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いっぺん出掛けてしまうとしんすけはしばらく帰って来ない。
「出掛けて来るからいい子にな」
そう言ってアイツは俺の頭を撫でた。知らん顔をしていると「艶っぽい文なんか貰っちまったら顔ぐらい出してやんねぇと可哀想だろ?」とか言うから面白くなくてプイッとよそを向くと、アイツは俺をヒョイと抱き上げて笑った。
「俺を引き留めるにしちゃあテメェにゃまだまだ色気が足んねェなァ」
アイツの唇が俺の鼻先を掠める。俺がふにゃっと情けない声を上げると愉快そうにククッと笑った。ますます面白くなくてムッとしていると、アイツは「拗ねんなよ。土産を持って帰ェってくっからよ」と、今度は鼻先に唇を寄せチュッと音をたてると俺をストンと畳の上に下ろし「じゃあな」と笑って出て行った。
しんすけが出掛けて何日ぐらい経ったのかなんて数えてないからわからない。もう、あんなヤツのことなんてちょっと忘れかけてて、ていうかすっかり忘れてた。またこが作ってくれたごはんを食べてだだっ広い部屋で退屈だなぁとゴロゴロゴロゴロしてると、「銀ちゃん、いいお天気でお庭が気持よさそうッスよ。退屈なら出てみたらどうッスか」と掃除をしていたまたこに話しかけられた。どうせヒマだし、またこの話に乗ってみようとムクリと起き上がった。
ほの暗い部屋から見える庭は明るくてキラキラピカピカしている。ちっとも気がつかなかったなぁと思った。そういや、たけちやばんさいに豆を山ほど投げつけた日に「春が来るなァ」としんすけが酒を飲みながら言ってたっけ。しんすけが言ってたとおり春が来てるみたいだ。俺が投げた豆を痛がるたけちやばんさいの方がずっと面白かったからそんな話なんて忘れてた。
草履を引っ掛けて庭に出た。俺は裸足でも全然かまわねーんだけど、またこが悲鳴を上げるから仕方ない。部屋から見た庭は明るくてあったかそうな光でいっぱいだったのに、庭に出てみると意外と風は冷たくてブルリと身震いした。花も咲いてないし、ちょうちょも飛んでない。ただ空だけは明るくて、澄んだ水色をしてて、そこに真っ白な雲がポツリポツリと浮かんでいる。なぁんだ、ちっとも春なんて来てねぇじゃん。アイツ、ウソつきだな。とか思ってっと、ふわっといい匂いが鼻を擽った。匂いがした方を見るとちっさい白い花を付けた木が立っている。
「あ」
しんすけがじーっとこの木を眺めてたことがあった。俺が「なぁなぁ、なにしてんの?」と訊くと「待ってんだよ。咲くのをな。綺麗だぜ」と笑ってた。そんで、ふわりと吹いた風に靡いた黒髪の合間から眼帯がチラリと見えたっけ。しんすけは一個しかない目ん玉でいろんなモンを見てる。アイツにはあんときはまだ咲いてなかったこの花が見えてたんだな。確かにアイツの言ったとおりキレイだ。風はまだこんなに冷たいのにこんなに花をつけて、コイツは春が来るのを待ちきれなくて真っ先に咲いちまうのかな。なんだかアイツに似てる。ぷぷぷと笑いが漏れた。アイツ、のん気そうにしてっけど実はせっかちだもんな。俺は知ってんだ。でも、せっかく咲いたのに早く帰って来ないと散ってしまう。しんすけはこの花が散ってしまってたら残念がったりするんだろうか。
遠くで戸の開く音がして足音が聞こえた。ピクッと動いた耳がなんだか悔しくてムギュッと押さえると、今度はしっぽがフヨンと動く。ムムムと片っぽの手を耳から離してしっぽを掴んだ。
「よォ、帰ェったぜ。……って、銀時、テメェ、面白ェことやってっけど、何だ、そりゃ」
俺が耳としっぽと格闘してると後ろから声がした。
「う、うるせー」
俺が振り向いたりせずに応えると、クククとイヤミな笑い声が聞こえる。そうそうこんなヤツだった。ヤなヤツなんだよ。いっつも人ンこと笑ってばっかりでよ。俺はいつかコイツにギャフンと言わせてやんだ。
「ところでよ、土産はいらねェのか?」
しんすけはそんな俺の壮大な企みを知ってか知らずか俺に話しかける。
「い、いる」
俺が慌てて答えると、しんすけは「じゃあこっちに来いよ」と風呂敷包みをぶらぶらさせ笑った。
「なぁなぁ、はやくみせろよ」
「ほらよ」
しんすけが開いた風呂敷包みから出てきたのは、ほんのりと薄紅色をした花を模したもので、すっごくキレイでしかもなんだか甘い匂いがする。
「うわぁあああ…」
「気に入ったか」
「うん」
「食えんだぜ」
「マジでか!?」
「あぁ、マジだ」
しんすけは食えると言ったけど食べるのはもったいなくてツンツンと指でつついて、その指をペロリと舐めた。ほわっと甘くてニンマリと笑ってしまう。しんすけが満足そうな顔をして俺の頭をポンポンと撫でた。
「あ、」
「どうした?」
「オメーがいつかいってたはなあるじゃん。アレな、さいてるぜ。ホラ」
俺が花を指差すとしんすけは目を細めて嬉しそうな顔をした。その顔を見ると俺もなんだか嬉しくて間に合ってよかったなぁと心底思った。
「この菓子はあの花を模したモンなんだぜ」
「へぇえええ。いわれてみっと、たしかにそうだなぁ。へへっ」
「テメェはあの花の名を知ってんのか」
「しらねー」
「梅ってんだ」
「うめ?」
「そう、梅。昔は花っていやぁ梅のことだったらしいが、近頃じゃあちと変わって来てるみてェだけどなァ」
「しんすけはうめがすきなのか?」
「この世の面白ェモン、綺麗なモンはなんだって好きだが、梅はそんなモンの中でも特に気に入ってるモンのひとつかもなァ。テメェはどうだ? 銀時」
「おれ? おれはテメーがすきなもんだったらなんでもすき。だからうめもすき」
しんすけはほんの一瞬だけ妙な顔をしたあと、「本当にテメェは面白ェよ」となんでもできる器用な長い指で俺のほっぺたを撫で上げた。
「でもよー、まにあってよかったな。うめがちってしまったらオメーつまんねーだろ」
「だから帰ェって来たんだろ。テメェと花見しようと思ってよ」
なんだか背中のあたりがムズムズとして思わずへへへと笑うと、しんすけもちょっとだけ嬉しそうな顔をした。庭に咲く梅の花も、しんすけが持って帰ってきてくれた梅の花もどっちもすげーキレイだし、天気はいいし、なんかすげー楽しい。
「晋助様、お持ちしたッス」
「おぅ、悪ィな。ありがとよ」
またこが酒を運んで来た。またこが土産の菓子をヒョイと覗いて「可愛いッスね」と俺の顔を見て笑ったから、「またこにもひとつやるよ。しんすけ、いいだろ?」と言うと「あぁ、構わねェよ。テメェのモンなんだから好きにしろ」と返事が返ってきた。またこは「イヤイヤイヤイヤ、いいッスよ。晋助様が銀ちゃんにって持って帰って来たモンなんだから私がもらったりしちゃ申し訳ないッス」と慌ててたけど「おれがおれのかしをやるっていってんだからいいの!」と無理やり持たせると、またこははにかんで「ありがとうッス」と呟くように言ってから下がって行った。俺が「またこはいいヤツだなー」と言うとしんすけも「そうだな」と言った。
「オメーはこんなひるまっからのむのか。つうかさ、さけってうまいの?」
「阿呆が。わかってねェなァ、テメェは。酒なんてェモンは普通は飲まねェようなときに飲むから贅沢で旨ェんだろ。例えば、天気がよくて、花が咲いてて、テメェみたいなのがいる今日みてェな日とかにな」
「な、な、おれものんでみてぇ」
「テメェにゃ早ェよ。ものの道理ってモンがわかってこねェと酒の味なんてわかんねェよ。もちっとデカくなって色っぽい誘い文句のひとつも言えるようになったら飲ませてやらァ」
「ちぇっ。つまんねーの」
「つまんなくなんかねェさ。ホラ、口開けな」
しんすけに言われるがままに口をあーんと開けるともったいなくて食べられなかった菓子を突っ込まれた。
「旨ェか?」
しんすけは俺の顔を覗き込むようにして訊いた。俺はモグモグと口を動かしながらコクコクと頷いた。そんで、すっげぇなぁ、キレイだなぁとしんすけの一個しかない目ん玉を見た。真っ黒なんかじゃなくてちょびっとだけ緑がかってて、そんな特別な目ん玉だからいろんなモンが見えたりすんのかなと思う。しんすけの描く絵がすげぇのはそんな目ん玉で見たモンを描くからなのかもなぁと思うとなんだか妙に合点が行った。
「なぁ、しんすけ」
梅を眺めながら酒を飲むしんすけに話しかけた。
「どうした?」
「また、でかけんの?」
「梅の咲いてるうちはどこにも行かねェよ」
「だったらずーっとさいてりゃいいのに。ちらなきゃいいのにな。なんかうまいほうほうとかあんのかな」
「そりゃあ、無理だ。花は咲いて散るもんだからなァ」
しんすけにむぎゅうとしがみつくとしんすけはほんのちょびっと寂しそうな顔してから、手の甲で俺のほっぺたをそうっと撫でた。その手はなんだか冷たくて俺も急に寂しくなったからぎゅうぎゅうとしんすけに強くしがみついた。
(了)
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