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空は薄い水色で、筆で描いたみたいなちぎれた雲が浮かんでいる。沖田は眩しくて目を細めた。道行く人の誰も皆が浮かれているのは花のせいで、あちらこちらで咲き誇っている。いつだかの公方様のご命令でこの町にはやたらにたくさん植えられたらしい。下々のモンだって何かの楽しみがなけりゃあ生きてる甲斐ってヤツがねェもんなぁと思ったが、アイツらはたぶん自分たち貧乏侍なんかよりよっぽど楽しく暮らしている。沖田は団子をかじりながら「派手だねィ」と川べりのソメイヨシノを見た。今がちょうど見頃であと2、3日もすると散り始めるだろう。ヒラヒラと風に吹かれて飛んできた一片の薄紅色の花びらがフワリと地面に辿り着くのを眺めた。
次の団子にパクリとかじりついたとき知った顔を見つけた。
「姐さん。銀時姐さんじゃあねェですかィ」
ピラピラと手を振りながら声をかける。銀時とはいつの晩だったか川べりで商売をしているところを見かけてからの付き合いだ。フワフワとした銀糸の髪に、赤い石みたいな目ん玉、白い肌はどっかのお屋敷で見たツルリとした真っ白な舶来モンの器みたいで、その変わった形に興味が湧かないなんてことは先ずないだろう。見た目なんざ関係ねェなんざ言うヤツは信用できない。見た目がすべてではないが、これっぽっちも関係ねェってことにもならないはずだ。
「あぁ、沖田くん。いいご身分だねぇ〜。団子なんか食ってさ」
「なぁに言ってんですかィ。花を楽しんでる皆の邪魔にならねェようにこうやって見回ってんでしょ。こんな日に難しい顔してそこいらを歩き回ったりしてたらそれこそ野暮ってモンでしょうが」
そう言ってから、いつも眉間にしわ寄せつまんねェ面してるうるせェ野郎の顔をチラリと思い出した。ここ何日かいろいろと理由をつけちゃあ外に出たがらねェのには何かしらあるんだろうがその訳はわかっていない。からかう相手がいないとサボり甲斐もない訳で、さてどうしたもんかと考えを巡らす。
「姐さんも団子どうですかィ。俺の奢りでさァ」
「せっかくだからご馳走になっちまおうかなぁ」
銀時は沖田の隣にちょこんと座った。店の主人に声をかけ団子を頼むと、沖田はそう言えばと思って銀時を見た。
「そういや、姐さん、最近お見かけしなかったですけど、調子でも悪かったんですかィ?」
「…べっつに〜、なんもねぇよ。たまたまだろ? それがどうかしたのかよ?」
「どうもしねェでさァ。ふと、ね。思ったんですよ。姐さんが元気ならそれでかまわねェや。団子来やしたぜ」
パクリ、パクリと団子を口に放り込む銀時を眺めながら考えた。引き籠もってるあの野郎が引き籠もる前はやたらと機嫌がよかった。山崎が「なんかヘンなモンでも食ったんじゃないですか?」と言うぐらいには。阿呆みたいに機嫌がよくなったのは夜鷹の取り締まりをサボった晩ときで、引き籠もったのも夜鷹の取り締まりをサボった晩のあとからだったっけな。沖田は銀時に「おかわりは?」と訊きながら、先ほどの銀時の様子を思い返す。自分が銀時に会ったのと同じようにあの野郎が自分がサボったあの夜に銀時に会ったってのは十分あり得る。さぁて、どうするかねィと茶を啜った。
銀時に思う存分団子を食わせてやりながら、とりとめのない話をする。つくづく面白ェお人だなァとその人を眺めて、猫みたいなもんかねと考える。猫ってヤツは人に懐く訳じゃない。この姐さんも人懐っこく人の奢ってやった団子を遠慮することなく食っちゃあいるが自分に懐いてくれてる訳じゃない。あの野郎がこの姐さんとなんかあったとして、あれは野暮な野郎だからその辺を間違えたんだろうなと察する。馬鹿な野郎だねィと思わず笑いが漏れた。
「何笑ってんのさ?」
銀時の声がした。
「美味そうに食うなぁって、それだけでさァ」
「それだけとは思えねぇけど、オマエの場合」
串を咥えたまま怪訝な顔で沖田を見る銀時に沖田はにっこりと笑った。
「姐さん、ヘマしねェでくだせェよ。俺の楽しみが減っちまわァ」
「ヘマなんかするワケねぇだろ。つうか、楽しみってなんだ? 楽しみって? オマエが言うと怖ェんだけど」
「そうですかィ? ま、ヘマなんかしねェってんならいいんですけどねィ」
よっこらせと立ち上がり「俺はそろそろ行きやすけど好きなだけ食ってくだせェ。店のモンには言っときますんで」と団子を食ってる銀時に言う。見下ろした銀時の頭に花びらを見つけて手を伸ばした。
「なッ、なにッ?」
「コレでさァ」
摘まんだ花びらを銀時に見せる。
「アンタにゃ花がよく似合うけど、俺ァソメイヨシノよりは大島桜かなァって思いますがねィ」
「何ワケのわかんねーこと言ってんだよ。鳥肌立ったわ」
「あ、そうだ。次は花でも見ながら一杯やりやしょう。じゃあ、俺はこれで」
沖田はそう言うと団子屋をあとにして、川べりの花を見ながらのんびりと歩き始めた。春の陽射しに暖められた温い風にヒラリ、ヒラリと花びらが舞う。
「……いつまで保つかねィ」
舞う花びらにきゃっきゃとはしゃぐ子供をチラリと見やってボソリと呟いた。
***
眉間に皺を寄せ、時折チッと舌打ちする自分の隣を歩く土方に面白ェなァと沖田はこっそり笑う。
机に向かっていた土方に沖田が「ボチボチ今年の花も終わりってんで今夜あたり羽目外すヤツがいるんじゃねェですかィ?」と話しかけたのは半刻ほど前だった。
土方は振り向きもせず「テメェがそう思うんだったら適当にその辺にいるヤツを連れて行って来い」と答えたので、「俺ァふざけた野郎は容赦なく叩ッ斬りやすがいいんですかィ?」とニヤリと笑って返すと、舌打ちのあと「……わかった」という返事が聞こえた。いろいろと言い訳をしちゃあ引き籠もっちゃいたが、そろそろそれも限界ってことには土方の野郎本人にもわかっていたらしい。
「なんてェ面してんですかィ。アンタのその面でせっかくの花が台無しでさァ」
「うるせェ…」
沖田は落ち着きなくイライラしているらしい土方をチラリと見た。日は暮れ東の空には黄色いぼんやりとした月が浮かんでいる。ヒラヒラと散る花びらで埋め尽くされた道はボウッと白く浮かび上がって見えた。人のざわめきが聞こえ、提灯の灯りが流れて行く。あのお人に会えるかねィとその姿を思い浮かべた。
羽目を外すにはまだちょっと早いらしい。今年の花はこれで仕舞いだと名残惜しそうに散る花を見上げながらざわざわと人は流れて行く。沖田はその流れを眺めながら銀時がいないかと探してみた。
あのお人のこったからこんな夜はフラリと現れるに違いないと踏んでいる。そうすりゃ自分の勘が当たってんのか、外れてんのかがわかる。勘が当たって欲しいのか、外れて欲しいのか、そこは自分でもよくわからない。冷めたフリをしている土方が苛々してんのを見るのは面白ェかなァと思う。あの野郎は近藤さんのことを人が好すぎるとかなんとか言って自分みたいな悪党は汚れ役が似合ってると思ってるらしいが、根っこ部分はそうでもない。自分に比べりゃよっぽど人が好い。近藤さんといい勝負なんじゃねェかと思う。沖田は悪党ってのは自分みてェなヤツのことを言うんだぜと相変わらず不機嫌そうな顔で隣を歩いている土方をチラリと見てから「つまんねェなァ。どいつもこいつもお行儀よく花眺めてるだけでよ。あ〜ぁ、どっかで喧嘩のひとつもやってねェかなァ〜」とボヤいてみせた。
「……結局テメェが騒ぎてェだけじゃねェかよ」
「土方さん、なんか言いました? 煩くって聞こえねェや」
「聞こえてっだろ。大体、テメェは……」
人の波に銀色を見つけ、土方の話を遮るように手を上げ、銀時を呼ぶ。
「あっ、姐さーん!」
振り向いた銀時が「あ、沖田じゃん」と笑いかけて、一瞬引きつる。背後に立つ男も同じように引きつっているらしく、あぁやっぱりと笑う。それでも銀時は沖田の後ろに立つ男のことは見えてないかのように「よう」と沖田に向かって笑って手を振った。
「銀時姐さんも花見ですかィ? 花が楽しめんのも今夜あたりが最後になりそうですもんねィ。どうです? こないだ団子屋で約束したし、そこいらで一杯やりやせんか?」
「オマエさァ、仕事中なんじゃねぇの? 後ろで目付きの悪いお侍さんがコワい顔して睨んでるぜ」
「それなら今終わりやした。後ろのあれは気にするこたァありやせん。行きやしょう。行きやしょう」
後ろでギリギリと青筋でも立てて今にも斬りつけて来そうな気配の土方は無視する。そして、やっぱ面白ェなァとクククと笑う。「おい、オメー、何企んでんだよ?」と言う銀時に「何も企んじゃあいませんよ」と返す。沖田は「いいから」と銀時の手をキュッと握った。その白い手は想像していたより小さくて柔らかい。
「ちょ、オマッ、知らねーぞッ」
「なぁにいつものことでさァ」
ケラケラと笑いながら自分の手を引く沖田を銀時は訝しげに見ている。
「たまたま見つけたんでさァ。俺ァ、アンタはソメイヨシノよりは大島桜かななんて言いやしたが、こっちのがらしいかなって」
ホラと沖田が指差した先にポツリポツリと花をつけ始めた八重桜が立っている。ぽってりとした白っぽい花は花びらの先がほんのり色づいている。若葉の柔らかい緑と花との色味が可憐だ。
「これはこれからが見頃ですねィ」と独り言のように呟いた沖田に、「そうだなぁ」と銀時も独り言のように答えた。
(了)
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