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 土方はこの動物園の飼育員で、ホワイトタイガーの世話をしている。名前は『銀時』。以前、名前を公募したら『虎の名前は銀時にしろ。さもなくば呪う』という怨念めいたハガキが何通も届いた。筆跡は4種類。「なんかの組織票か!?」と職員みんなで話していたが、あまりにも大量に届くので面倒くさくなってソイツの名前は『銀時』になった。

 今夜はやたらと綺麗な満月で、秋の夜のひんやりとした空気は澄んでいて、月明かりってこんなに眩しかったけなと、土方は仕事を終え帰宅するために園内を歩きながらぼんやりと思った。土方はせっかくの満月だから遠回りして帰るのも悪くないかと、いつもは通らない道を通り帰ることにした。もともとは山だったこの園は坂道が多く、道の脇には自生していた木々がそのまま残っている。風吹くと葉が揺れザアァッと音がして枝と枝の隙間から月明かりが漏れる。土方は立ち止まるとシャツのポケットから煙草を出した。煙草を1本取り出すと口にくわえる。園内は禁煙だが今日ぐらいいいだろうと、ジーンズのポケットから100円ライターを取り出し火を点けた。煙草をふかしながら、薄く漏れる月明かりを眺め歩く。月明かりに惑わされると考えた昔の人々の気持ちがわからなくもないなと思った。ホワイトタイガーの飼育舎の前まで来ると視界が開け、煌々と白く光る月が見えた。

「あれ? 珍しい。多串くんじゃん」

 そう声がした。土方は立ち止まって辺りを見回したが人はいないし、そもそも『多串』とは誰のことなのかわからない。

「いっけないんだー、多串くん。園内は禁煙だろ?」

「へ? 俺?」

「そうそう。多串くんだよ。こっちこっち。どこ見てんだよ。バッカじゃねぇの?」

「いや、待て、誰が『多串』だ。バカはテメーだろーが。大体こんな時間になんで園内にいやがんだ。出てきやがれ」

「なんでいやがるって、そりゃ、オメー、俺ぁここに住んでんだもん。当然だろ? あ、出るのは無理だから、多串くんが鍵を開けてくんねーと」

「は?」

 土方の口から煙草がポロリと落ちた。

「『は?』じゃなくてさぁ。あ、煙草、落ちたよ。こっちってば! 虎だよ! 虎! まだ、わかんねーの? ダメじゃん」

 土方がホワイトタイガーがいるはずの飼育舎の中を目を凝らし覗くと人影が見えた。慌てて煙草を拾い携帯灰皿にねじ込み、目をこすりもう一度見てみた。

「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ。ナイナイナイナイナイナイ。コレはない。ないから。あるワケないから。帰ろう。そう。おうちに帰ろう。そうしよう」

 土方は自分に言い聞かせるようそう言うと、くるりと飼育舎に背を向けた。また声がする。

「ちょっと待てよ、多串コノヤロー。俺だってば、銀さんだよ。銀さん、わかんねーの? オメー、毎日、俺にご飯くれてんじゃん。おーい。ひじかたくーん」

「は?」

「だぁかぁらぁ、『は?』、じゃなくてよー」

 恐る恐る土方が振り向くと、飼育舎に射し込む月明かりに照らされていたのは、人間の形をしていて、男で。月明かりに揺れる銀色の髪や白い姿はあの『銀時』と言われれば確かにそうかもしれない。

 いや、でも、『銀時』は虎だから。

 そこんとこを間違えてはいけない。

 しかも、なんで、虎ビキニ?

 帰ろう。見なかったことにしてうちに帰ろう。そんな歌があったよな。おうちに帰ろう。

 土方は再び飼育舎に背を向け、家にさっさと帰ってしまおうと一歩踏み出した。

「おーい。ひじかたくーん。ひじかたー。聞いてるー? なんかの歌みてぇにおうちに帰ろうなんて考えてんじゃねぇぞ、コラ」

 背中越しに間の抜けた声が自分の名を呼んでいる。土方はハァと大きくため息を吐き、ゆっくりと振り返った。銀時らしきその男は檻の中から手招きをしている。白い手がひらひらと揺れる。振り返った土方と目が合うとニコニコと笑う。土方は俯き、ハァともう一度大きくため息を吐いた。

「ちょっと待ってろ」

「なになに? 出してくれんの?」

「アホ。出すワケねーだろ。そっちに行くだけだ」

「なぁ〜んだぁ…。つまんねーの」

 土方は飼育舎の裏にまわった。鍵はないので『関係者以外立ち入り禁止』の札の下がった柵をよじ登る。カシャンと音をたて、その柵の中に飛び降りた。土方が檻の奥をそっと覗くと虎の銀時の姿はないので、アレは銀時なんだろう。認めたくないが。いろいろと。

「なぁ、出してよ」

 檻の方にまわると、たぶん『銀時』のソレが鼻をほじりながら気怠げに虎の銀時のお気に入りの毛布の上に寝そべっていた。

「仕事終わって帰る途中なのに鍵持ってるワケねーだろーが」 土方は、安全のために確保しているスペースから檻の中の恐らく『銀時』のソレを観察しながら応えた。

「多串、使えねぇなぁ」

「誰が多串だ。誰が。つーか、テメー、なんだソレは。なんで人間なんだよ」

「あ〜、なんかさ〜、そんな話なかったっけ?人が虎になる話とか?そんなん?」

「テメーは逆だろーが」

「あぁ、そっか。細かいこと気にすんなよー。だから多串って言われんだぜ」

「だからその多串ってのは誰だっつってんだろうが」

「まあまあ」

 ムクリと起き上がったほぼ『銀時』のソレがクイクイとこっちに来いと言うように手を動かした。土方はゆっくりと檻へと近づく。ゆるりと白い手が土方の方へ伸びて土方の頬を撫で上げた。月明かりにゆらゆらと揺れる銀色の髪の間から紅い瞳が覗く。月の光に眩しそうに目を細め、薄紅色の形のよい唇は弧を描いた。土方は自分の頬に触れた冷たい手を目で追った。女のそれと比べれば大きく筋張っているが、どんな女のそれより白くたおやかだった。ふっくらとした指の腹が土方の頬をツッとなぞるとひらりと土方から離れた。土方がその手を掴むと、手は一瞬ピクリと怯む。

「で、テメーがあの『銀時』だとして。テメー、オスだろーが。なんだそのナリは?」

「なんだ、まだ信じてねーのかよ。銀時だっつってんだろ。アッタマ、かってェなぁ、土方くんは。ナリ? そら、お前、語尾に特徴のある有名なあのヒロインのソレだろうよ。お前、知らねーの? 人間だろ?」

「そこじゃねェだろうが。つうか、知らねー人間なんてごまんといるから。なんでンなモンを着る必要があんのかを訊いてんだろ」

「だって服ぐらい着てねぇとさみーじゃん」

「……。それはもはや服とは言わねーだろ」

「もうさー、なんでもいいからこっから出してよ」

「出せるか、ボケ。鍵持ってたって出すワケねェし」

「だったら、土方くんがこっちに来たらどうよ。今日は仕方ないけどさぁ」

 銀時はニヤリと笑う。

「喰われたらイヤだから断る」

「チッ」

「あ、テメ、今、舌打ちしやがったな」

「気のせいだと思いマスが?」

「シラバっくれんな」

 土方がジロリと睨むと、銀時は心なしか少し悲しそうにうなだれた。

「土方くんは喰わねーよ。俺がこーんなちんまい頃から世話してくれてんじゃん。あんなに可愛がってくれてたのによー。最近、冷てぇんだもん」

「いや、フツーだろ。あんだけデカくなりゃ、近寄ったらヤバいって考えるのがフツーだ。常識ってヤツだ。冷てェとか冷たくねェ以前の問題だ」

「だからアタマ堅ェっつんだよ。この多串がぁっ!」

 目の前の銀時は涙目になり唇を尖らせている。土方は本日何度目かのため息を吐いた。

「…で、お前は何がしてェんだよ」

 土方はそっと腕を伸ばし、くしゃりと銀色の頭を撫でた。柔らかい感触に、そう言えば、確かにコイツが小せェときは、抱いてミルクやったり、家に連れて帰ったりしたよなぁと、子猫サイズだった銀時を思い出した。頭を撫でられた銀時は気持ちよさそうに目を細めた。猫がするその仕草のように。確かに『銀時』だな、これは。土方はククッと笑った。

「じゃ、俺、帰るわ」

「待て待て待て待て待て。土方コノヤロー待ちやがれ。何その展開? そうじゃねぇだろ。そこはそうじゃねぇだろ。何が『じゃ』だ。コラ」

「ぁあ?」

「う。えぇーと…」

「次はいつそのナリになってんだよ。次は鍵を持って来てやる」

「へ? マジで? あ〜、月が出てる日はこの姿になってる。あっ、次に来るときは鍵だけじゃなくてさ、いちご牛乳とか、ケーキとか、甘いモンも持って来てよ。ずーっと食いたかったんだよねー」

「……。」

「どした?」

「お前は虎なのか?」

「…たぶん。」

 月の輝く夜にホワイトタイガーの飼育舎で、人の姿をした銀時は満足げにケーキを食べている。土方はそれを眺めながら煙草をプカプカとふかす。

「なぁ、銀時。テメーの名前を決めるときに『銀時』にしろってえらい達筆のハガキが大量に届いたんだけどよ。心当たりねェか?」

「あるワケねぇじゃん。俺の記憶っつったら、オメーに抱かれてミルク飲んでたとか、オメーと一緒に寝たとか、そんなんしかねぇよ」

 ブフォッ!

「どーした?土方?」

「…いや、間違いではないけど、もうちょっと別の表現で頼む…」

「?」

 月夜には摩訶不思議なことが起こるらしい。



(了)

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