*

 土方は提灯を片手に川沿いの道を独り歩いている。夜鷹をしょっぴくために一緒に見廻るはずだった総悟は「アンタにまかせやしたー」とずいぶん前に姿を消した。今夜の月は明るく、乾いた風は爽やかで心地いい。サワサワとまだ柔らかい小さな葉をつけた柳が風にそよぎ、水面に映った月はユラユラと揺れた。

 土方は「面倒くせェなァ」と独りごちてからチッと舌打ちをする。売る女も女なら買う野郎も野郎だろう。世間じゃいつだったか夜鷹細見なんてモンまで出回ったなんてこともあったと聞く。好きでやってんだから勝手にやらせとけと思うがそうもいかない。なにせそれでおまんまを食ってる身だ。上からやれと言われればやらない訳にはいかない。土方は「馬鹿馬鹿しくてやってられっかってんでィ」と逃げた総悟の姿を思い出し、もう一度舌打ちをした。

「旦那、どうしたんだい? えらく機嫌が悪そうじゃないか?」

 背後からそう声がして、土方は振り向きながら提灯を翳した。ぼうっと見えたのは夜鷹の姿で、吹き流しに被った手拭いの隙間からチラリと見える肌はえらく白い。

「俺が誰だかわかって話しかけてんのか」

「ありゃ、アンタ、お侍さんかい? 見逃しとくれよ。今夜はこれでしまいにするからさ」

「そうはいくめェ。テメェみてェなのをしょっぴくのが俺の仕事だからなァ」

「アンタたちがアタシらをしょっぴくことで食ってるようにこっちはこれで食ってんだよ。アンタらがこうやって出てくるたんびにアタシらみてぇなのは食いっぱぐれてんだ。今夜なんて客なんか取れやしない。見逃してくれたって罰は当たらないと思うがねぇ、お侍さん?」

 夜鷹は科を作り、土方の腕にツッとその白い指を滑らせる。クスリと笑った紅い唇が艶っぽく弧を描く。「そうはいくか」と土方が夜鷹の腕を掴もうと手を伸ばしかけると夜鷹はスルリと身を交わした。

「お侍さん、アンタ、えらく男前なのに野暮だねぇ。野暮な男は女に逃げられるよ」

 夜鷹は袖で口元を隠すとフフフと笑う。夜鷹の自分を小馬鹿にしたような仕草にいらりとした土方は夜鷹を睨みながら「…オイ」と低い声で凄むと今度こそ夜鷹の腕を掴んだ。

 流れる雲に月が隠され辺りがほんの一瞬暗くなった。土方に腕を掴まれた拍子に夜鷹が被っていた手拭いがはらりと落ちる。そして、再び顔を出した月の明かりに照らされた夜鷹の姿に土方は驚き目を見開くと、その姿に思わず見入った。

「ちょっと珍しい色だろ?」

 柘榴石みたいな紅っぽい眸を細めて笑う夜鷹の無造作に束ねられた髪は月明かりを浴びて銀色に光っている。紅い眸は髪と同じ色の睫に縁取られていた。そして、透けるように白い肌に夜鷹の紅い唇はやたらに目立ってなまめかしい。

「…それ、」

 土方がじっと夜鷹の顔を見たまま口を開くと、夜鷹は最後まで聞かずに答えた。

「ホンモノだよ。アタシみたいなのはこうでもしなきゃ食ってけないのさ。だから今日のところは見逃しておくれよ」

 夜鷹は「駄目かい?」と土方の頬を撫でる。土方を撫でたその手は本当に真っ白でひやりと冷たかった。ふわりと鼻を掠めるのはおしろいの匂いではなく花が虫を誘うような甘い匂いだ。

「…本当に今日は客を取ってねェんだろうな」

「取ってないよ。アンタとアタシ以外誰もいやしないじゃないか。おや? もしかして見逃してくれんのかい? やさしいねぇ、お侍さん」

 夜鷹はほんの少し嬉しそうに笑うと土方を覗き込むように首を傾げた。

「オメェ、名前ェは?」

「あれ? 名前なんて訊くのかい?」

「一応な」

「銀時。銀時だよ」

「銀時、か。」

「そう。銀時だよ」

「銀時、次はしょっぴくぞ。覚えとけ」

「じゃあ、アンタに出くわさないように気をつけなくちゃ。ありがとう、お侍さん、助かったよ」

 銀時と名乗った夜鷹は土方の肩の辺りに手を置き耳元で囁くようにそう言うと、土方から離れ雲が再び月を隠すのと同じに夜の闇へと消えて行った。


 * * *


 土方は「…総悟の野郎」とぼやきながら昼下がりの町を見廻りと称して歩いていた。通りの反対側に蕎麦屋の看板を見つけて、そう言えば腹が減ったなふと思う。蕎麦でも食べるかと通りを横切ろうとした自分の目の前を通り過ぎて行く女には見覚えがあった。

「オイ!」

 土方はとっさにその腕を掴んだ。「おっと」とよろけた女が顔をこちらに向ける。「銀時」と呼んだ土方を不思議そうに見た。

「確かにあたしゃ『銀時』だけどさ。アンタ、誰だい?」

「覚えてねェのか。見逃してやっただろ」

 銀時はちょっと怪訝な顔をしてから「あ!」という顔をした。あの晩せっかく見逃してやったのに面白くない。こんなことならとしょっぴいとけばよかったと土方は眉を顰めた。

「アンタ、あんときのお侍さんかい?」

「せっかく見逃してやったのに覚えてねェのかよ。こんなことならしょっぴいてやるんだったぜ」

「いくら月が出てたってあんな暗がりじゃ顔なんかまともに見えやしないじゃないか。アンタはよく覚えてたね」

「そりゃそうだろ。テメェみてェなのはいっぺん見たら忘れねェだろ。つうか、テメェはいっつもああやって見逃してもらってんのか?」

「そうだよ」

 銀時はあっけらかんとして答えた。

「…やっぱしょっぴいときゃよかったな」

 チッと舌打ちしてから苦々しくそう呟いた土方に銀時はヒョイと肩を竦めた。

「まあいい。腹減ってねェか。そこで蕎麦でも食おうと思ってたんだが、テメェもどうだ? 馳走してやるぜ」

「おや? 嬉しいねぇ。お言葉に甘えるとするよ」

 銀時は一瞬驚いたような顔をしてから少しはにかむように笑った。「あの蕎麦屋でいいか」と訊けば「構わないよ」とにっこりと屈託なく笑う。あの夜の銀時はえらくなまめかしかったが、目の前にいるこの女はどこか可愛い。あれは夜の顔ってヤツかと土方はなんとなく考えた。

「しっかし、テメェ、なんだその形は?」

 蕎麦を啜りながら土方がチラリと銀時を見る。

「似合ってんだろ?」

「まあ、悪かねェがなァ…」

 銀時は箸を置くと「駄目かなぁ」と小首を傾げる。男物の象牙色の小紋にチラリと真紅の襦袢が覗きどこから見つけてきたのか細い灰味がかった藍色の帯を無造作に結んでいる。髪はこの前の夜と同じに軽く結ってあるだけでうねる銀色の髪は上等の絹糸のようで細く柔らそうだ。

「ただでさえ目立つ形してんのにそんな格好してちゃますます目立つんじゃねェのか?」

 土方はもう一口蕎麦を啜ると目線を銀時にやった。

「あれ、心配してくれてんのかい? でも、そもそもがコレだからねぇ。普通の格好してんたんじゃかえって悪目立ちしちまうよ。こんぐらい可笑しな格好してちょうどいいぐらいなんだよ」

 銀時がそう言いながら自分の髪を眺め桜貝のような爪のついた白い指にそれを巻き取ると髪はクルンと跳ねた。そして土方に気づかれぬように溜め息を吐くと、箸を手に取り蕎麦を啜る。

「…悪かねェ。その色味はテメェ似合ってる」

 蕎麦を啜りながら顔を上げずに土方がそう言うと、銀時はヘヘッと小さく笑い「ありがと」と独り言ように言ってからズズズと盛大に蕎麦を啜った。


 * * *


 土方が人目を憚らず大きな欠伸をしたのはそこに人目がないからで、頭上にはぼんやりとした半分ぐらい欠けた黄色い月がポッカリと浮かんでいる。

「やるぞやるぞと言ったら奴さんだって馬鹿じゃねェんだから出て来ないに決まってらァ。上も本気でしょっぴくつもりなんてねェんだからマジメにやることねェだろ。てなわけで、俺は降りまさァ。家に帰ってゆっくり寝やす。せいぜい頑張ってくだせェ」

 そう言って総悟は職務を早々に放棄して宵闇の町に消えて行った。総悟の言うことは間違ってはないが、それが仕事ってんだからやらない訳にはいかないだろう。

「アノヤロー、ちったァ大人になれってんだ!」

 どうせ誰も聞いちゃいないだろうと大声で言ってみると少しだけすっきりとした。

 夜道を歩きながらふと思い出したのは銀時の姿だった。最初にとっつかまえてから、昼下がりだったり宵の頃だったりに何度かバッタリと出くわし、その度に食わしてやったり飲ませてやったりした。

 あの女はよく食べよく飲んだ。その姿はおよそ女らしくなく、酒が入ると大口を開けてカラカラとよく笑う。しかし、決して下品というのではなく時折見せる恥じらうような仕草にドキリとさせられたのも事実だった。思わず手を伸ばしそうになった柔らかそうな銀色の髪や、ふっくらとした白い手とその先についている繊細そうな指を思い出す。そして、そういえばここ何日かは会ってないなと月明かりに照らされた柳の揺れる川縁の道の向こうへと視線をやると、ぼんやりとした人影が目に入った。

「オイッ! 銀時ッ!」

 土方は早足で近づくと腕をグイッと引いた。

「あれ? アンタも仕事かい?」

「アンタもって、テメェ、まだンなことやってんのか!?」

「まだって、そりゃそうだろ? これが商売なんだからさ」

 銀時は悪びれることなく土方を見た。

「やめろよ」

「は!?」

「やめろ」

「そういうワケにはいかないだろ。これで食ってんだからさ」

「他にあんだろ。もちっとマシなことやれよ」

 銀時はほんの少しだけ目を大きくし土方を見た。土方は腕を掴んだ手にもう一度グッと力を入れ、銀時を睨むような目つきで見返す。先に視線を外したのは銀時だった。銀時は土方の足元の辺りを眺めながら自嘲するように笑い溜め息を吐く。そして、再び顔を上げると挑発的な笑みを浮かべ土方を見た。

「アンタ、何度か飯を食わせてやっただけでこのアタシを手前ェの女扱いかい? 何か勘違いしてやしないかい? 笑わせんじゃないよ。抱え込む度胸なんてないクセに中途半端に世話を焼こうすんのは親切なんかじゃあないよ。ありがた迷惑ってんだ。アンタに言われなくたってまともな商売じゃないことぐらい百も承知なんだよ」

 銀時の腕を掴む手にますます力が入る。銀時はその手の力に眉を顰めた。土方は何も言わずに眉間に皺を寄せギリリと銀時を睨む。銀時は大きく嘆息した。

「アタシも悪かったよ。アンタみたいな生真面目に男にアタシみたいなオンナがちょっかい出すようなことしてさ。今夜でしまいにしようじゃないか。アンタと飲んだり食ったりしたのは楽しかったよ。ありがとさん」

 そう言うと、銀時はスルリと腕を抜き、一歩、二歩と後ろに下がる。首を僅かに傾げ微笑んだその顔は月に照らされ悲しげに見えた。

「…オイ、銀時、待てよ」

「じゃあね」

 ヒラヒラと手を振ると銀時は溶けるように夜の闇に消えて行った。土方はさっきまで銀時の腕を掴んでいた自分の手を見てから月明かりに照らされる川面を眺める。ひやりと冷たい風が頬を撫で、通り過ぎて行った。





(了)

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