*

 ソイツは遠くを見ていた。俺のことをチラリと見たと思うが、ソイツにとって俺は地面に転がる石ころと同じみたいでまるで知らん顔だった。別に構って欲しかった訳じゃない。子供の俺がそこにいることもおかしかったが、大人のソイツがそこにいることはもっとおかしかったから気になっただけだ。ソイツはじっと立っている。最初はその白っぽい髪の毛にジジイかと思ったが、そう若くもなさそうだがおっさんと呼ぶにはちょっと早い感じの男だ。周りのことはまるで眼中にないようだが、アタマのおかしいキチガイって感じではなく、ただ俺が見ているこの世界を見ていないだけの人間、そんなふうに見えた。

 日射しが強く眩しくなると、ちょっと前までは頬を射すようだった冷たい風は温くなり、風はやさしく頬を撫でるように通り過ぎて行く。そして、桜が終わる頃には若葉が一斉に芽吹き始める。裸の枝が寒々しかった欅の林は緑色が爽やかな木漏れ日の揺らめく林に変わる。この町にほんの僅かに残されたそんな欅の林のいつ誰が置いたのかわからない壊れかけのベンチが俺の定位置で、学校に行くフリをしてここで昼まで時間を潰してから給食を食いに保健室に登校する。そうして、毎日毎日こうして見ているのに木々の変化に気づくのは大抵何日か経ってからで、ふと気づいたときには葉は大きくなり、その緑は濃く力強く変化している。

 白髪頭のソイツは相変わらずじっと突っ立っている。何かあるのかとソイツの視線の先を見てみたが何もない。遠くから微かにチャイムの音が聞こえて、真面目しか取り柄のない間抜けな教師を思い出した。みんな心配しているだの。友達ならすぐにできるし、クラスのみんなはキミの友達だだの。アイツが俺にうんざりしているのはバレバレで、クラスのヤツらなんてどうでもいいし、友達なんかいらないと俺が思っていることはアイツにはちっとも伝わってないらしい。お前が嫌いだから学校に行きたくないだけだとアイツに教えてやったらどんな顔をするんだろう。表面ばかり取り繕うとする薄っぺらいアイツを馬鹿だなぁと思った。

 つまんねぇなと大きく息を吐く。どうせ考えるならもっと面白いことを考えればよかったと思った。白髪頭のソイツはまだそこにいた。小さな丸い粒子のひとつひとつがだいぶ高くなった太陽からの光を反射し、木漏れ日となってキラキラとソイツの上に降りそそいでいる。ソイツはシャツのポケットからペンらしきものを取り出すと、おもむろに座り込んだ。そして、枯れ葉を手に取るとそれに何かを書いた。一枚、また一枚と手に取っては何かを書く。しばらくソイツを眺めていたが何を書いているのか気になってベンチから立つとソイツに近づいた。

 カサッ、カサッと音をたてながら近づいたが、ソイツは俺に見向きもしなかった。辺りに散らばった枯れ葉には見たことのある幾つかの記号と文字、そして意味も使い方も読み方すらもわからない記号が書き込まれていた。それを一枚拾うと自分もしゃがんだ。ソイツはただひたすらに枯れ葉に記号を書き込んで行く。伏し目がちになっている眸を縁取る睫毛の色も髪の毛と同じ色だということに気づいて少し驚いた。

 ソイツは顔を上げることもなく書き続ける。俺はソイツの手元から手品みたいにどんどん溢れ出していく枯れ葉を眺める。しばらく眺めてから、あぁそうだ!と立ち上がりベンチに戻った。ランドセルから殆ど使っていない算数のノートを取り出した。ノートを持ってソイツのところに行き、新しいページを開いてソイツの目の前に差し出す。ソイツは黙ってノートを受け取ると真っ白なページに記号を書いていく。きっと普段は白いであろう頬はうっすらと紅を差し、赤い唇が微かな弧を描いた。笑うってこんな顔だったのかもと柔らかそうな唇をじっと見た。

 手に握られたペンからは無限に記号が生み出されていく。辺りは静かで、通り抜けて行く風も吹かなければ、鳥の囀りも聞こえてこない。世界にはソイツと俺しかいないみたいだけど、『ふたり』じゃない。ソイツも『ひとり』、俺も『ひとり』、そして世界がある。世界と、ソイツと、俺、みんな独りきりだ。

 風にそろりと頬を撫でられ枝の隙間から見える空を見上げた。そろそろ行かないとと思いながらソイツをもう一度見た。俺のやったノートはもうなくなりかけている。ソイツは残りのページを心配したりする様子もなく変わらぬ速さでペンを走らせる。俺はないよりマシだろうと国語のノートをソイツの傍らにそっと置いた。そして、記号の書かれた枯れ葉を一枚拾う。これを持って行ったりしたらコイツは困るのだろうかと一瞬思ったがどうしても欲しかった。今日、家に帰ったら、俺は机の引き出しにその枯れ葉を大事にしまうだろう。何度かは枯れ葉を出して眺めては白髪頭のアイツを思い出す。でも、そのうち枯れ葉は引き出しのなかで粉々に砕け散り、俺はアイツを忘れる。アイツは俺のことなんて覚えてもいないに違いない。世界にたった独りきりで佇んでいるんだろうなと思った。



 ***



 俺はアイツを忘れなかった。正しくは思い出した。

 俺は相変わらず笑い方はわからないままだったがあの頃に比べれば幾分マシな気分で生きていた。日本人がナントカって有り難い賞を取ったとかで何もしてないヤツらがはしゃいでいた。本人は極度の人間嫌いだとかで授賞式にも出なかったとかで天才と呼ばれる人は変わってるとさも自分たちは常識人であるかのような口振りで語っていた。ほんの数枚の写真が残っていてと映し出された映像に思わず「あ!」と声を上げた。アイツだった。何年か前から人前に姿を現さなくなっていたが、そのあいだにも論文は発表していて、その論文がえらく価値のあるものだったらしい。懐かしくなって引き出しを開けた。枯れ葉にそっと触れるとパラパラと崩れ落ちた。

 今もアイツがいるとは思ってはいなかったが、数式の書かれた枯れ葉が落ちていたらと欅の林へと足を運んだ。カサカサと音をたて林を進む。林は殆ど変わっていなかったが、ひとつだけ変わっていたのは俺の指定席のおんぼろのベンチが立派なベンチになっていたことぐらいか。ベンチに腰掛け、足元の枯れ葉をじっと眺めた。あるわけないかとこっそりと自嘲するとカサッと音がした。

「オマエ、『たかすぎ』だよな。俺、落ちてたからオマエのノートに落書きしちまったみたいでさ。悪ィ」

 声がして顔を上げるとソイツがいた。

「坂田、坂田銀時…」

「あぁ、うん。俺、名前教えたりしたっけ?」

 初めて見たソイツの眸は眠たそうな半眼で赤っぽい色をしていて、こんな顔してたんだと妙に感心した。そして、何年前の話をしてんだ?と呆れもした。人間嫌いなんじゃなくて『ひとり』で住んでるだけなんだろうなとテレビを思い出す。

「ノートなら構わねェ。書くモンなくて困ってたみてェだから俺がテメェにやったんだ」

「あ、そうなの? なら、よかったわ。俺、そのへんにあるモンなんでも使っちまうみてぇで」

 変わっているのはホントらしい。ボリボリと頭を掻くソイツを見て思わず笑った。久しぶりだった。ほんの少しだけコイツと俺とは繋がったのかもしれない。



 ***



「銀時! オイ! 銀時! メシ、勝手に食え……」

 覗いた部屋にいる銀時を見て諦めた。そして、俺は黙って家を出る。

 俺は銀時ほど遠くを見ることはできなかったが、まあまあ遠くを見ている。望遠鏡を使って空のその先を見ている。



(『ねーみみこさん、笑い方を忘れた小学生とまともに会話が成立しない天才が一緒に暮らすまでの話書いてー。 http://shindanmaker.com/151526 』というお題を高杉くんと銀時さんで)

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