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 飾り職の晋助は腕はいいが仕事を選ぶので実入りはあまりよくない。とは言うものの、独り身だし食うには困っていないので本人はそれでよしとしている。大金を動かすような大商いをしているならともかく、自分みたいな職人があくせく働きケチって貯め込んだところでたかがしれている。何事もいい塩梅ってヤツが大事な訳で、寝る家があって着るモンがあって、毎日おまんまにありつけりゃあそれで十分だ。

 その晋助、若い頃のやんちゃのせいで片目がないのが玉に瑕だがそれでもお釣りがくるぐらい男前ときたもんだから、同じ長屋の女どもは「晋さん、晋さん」と競って晋助の世話を焼きたがる。旦那たちは最初は黄色い声を上げ騒ぐ自分の女房たちを渋い顔で眺めていたが、世話を焼かれる晋助がそれを適当にあしらっているのを見て近頃はまあいいかと知らん顔している。自分たちだって水茶屋の看板娘に鼻の下を伸ばしたりしてる訳だからそう強くは言えないし、何より女房に口で勝てる気がしない。となれば黙っているのが一番だ。触らぬかみさんに祟りなしだ。

 石町の鐘が明け六つを知らせると、人は起き出し町はだんだんと騒がしくなる。飯の支度を始めた長屋の女たちが挨拶を交わし井戸端でぺちゃくちゃと喋っているのが聞こえてきて、遠くからは豆腐屋やら納豆売りやらの声がする。

 晋助はいつもはそれを聞きながら井戸端が静かになるまでしばらく寝ているのだが、たまには起きて飯でも炊いてみるかとムクリと起き上がった。それと言うのも、昨日の晩に食べ損ねためざしが2尾残っていて食べてしまわないともったいない。晋助は草履を引っ掛け土間に降りると、めざしの乗った皿に被せておいたざるを取り、めざしの尻尾を摘みクンッとその臭いを嗅いでから大丈夫そうだなと皿に戻した。

「あら、晋さん、今朝は早いんだねぇ」

 外に出てグーッと背伸びをしているとちょうど通りかかった桶を抱えた長屋のちょいと年増な女に話しかけられた。「あぁ、たまにはなァ」と晋助が答えると、「あら、晋さん、今日もいい男だねぇ」と次から次に嬉しそうな女たちが顔を出し、晋助を囲むときゃいきゃいと黄色い声を上げる。

「ねぇ晋さん、あんた、朝餉はどうすんだい?」

「今日は作ろうかと思ってんだがなァ。昨日食い損なった尾頭付きがあってな」

「おや? 晋さんが作んのかい?」

「不器用な方でもねェしなァ。作れんじゃねェのか?」

 晋助が自分を囲む女たちをぐるりと見回しニヤリと笑いながら答えると、女たちは「ホントに作れんのかい?」とカラカラと笑ってから「わざわざ作んなくたっていいよ、晋さん」と続けた。

「ご飯とおみおつけぐらい一人分増えたところで大したことないからうちのを分けてやるよ」

「何言ってんだいアンタんとこは子沢山で余分なんてないだろ。晋さん、うちのをやるよ」

「ちょいとアンタの作るモンなんて晋さんの口にゃあ合わないよ。うちのをやるよ」

 口々に「うちが」「うちが」と騒ぐ女たちに少々閉口しながら晋助が「じゃあ、今日はオメェんとこに飯、で、オメェんとこの味噌汁を馳走になるからよ。他はまた今度頼むってことでいいか」と口を挟むと、馳走になると言われた二人は「まかせなよ」と笑い、他の女たちは「晋さんがそう言うんなら…」と不服そうに口を尖らせながらも納得した。

 とりあえず、長屋の女たちとの話がつき、只で馳走になっちゃあテメェらの旦那に申し訳ねェからと自分の分の米と味噌汁の具は俺持ちでと晋助は表通りで蜆売りが通るのを待っていた。昼間ほどの賑わいはないが、人通りはそれなりにある。道行く人を眺めながら蜆売りを探していると、よく見知った男がこちらに向かって歩いて来る。

「あれ? オメー、ンなとこで何やってんだ?」

 晋助にそう話し掛けた男は湯屋の帰りなのか、手拭いを肩に掛け、体からホカホカと白い湯気を立ている。晋助は「テメェこそ何やってんだ?」と風呂上がりらしい男の頭のてっぺんからから足元へと視線を下ろすと、小さく舌打ちをした。

 男はちょっと風変わりな形をしている。年の頃は晋助と変わらないようだが、きちんと髷を結ってはいない無造作に束ねただけの髪は、風呂上がりで湿っておりくるりくるりと大きくうねっている。そのうねった髪は薄い灰色っぽい色をしており、乾けばふよふよとした白い綿毛みたいになるに違いない。そして、晋助のことを見ているキョトンと見開いた眸は赤っぽく、その仕草とちょっと変わった毛並みと色は猫を思わせる。

「俺? 俺は仕事上がりにひとっ風呂浴びてオメーんちに行く途中。で、晋助、オメーはこんなとこに突っ立って何やってんだよ。俺が来んのを待ってたとか?」

 晋助に『銀時』と呼ばれた男はそう答えるとにひゃりと子供みたいに笑う。

「ンなワケあるかよ。長屋の女どもが朝飯食わせてやるってきかねェから頼んだんだが、只でってワケにもいかねェから蜆売りが来んのを待ってんだよ」

「何? オメー、飯まだだった? ちょうどいいや。食わせて貰おうと思ってたんだよな〜」

「テメェの飯なんざあるワケねェだろうが。俺の飯の話をしてんだろう」

 晋助は呆れた顔で銀時を見たが、銀時がそれを意に介す様子はない。

「あ、これ、納豆な。来る途中に納豆売りがいてよ」

 銀時は「礼には及ばねーぜ」とふんぞり返ったあとニヒヒと笑った。そして手に持っていた納豆を「ほら」と見せびらかす。目の前のこの男に何をか言ったところで無駄なことは百も承知で、晋助は銀時の顔をチラリと見やるとハアと息を吐いた。銀時はそんな晋助をじろりと見ると「なんだよ」と面白くなさそうにぼやいた。

 やっと捕まえた蜆売りから蜆を買うとさっき味噌汁を頼んだ女にそれを渡し、分けて貰った火でめざしを焼く。

「あ〜、早く焼けねーかなー」

「…テメェには関係ねェだろうが」

 晋助と銀時は長屋の前で七輪を挟んで向かい合わせにしゃがみ込んでめざしをじっと見つめている。めざしの脂が炭にポタリと落ちるとジジッと音をたて焼け白い煙が上る。旨そうな匂いが鼻を擽った。

「は? なんで? 2尾あんじゃん」

「阿呆か。2尾とも俺が食うに決まってんだろ」

「納豆買ってやったじゃねぇかよ」

「礼には及ばねーっつったのはテメェだろうが」

 晋助と銀時がめざしを挟みああだこうだと言い合っていると、「晋さん、おみおつけできたからお椀貰ってくよ」と女が手拭いで手を拭きながら近づいて来る。

「って、あれ? 銀さんじゃないか? じゃあ鍋貰ってくよ。銀さんも食べんだろ?」

「コイツの分なんていらねェよ」

「いいの。いいの。そんなにたくさんはやれないけどさ。蜆なんて貰っちゃっただろ。その礼さ」

 そう言って土間からヒョイと鍋を持って行く。銀時が「すまねぇなぁ」とその女に手を振るので、晋助は「テメェの台詞じゃねェだろうが」とその頭を小突いた。鍋を持って行った女が別の長屋の戸の前で「銀さん来てるよー」と声をかけると、「あれ? じゃあちょいと多めによそってやんなきゃねぇ」と女の声が聞こえる。晋助がチッと舌打ちをすると、銀時は顔を上げ晋助を見て「どうした?」と小首を傾げた。晋助は銀時をまじまじと眺めると「馬鹿が…」と溜め息を吐いた。

「おや、ホントだ。銀さんじゃないか。商売の方はどうだい? 夜通し働く商売なのは知ってっけどさ、ちゃんとお天道様に当たんなきゃダメだよ。なまっちろい顔しちゃってさ」

 尻尾を摘もうと銀時がめざしに手を伸ばしかけると頭上から声がした。晋助が「触んな」と銀時の手をパシリと叩く。銀時が顔を上げると、晋助はめざしの尻尾を摘みひっくり返した。

「まあまあってとこかなぁ。つか、なまっちろいのは生まれつきでこれ以上どうにもなんねぇっつうの」

 銀時が唇を尖らせそう答えると、女はフフフと笑ってから「たんとお食べって訳にはいかないがちゃんと食べんだよ。じゃ、お櫃貰ってくよ」と開けっ放しの戸をくぐった。

「世話かけて悪ィなァ。そこにある納豆持ってていいぜ。銀時が持って来たんだがオメェらんとこで食ってくれ」

 晋助が顔を上げ戸の内側に向かって話しかけた。

「あら、そうかい? なら、有り難く貰ってくよ。銀さん、悪いね」

「いいってことよ」

「何偉そうに言ってんだ、テメェはよ」

 晋助は銀時の頭にゴンと一発、拳骨を落とした。

「ッてぇなぁッ! 何しやがんだ!?」

「何しやがるって、テメェが馬鹿だからだろうが。つうか、自分の塒に帰りやがれ。追い出されたとか言うんじゃねェだろうなァ」

「まだ追い出されてねぇよ。つうか、追い出されたら、俺ここに住むし」

「はあ!? ヅラんとこにでも行け。アイツんちだったら部屋余ってるだろ」

「ヅラァ!? ぜってーヤダ。アイツんちなんかに居候できるかよ。馬鹿なガキどもがうるさくて寝らんねーだろーが。それ以前にアイツがうぜーだろ。あ、辰馬んちに行くかー。アイツんちはいくらでも部屋余ってんだろ」

「ッとに馬鹿だな、テメェは。坂本がいいっつってもアイツの家のヤツらがいいっつう訳ねェだろうが」

「あん? じゃあテメーんちしかねぇじゃん。つうかさー、もうここに住んでいい? 店賃折半すりゃいいだろ?」

 そう言った銀時が「お、そろそろ食えるかな」とめざしに手を伸ばすので、晋助は「テメェんじゃねェっつってんだろ」と手を払う。

「いいじゃねぇかよ。食わせろよ」

「誰が食わすか」

「けち」

「ケチじゃねェ」

 七輪を挟んでしゃがんだまま二人で睨み合っていると、『ナァ』と鳴き声がした。鍋をぶら下げた女とお櫃を抱えた女が「あ」と口を開ける。二人は「食わせろ」「断る」と繰り返している。ずんぐりとした白い猫がググッと前脚を伸ばし七輪の上のめざしをじっと見ている。女たちが「あ〜…」と晋助と銀時と白猫を眺めていると、猫はそのずんぐりとした体格には似合わない素早さでヒョイッと七輪のめざしをくわえた。

「あぁーーーッ!!!!!」

「俺のめざしーッ!」

「俺のだ! 馬鹿野郎!!!」

 猫はピタリと立ち止まると、めざしをくわえたまま振り返った。二人が「あッ、オイッ」と立ち上がろうとすると、猫はくるりと踵を返し走り去った。

「あらら〜、それを二人で仲良く分けることだねぇ」

「せっかくの尾頭付きだったのにねぇ」

 クスクスと笑いながら女たちが、がっくりと肩を落とす二人に話しかける。

「…俺のめざし」

「だからテメェのじゃねェ、俺のだ」
「まあまあ、ほら、ごはん食べなよ。部屋に置いたよ」

「あぁ、すまねェな…」

 落ち込む二人の様子にクスクスクスクス笑いながら「元気出しなよ」と女たちは帰って行った。

 窓辺に置いた作業用の机に薄い日が射し込む。晋助がカツカツと小さな音をたてながら簪を作る傍らで銀時が口を開け今にも涎を垂らしそうな勢いで寝ている。そよりと風が吹き抜けフワリとすっかり乾いた銀時の髪が揺れる。『ナァ』と鳴き声が聞こえて、晋助が手を止め振り向くとさっきの白猫いた。晋助が「旨かったか」と訊くと一声鳴いて尻尾を振った。そして軽やかに跳ね部屋に上がると寝ている銀時のすぐ隣で丸くなる。猫は欠伸をするとその飴みたいな眸を閉じた。晋助は微かに口の端を上げ笑うと作業に戻った。



(了)

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