3. それだけでうれしい

「つまらん。あ〜、つまらん。つまらんでござるな〜っ」

 黒い高そうな革張りのソファにゴロリと転がり、足をバタバタと動かしながら投げやりにそう言った男の方を、伊東はため息混じりにチラリと見やった。

 伊東の目の前の男にとって、気がついたら世間から取り残されていたようなこの状況は確かにつまらないだろう。

 まあ、そんな状況になったのは自業自得なのだが。

「拙者がちょっと山籠もりしてる間に、みーんな幸せになってたでござるよ。晋助に至っては可愛い嫁御までゲットしていたでござる」

 この男、結局のところ何も反省していないなと、伊東はこぼれそうになったため息を飲み込んだ。それに高杉のアレは正しくは嫁じゃないだろうと思う。でも、あながち間違いでもないかと、フワリとした銀色の髪や、ヒラヒラと揺れる白い手を思い出した。

「あ、そうだ」

 男は寝転んだままもぞもぞと動き腰を浮かすと尻のポケットから携帯を取り出し、ピッと発信ボタンを押してからそれを耳元に近づけた。

「もしもしー、拙者でござるー」

「は? 新手の詐欺? ヒドいでござるなー。拙者、お主の無二の親友でござろうが」

 伊東は今度こそため息を吐いて、カウンターキッチンへとコーヒーを淹れに行った。食料と言えばほぼ酒しかないこの家に、せめてコーヒーぐらい飲みたいと不本意ではあったがコーヒーメーカーを買って来たのは伊東だ。

 携帯の向こう側の声は聞こえないが、間違いなく高杉だろう。高杉が怒っているであろうことは容易に想像がつく。あの高杉にあんな電話をかけることができるのは、多分、目の前のこの男ぐらいだ。

「あ、切れたでござる」

 そりゃ、切られるだろうとチラッと男を見てから、ペーパーフィルターをセットし、さしておいしくもないその辺のコンビニでかったレギュラーコーヒーを目分量で入れた。そして、男は耳元から携帯を離すとまたピッと発信ボタンを押した。

「……。もしもし? 銀時殿でござるか? 河上サン? 拙者と銀時殿の仲ではござらんか。万斉でいいでござるよ」

「いや、晋助にかけたら途中で切れたでござるよ。電池でもなくなったかと思ったんで、銀時殿の方にかけ直したでござる。いや〜、申し訳ござらん」

 伊東は水を注いだコーヒーメーカーからコポコポとコーヒーがサーバーに落ちる様子を眺めながら聞こえてくる河上の声にどこまでも懲りないヤツだと呆れる。

「あれ? 晋助? なんだー、お主、銀時殿と一緒でござったかー? は? なんで電話番号を知っているか? そりゃ、拙者と銀時殿とはメアド交換した仲でござるからなー」

「あ、また、切れた」

 河上はゆっくりと携帯を耳から離すと、手に持ったままユラユラと揺れるストラップを眺めた。携帯を掴む手は大きい。ゴツいわけではなく骨が浮き出て節くれだった長い指は、その物言いとは逆に繊細で器用そうだ。サングラスで隠された表情は見えるはずもなかったが、ほんの一瞬だけ纏う空気が揺らいだ気がした。伊東があれ?っと思ったときには、河上の手からポロリと携帯は離れ、カタンと音を立ててフローリングの床に落ちた。

「あー、つまらん。つまらんでござるなー。あ、伊東、拙者にもコーヒー」

 河上はムクリと起き上がった。携帯を拾い上げるとテーブルの上に興味なさげに無造作に置いた。伊東がコーヒーを注いだマグカップを河上に渡すと一口啜り、「不味いでござるなー」と眉を顰めた。

 この男には『傍若無人』という言葉がぴったりだなと、伊東は思った。やりたいことやりたいようにし、言いたいことは思ったら構わず口にする。そんな男もやり過ぎて、とうとうお灸を据えられたのだが。それでも何かしらの繋がりは途切れずそのままでここにこうやっていられるのは、この男に才能があるからだと伊東は分析する。

「伊東、お主、メシは?」

「僕はこれから事務所に戻る」

「…。あっそう。じゃ、気をつけて。何かあったら電話をしてくれ。また、明日、でござる」

 伊東は河上の一瞬の間にまただと思ったが口には出さなかった。伊東が河上を見ると、コーヒーを飲みながらどうでもよさそうに伊東にピラピラを手を振っていた。

 *

「スゴイでござるなー。絵に描いたような朝ごはんでござる。伊東、お主が作ったでござるか」

「下のコンビニで買って来たんだよ。僕がやったのは湯を沸かしたぐらいだ」

「なんだ、そうでござるか。拙者、こんな食器持っていたでござるか?」

「それは僕が買った。君に請求するつもりはないから安心したまえ。僕が惣菜だとかをパックからそのまま食べるのが許せないだけだ」

「へぇ〜。お主は食べないでござるか」

「僕はきちんと食べて来た。君も少しはきちんとした生活をしたらどうだ」

「お主が食わせてくれたらいいでござる」

 伊東は茶を淹れながら大きくため息を吐いた。

 数時間前、伊東は仕事だからと念のため少し早めに昼前に来てみれば、案の定、河上は寝ており、部屋は弁当のカラやビールの空き缶、ウィスキーの瓶が転がっており、飲みかけのグラスのまわりには小さな水たまりができていた。伊東はそれらをひと通り片付け、食事を用意し、河上を叩き起こし、さっきの会話へと繋がる。

 多分、やれるはずだ。才能はある。見捨てたくないのだ。ただ本人がやる気になってくれないことにはどうにもならない。

 伊東はもう一度ため息を吐いた。

 *

 イヤそうに仕事をする河上を見ながら、伊東はふと思い出したことあり、携帯で今日の日付を確認した。今なら席を少し外していても大丈夫だなと、伊東は外に出た。

 あれはなかなかわかりやすいようでわかりづらい男だなと河上の顔を思い浮かべる。

 好き勝手やっているようで、実はそうでもない。図太いようで神経質だろう。それをうまく隠す方法を知っているだけだ。彼のまわりの殆どの人間はそのことに気づくことはない。そして、本当に欲しいものには、それが欲しければ欲しいほど、その本音を決して口にしないだろう。

 あの男のポーカーフェイスを思い出し、伊東は思わずプッと笑ってしまった。なかなか可愛げのある男かもしれない。

 用事を済ませ、現場へ戻るとどことなく不機嫌そうな河上がダラリと足を伸ばし、安っぽい長椅子に腰掛け伊東を待っていた。

「つまらん仕事だったでござる」

 そうぼそりと言う。

「そうか? そのうちもっといい仕事にも恵まれだすんじゃないのか。まあ、君次第だろうが」

 いつものように河上を家へと送り届け、なんとなく習慣になってしまったコーヒーの準備をする。

「飲むだろ」

と、湯気の立つマグカップと一緒にイチゴの乗ったショートケーキをテーブルに並べた。

「……」

「河上、君、誕生日、今日だっただろう。たまたま思い出したんだ。何もないよりマシだろう」

 河上の沈黙に伊東はしてやったりと密かに喜んだ。

「拙者、ショートケーキよりレアチーズケーキがよかったでござる」

 伊東が深いため息を吐き、言葉もなく皿を下げようとしたとき、

「食べないとは言ってないでござるよ」

と、少し慌てた様子で河上はショートケーキのイチゴを口へ放り込んだ。



(了)

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