*

 土方が机の上に積まれた書類の幾つかに目を通したあとそれらに印を押し、煙草に手を伸ばしかけたときに障子の向こうから申し訳なさそうに自分を呼ぶ声が聞こえた。

「あの〜、副長〜…、」

 声の主は山崎で、土方は時計を見てチッと舌打ちをしてから、山崎に「入れ」と声をかけた。

「…失礼します。あのですね、万事屋の旦那から電話がありまして、……」

 恐る恐る部屋に入って来た山崎は、土方をチラチラ見ながらはっきりしない口調で喋り始めた。土方は苛立ちを隠すことなく煙草をくわえると火を点けた。

「さっさと言え、あのヤローがなんだってんだ!」

「あ〜、いえ、いつものことなんですけど、うちの局長がしたたか飲んで酔っ払ってセクハラかましかけたところに、姐さんのアッパーが決まったらしく白目むいてダウンしたそうでして。まあ、引き取りに来てくれ、と、そういうことなんですけど…」

「…ッたく、あの人は……、ッとに懲りねェなァ……、」

「手の空いてる隊士を連れてさっさと行って来ようかと思ったんですが、アレでも一応局長ですし、副長に報告してからと思いまして…、」

「まあ、あの人にも立場ってモンがあるからな、一応。で、なんで、アイツから電話がかかってくんだ?」

「旦那ですか? 厨房のバイトらしいですよ」

 土方は諦めたようにため息と一緒に白い煙を吐き出すと、煙草を灰皿に押し付けた。

 *

 山崎が運転する車で近藤を迎えに行く。夜の街はキラキラとネオンが眩しい。土方はその眩しさに目を細めた。街には肩を組んでヨロヨロと歩く酔っ払い、カモを探す客引きやヒラヒラと手を振る着飾った女たちの姿。

 土方は、いつ来ても落ち着きのない騒々しい街だよなと煙草をくゆらせながら窓の外を眺めた。そして、さっき屯所に電話をかけてきたという白い男がちょっと肩を竦めこの街を歩く姿を思い出す。


「訴えられないからいいようなものの、局長、懲りないですよねぇ〜…」

「まあ、あれはあれで楽しんでんじゃねェのか、近藤さんも、眼鏡の姉ちゃんも」

「ぇえ〜! そうなんですかぁ!?」
「本気で嫌ならとっくの昔に訴えてるだろ」

「まあ、そうですかねぇ? 俺はてっきり姐さんは旦那といい仲だとばっかり…」

「そりゃねェだろ。アイツは他人が入って来れねェように線を引いてっとこがあっからなァ…」

「へぇ〜、そうですか? あの人、図々しいし、いいかげんだし、やりたいようにやってる感じに見えますけど。あっ、でも、たまにそれだけでもないのかなーとか思いますかね? 旦那、あんないいかげんなのに好かれてますもんねぇ」

「山崎。お前なァ、監察なんじゃねェのか…、」

「はぁ、まぁ、」

 土方がため息を一つ吐くと、見慣れたキャバクラの看板が見えた。山崎が車を停めると寒そうに肩を竦め腕を組んで店の外に立っていた万事屋が近づいて来て、コンコンと窓を叩いた。山崎が窓を開けると、万事屋はいつもと変わらぬ調子でへらりと笑い、

「よお。裏にまわれよ。ゴリラっつっても天下の真選組の局長さんなんだろ? 表から出すワケにもいかねぇだろ。いや、もう既に手遅れかもしれねぇけどよ」

と言った。

 赤やピンクのいかがわしいネオンにフワリと柔らかそうな銀色の髪が染まる。土方は煙草をくわえると山崎に「車、まわして来い」と告げ、車から降りた。

「近藤さんが世話になったな」

「まあ、気にすんな。手加減ナシのお妙も悪ィんだし」

 土方は「そうか」と呟くように相槌を打つとライターを取り出しくわえた煙草に火を点けた。

「…バイトなんだってな」

「たまにな〜。一応、用心棒も兼ねてるらしいんだけど、まあ、用心棒っつうよりお妙の暴走を止める係?」

 これと言って話題もなく苦し紛れに土方が口を開いた。万事屋がうつむき加減にクスリと笑い答えると、フワリと髪が揺れた。

「……、」

「オメーはいろいろタイヘンそうだなぁ〜」

 万事屋は首だけ土方の方に向けると、赤いガラス玉をはめ込んだ猫みたいな目を細めた。街の灯りが映る瞳がキラキラと揺れる。万事屋の口から零れた言葉には悪意はなく、やけにストンと土方の胸に落ちた。

「お疲れのようじゃん。目の下、クマできてっぞ」

「…あぁ、そうだな。ここんとこ忙しかったな。今日は今日で屯所で紙っきれ眺めてばっかりだったしなぁ」
 土方は煙草を口から離し煙を吐くと、思い出したようにポツリと言った。

「ちったぁゴリラを見習ったらどうよ? ホントのとこはどうだか知らねーけど、人生、楽しんでるぜー、オメーんとこの大将は」

「俺まで近藤さんみてェなことはやってらんねェだろ。いいんだよ、今のまんまで」

「何から何までゴリラを見習うことはねぇよ。何分の一かでもって話だよ。オメー、モテるんだろ? 誰かいねぇの?」

「…そんなんはいねェよ。つうか、いらねェ。テメェこそいるんじゃねェのか?」

「淋しいこと言うねぇ、お前さんは。俺? いるワケねぇだろ。金は持ってねぇし、コブ付きみてぇなもんだし」

 万事屋はその物言いとはうらはらに少し嬉しそうに笑うと、「冷えるなぁ」とぶるりと身を震わせた。

「ま、でも、確かに近藤さんは楽しそうにやってんな」

 土方は携帯灰皿にギュッと煙草を押し込むとストーキングに精を出す近藤の姿を思い浮かべプッと笑った。

 *

 店の裏にまわったが、山崎はまだのようだ。

「ジミー、いねぇなぁ。この辺は一通ばっかりだから時間かかってんのかもな」

「ま、着きゃ、電話してくるだろ。中、入ってようぜ」

「だな。あったけぇ茶でも飲んで待つか」

 カチャリとドアを開け店に入ると暖かい空気が顔を撫でた。奥の方から人の明るい笑い声や歌声、手拍子、グラスのぶつかる音が聞こえてくる。あのドンチャン騒ぎの輪の中に入りたいとは思わないが、こういう雰囲気はなんとなく人をホッとさせる。

 万事屋に「茶ァ、淹れてくっからそこで待ってろ」と言われ、従業員の控え室に入ると近藤が寝かされていた。どうやらそのまま寝たらしく、顔の形は少々変わっているが幸せそうにイビキをかいて眠っている。その寝顔に土方は確かにこの人は人生を楽しんでそうだなと思った。

 部屋の中を見回し灰皿を見つけると、煙草をくわえ火を点けた。

 フーッと煙を吐くと、気になるヤツならいるんだよなと土方は、さっき「誰かいねぇの?」と訊いてきた万事屋の顔を思い出した。

 自分はコブ付きだと言い嬉しそうに笑った万事屋を見たとき、よくわからないが「あぁ、そうか」と自分の中で何か腑に落ちた気がした。そして、口喧嘩とかでなく普通にゆっくりと酒でも飲んでみたいと思った。

 カチャッと音がして万事屋が部屋に入って来た。

「お待たせ〜。甘いモンよりはせんべいとかのがいいだろ。あ、マヨはねェから」

万事屋は「ほらよ」と土方の目の前にフワフワと湯気の立つ湯のみとせんべいを置いた。土方は煙草を消すと、茶を飲み、せんべいをパリッとかじった。

「うめェな」

「あ? せんべい? なんかたっかいせんべいらしいよ〜。どっかのオッサンにもらったとかで。高ェっつうだけで有り難みが増して、もうそれだけで3割増しおいしく感じるよな〜」

 万事屋はそう言うと、笑いながら茶をすすりバリバリとせんべいを食べている。

「いや、茶が」

「へ? あ? そうなの? 別にフツーの茶だぜ」

 万事屋はキョトンとすると、せんべいを食べるのをやめて答えた。

「うちのヤツらに頼むと熱かったり、温かったり、出涸らしだろうが何だろうが適当だからな」

「へぇ〜。ま、うちも普段はそんなモンだぜ」

「知っててやんねェのと、端っから知らねェのとじゃ全然違うだろ」

「そんなもんかねぇ〜」

 土方が「そんなもんだろ」と答えると、土方の携帯が鳴った。万事屋は「よっこいせ」と立ち上がり、部屋を出た。電話は山崎からで『着きました』の声のあと『あ、旦那』という声が聞こえ、『そっちに行きます』と電話が切れた。

 土方は残りの茶を一気に飲み干すと、

「おい、近藤さん、帰るぞ」

と、近藤を揺すったが起きる気配はない。「参ったな」とため息を吐いた。

「ゲッ!? 局長、寝ちゃってんですか?」

 ドアが開き、山崎がひょっこり顔を出した。イビキをかく近藤を見て呆れたように「あ〜ぁ、ホント、懲りないんだから」とブツクサと言っている。

「仕方ねェからこのまま車まで運ぶぞ」

「ですよね〜。仕方ないですよね〜」

 近藤はムニャムニャと何やら寝言を言い、相変わらず幸せそうに寝ている。土方と山崎が近藤を抱えると、

「なんだ、ゴリ、起きねぇの?ゴリと言えどもお疲れなんだ」

と、笑う万事屋の声がした。

 まあ、多少仕事を犠牲にしてはいる気もするが、一応、局長の仕事をこなし、暇さえあればストーカーに勤しみ、時間を見つけてはこの店に通ってぶん殴られてるんだから、疲れてはいるだろう。

 もうちょっと真面目に仕事をしてくれと思わなくもないが、まあ、これはこれでいいのかもしれない。

 近藤をどうにか後部座席に突っ込むと、土方は「帰ェるぞ」と山崎に言った。ハァと何回めかのため息を吐き、煙草をくわえる。

「オメーの肺は真っ黒だな」

 万事屋が不意に口を開いた。

「あ?」

「煙草。オメーさぁ。ここに来てから何本吸ってんだよ」

 万事屋は自分の口を指差し、目を細めクスリと笑った。形のいい爪のついた白い指先が優雅な弧を描く薄紅色の唇を差す。

「あぁ。いいんだよ。真っ黒なのは肺だけじゃねェし…」

 土方はそう言ったあとにしまったと思ったが、万事屋は興味なさげに「ふーん」と相槌を打っただけで、

「オメーが来るとは思わなかったよ。じゃあな」

と、土方の肩をポンと叩いた。

 土方は「あぁ」とだけ返事をすると車に乗り、山崎に「出せ」と短く言った。

 万事屋は車を見送りながらヒラヒラと白い手を振っている。隣でカシッと缶を開ける音がした。山崎が缶コーヒーを飲んでいる。

「旦那がくれたんですよ〜。俺の名前は相変わらず間違ってんですけど。ってゆーか、あの人、覚える気がないんだろうけど」

 後ろをチラリと見ると近藤は気持ちよさそうに寝ている。『何分の一かでも』と言った万事屋の言葉を思い出す。この人は何も諦めないんだよな、と思った。真選組も。惚れた女も。さっき、別れ際に「飲みに行かねェか」とでも言ってみればよかったのだろうか。

 土方は煙草を口から離すと、まだ吸い始めたばかりだったそれを携帯灰皿に押し込んだ。



(了)

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