についた腕で頭を支えるようにして寝ている。銀時にしてみれば嫌がらせとしか思えないサラッサラの真っ黒な髪が夜風に靡く。寝顔ってヤツはどんな凶悪な俺様でも可愛いもんだなと妙に感心した。微かに口の開いたすました寝顔は見方によっちゃ間抜けにも見える。運転してなけりゃその綺麗な整った顔にマジックでラクガキの一つもしてやるのにと、銀時は小さくクククと笑った。

 しかし、この状況はムカついて当然だろう。と、銀時は表情を元に戻すと小さく舌打ちした。偉そうに南下しろとか言ってたヤツが隣で寝惚けている。だいたい人に運転させておいて寝るとかあり得ねぇだろ、マナー違反だと、銀時はもう一度チラリと腹立たしい寝顔を見やった。そして、ハンドルを握り直し夜道を眺めながらちょっと考える。そして、適当にどこかでUターンして帰ろうと思っていたが、お前の言ったとおり南下してやろうじゃないのと銀時は不適に笑った。

 地図は持っていないが今走っている道は国道なのでとりあえずはこのまま進めばいい。標識どおりに進めばまず迷うことはないだろう。ちょうど目についたコンビニに入り、缶コーヒーとペットボトルのお茶、眠気覚ましのガムを買った。街を抜けてしまえば国道とは名ばかりでただの山道だ。いつも聞いているFMも入りづらくなってきた。カセットをガサゴソと手探りで一つ取り出しカチャッと差し込んだ。「今どきカセットかよ!?」と晋助に言われたが、CDにするかどうかのその何万かが銀時にとって大問題であることを隣のぼんぼんはイマイチ理解していないらしい。ジーッという機械音がしたあと、流れてきたのはひと昔前に流行ったロックだった。助手席の酔っ払いは相変わらず気持ちよさそうに眠っている。

 よく知らない道を夜間に運転するのはけっこう疲れる。その先がカーブなのかそうでないのか。カーブだったらどちらに曲がっているのか。どのくらい曲がっているのか。ブレーキのタイミングやハンドルを切る感覚。予測が難しくかなり気を遣う。怖くてスピードもさして出せない。大きなトラックに煽られ何度も路肩に寄った。

 何台目かの煽ってくるトラックをやり過ごすと、車を路肩に寄せたまま銀時はフゥッとため息を吐いた。そう言えばとラリードライバーの話を思い出し、こういうことかと納得した。飲みかけになっていた缶コーヒーを一気に飲み干すと、ガムの包装紙をペリペリ剥きポイッと口に放り込んだ。口の中はスゥスゥするが本気で眠いときにはなんの役にも立たねぇよなーとガムをクチャクチャさせながら銀時は考えた。

 やがてトラックとも遭遇しなくなりしばらく夜道を快適に飛ばした。県境もとうの昔に過ぎ、ここまで来れば助手席の阿呆も目を覚ましたとき少しは慌てるだろう。ざまあみやがれと思わず笑みがこぼれる。そうだ、ガソリン代もぼったくってやろうと算段する。ようやく狭く暗い山道を抜け少し道も広くなったし、次に見つけたコンビニで仮眠を取るかと、銀時は欠伸を噛み締めた。



 *



「腹減ったんだけど」

「俺ァ、減ってねェ」

 不満そうに口を尖らせた銀時に晋助は興味なさげに答えると煙草をくゆらせ外を眺めている。車は相変わらず南を目指している。薄くぼんやりと白く靄がかかった朝の空気が冷たい。

 夏の終わりの朝は思いのほか寒かった。漸く見つけたコンビニでパンと菓子を幾つかとジュースを買って腹を満たし、車に積んであった茶色のフリースのブランケットに身を包み、銀時がもぞもぞと眠りかけたとき隣で寝ていた馬鹿が目を覚ました。

『オイ。ここどこだ?』

『あ? H市。M県な』

『…テメェ、馬鹿だろ』

『馬鹿はオメーだろ。リクエストにお応えして南下してやったんだろうが』

『…チッ。てか、テメェ、なに自分だけぬくぬくしてやがんだ?』

『寒ィからだろうが』

『…寒ィ』

『知るか!? これは俺ンだ』

『オイ、寒ィ』

『……』

『オイ』

『……』

『寒ィぞ、銀時』

『……』

『……』

『だーっ! 面倒くせぇヤローだなぁっ! わかった! わかったよ! もういいからコレ使えよ!』

と、いうようなやりとりがあって、銀時は車に乗せっぱなしになっていたパーカーを見つけなんとか寝たわけだが、すぐに晋助に叩き起こされた。叩き起こされたときにはブランケットは何故か銀時にかけられていたりもしたが。『とりあえずなんか食わせろ』という銀時の要求は却下された。そして、晋助の『オラ、こうなったら最南端目指すぞ。時間がねェ。行くぞ』という一言で、そのまま今に至る。

「あ〜、腹減ったな〜…」

 ちらちらと海が見え始めたころにはすっかり夜は明け、白く靄っていた空はいつの間にか晴れ渡っていた。空の高いところに大きな雲がぷかり、ぷかりと浮かんでいる。銀時が思い出したように口を開いた。

「腹減った〜」

「うるせェなァ〜。それよりガソリン入ってんのかよ」

「テメーがうるせーよ。腹減ってんだよ。誰のせいだと思ってんだ。ぁあ!? ガソリン!? あ。入れといた方がいいかもしんねー」

 県境をぐるりと山に囲まれた陸の孤島と呼ばれるこの県の大動脈と言っていいこの国道沿いにはガソリンスタンドは山ほどあって、市街地に入ってすぐに見つけた開店したばかりガソリンスタンドに入った。

 街の中の道は立派に舗装され、道の両脇に植えられたフェニックスがいやでも南国を連想させる。『そういやずいぶん昔は新婚旅行っていやぁここだったとか言ってたっけ。』とかなんとか考えているとガソリンスタンドの店員が伝票を持ってやって来たので晋助の財布から金を出させるべく晋助に「カネ!」と手のひらを見せると、晋助は諭吉を1枚、ポンとなんの躊躇いもなく銀時の手のひらに乗せた。

 お釣りを受け取り、誘導してくれた店員に『どーも』とふたりして手をあげ合図を送り、再び南を目指す。と、すぐに左側に見慣れたMのマークの看板を見つけた。

「お! なぁなぁ、朝マックしようぜー!」

「あぁ、お前が入りたきゃ入れよ」

 銀時はニヒヒと笑い、そしてすぐにガックリと肩を落とす。晋助は訝しげに銀時を見やると『どうした?』と煙草を取り出しながら訊いた。


「開店7時だってよ…、まだ開いてねぇじゃん…、これだから田舎はよ〜〜〜…」

「ん? あぁ。そうだな。残念だったな。オイ、そこ、コンビニあるぜ」

 取り出した煙草をくわえながら晋助がニッと笑って言うと、

「コンビニならいつでも入れるもん。他にねぇかもちっと粘る」

「ま、好きにしろ」

 カチリと音がしてフワッと煙草の匂いが車に広がった。





[ 10/53 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -