*

 なんだか寒いなと思って目が覚めた。障子の向こうがやけに明るい。むくりと起き上がって、空気の冷たさにブルリと身震いすると腕をさすりながら障子に近づき、人差し指でほんの少しだけ障子を開けた。

「あ」

 隙間から見えたのは真っ白な雪景色だった。スーッと障子を開けると冷気が部屋に流れ込んだ。雪はすっかりやんでおり、透明な冬の陽光が雪に乱反射して眩しい。

 まだ誰にも踏まれていないそこに自分の足跡を一番につけたくなった。寒いかなと思ったけれど、寝巻きのまま草履をひっかけ、ピョンッと庭に飛び降りた。サクッと音がして、雪に足が沈む。ひやりと冷たさを感じた。子供っぽいなと思いつつも嬉しくなり、一歩、二歩と跳ねるように足跡をつけた。

 そうやっていくつかポン、ポンと足跡を残してから、おもむろにしゃがむと雪を掬って団子を作る。四つ作って、小さな二つの雪だるまにした。キョロキョロとあたりを見回すと庭の隅に植えられた南天の木を見つけた。赤い実を四ついただくと雪だるまに目をつけてやる。

「へへへ。じょうでき〜」

 冷えた手を擦り合わせ、ハァッと息を吹きかける。自分の吐く息はほんのりと暖かく、ほわっと自分の手を包み、そして消える。何度か息を吹きかけゴシゴシと手を擦ってから、ふと葉の落ちた庭木を見上げた。

 細い枝に雪が積もり白い花が咲いたように見える。あぁキレイだなと思っているとパサリと雪が落ちた。

「さむッ」

 ちょっと調子に乗りすぎたようだ。指先やつま先がジンジンして感覚がなくなってきた。そろそろ部屋に戻るかと思いかけたところで背後から声がした。

「おい」

「あ? 高杉?」

 振り向くと高杉が腕を組んで不機嫌そうな面で銀時を眺めていた。

「馬鹿が雪の中で何やってんだ?」

「ん? ちょっと遊んでた」

「犬っころみてェに雪見てはしゃいてんじゃねェよ」

「うるせーよ」

 高杉は反射する光の眩しさに目を細め、馬鹿が遊んでいたという庭を眺めた。

 手を擦りながら「う〜さむさむ」と戻ってくる銀時の背中の向こうにはいくつもの足跡と赤い目の雪だるまがふたつ並ぶ。

「どした?」

 銀時がキョトンとした顔で自分を見上げている。

「…いや、テメェはホントにガキだな…、」

 高杉は呟くようにそう言うと、少し湿った銀色の頭をくしゃりと撫でた。



 *



 開け放った部屋へと吹き込む風がひんやりとして強くなる。ひと雨来るな、銀時はそう思ってムクリと起き上がると縁側に出た。

 見上げた空に流れる雲は黒く分厚い。さっきまでうるさく鳴いていた蝉の声はやみ、辺りは薄暗くなった。名前は知らないが松陽が植えたであろう爽やかな青い色をした花が風に揺れる。ゴロゴロと空が泣き始めると、ポツリポツリと大きな雨粒が落ち始めた。

 ゴロゴロゴロゴロ…

 ザアァァァ…

 銀時はボーっと雨で白く煙る庭を眺める。そして、自分を『銀時』と呼ぶその人が傘を持たずに出掛けたことを、ふと思い出した。

 銀時は縁側に腰掛けぶらぶらさせていた足をピタリと止め、立ち上がり部屋の方を向こうとしてそのままピタリと止まり、そしてもう一度庭を見るとくるりと踵を返しパタパタと部屋を走り抜け、傘を2本持つと外に出た。

 雨脚は激しくなっており、銀時は傘を差しバシャバシャと雨の中を歩く。ゴロゴロと雷の音が厚い雲のかかった空から聞こえてくる。落ちて来なけりゃいいけどと、銀時は小さくため息を吐いた。

 傘を叩く雨粒の音はボタボタと大きな音をたてる。銀時はやっぱり家で大人しく待っていた方がよかったんじゃないだろうかと思う。

 視線を遠くにやり、白く霞む景色に目を細めると、傘を差す人影がふたつ見えた。人影は松陽とやたらに自分に絡んでくる目つきの悪いアイツだ。

 アイツが松陽のことをソンケイしていて、その松陽に拾われて一緒に暮らしている自分のことが気にくわないことぐらい簡単にわかるし、そうだろうなと自分でも思う。

 アイツは今、すごく嬉しそうな顔をして松陽の隣を歩いているに違いない。雨が傘を叩く音のほかは何も聞こえてこない。少しだけ、ほんの少しだけ寂しく思ってしまった自分の胸の内をごまかすように銀時は急いで家へと引き返した。

 家に着くと庭の方を向きごろりと寝転がる。玄関の方から物音がして、松陽が帰って来たのがわかった。濡れた傘は目につかないところに置いたので自分が松陽を迎えに外に出たことはきっと気づかれないはずだ。

「銀時」

 自分を呼ぶ声がする。スーッと襖が開けられた。

「銀時? おや、寝ているのですか?」

「……」

 銀時は寝たふりを決め込んだ。松陽がクスリと笑ったような気配を感じたが、銀時が知らん顔で寝たふりを続けていると、湿ってクルクルとハネた髪を大きな手が撫でる。銀時はその手のやさしい感触に僅かに身じろいだ。

「銀時。着替えないと風邪を引きますよ。足も洗わないといけませんよ。あと、廊下の小さな足跡の掃除もね」

 銀時は松陽に背を向けたままコクリと小さく頷いて、それを見た松陽は満足そうに笑った。



 *



 そろそろ梅雨も終わる。雨はとうの昔に上がった。風に揺れる木々の緑は涼しげに見えるだけで、じっとりと湿った温い空気が肌にまとわりつく。空の青もいつの間にか濃くなり、雲は濃密で白く鈍い光沢を帯びていた。

 高杉が自室で本を読んでいると、銀時がふらりと部屋に現れ、そのままゴロリと横になっている。

「さっき坂本がテメェを探してたぞ」

「ん〜、あぁ、辰馬な。なんかわらび餅?くれるっつうからありがたーくいただいたといた」

 チラリと銀時を横目で見やりそう言うと、銀時はこちらに顔を向けることもなく面倒くさそうに答えた。

 坂本がずいぶんと銀時のことを気に入っていて、あれこれ構いたがり銀時を甘やかしているのは知っている。そして、銀時は銀時で調子よくそんな坂本に甘えているようだが、坂本に懐いているということではなさそうだ。

 銀時がこうしてふらりとやって来て何をするでもなくゴロゴロしたりするのは高杉のところでだけで、坂本がいくら銀時に餌付けしたところで銀時が坂本の部屋で昼寝をすることはない。

 何故かと銀時に訊いても、銀時は『アイツらうるせーもん』ぐらいしか答えないだろう。

 誰にも懐かない猫が自分にだけは懐いているとでも言うのだろうか。

 寝てんだか起きてんだかわからないボケた面で寝転がってる銀時の本心なぞ知らないし、知りたくもない。

 視線の隅にふよんふよんと揺れる銀色の髪が映る。

「……なぁ、」

 寝ていると思っていた銀時がおもむろに口を開いた。

「…なんだ?」

「あのさ〜、俺、いつ死んでもいいなぁって思ってんだけどさ〜。いや、死にてぇワケじゃねぇのよ。死んじまったら、そんときゃそんときで仕方ねぇかなってよ…」

 そう言った銀時はゴロリと転がったまま窓から見える青く高い空をボーっと眺めている。高杉が黙っていると、銀時は寝転がったままさらに続けた。

「でもさ、もう死ぬな、こりゃってマジで思ったときには、死にたくねぇとかって思うのかなーってよ」

「知るか。俺はテメェじゃねェんだ、そんなの知るワケねェだろ」

「…だよなー」

 銀時は苦笑いして、

「…でもよ、オメーに会えなくなるんだなって思うとそれはイヤかもしんねー…かな…?」

と、小さく呟くように言った。

「……。何寝ぼけたこと言ってんだ」

 高杉は本から視線を外し、銀時の方を見た。銀時は相変わらず寝転がったままでその表情はわからない。しかし、きっとあの赤い眸を眠そうに細め夏の蒼穹を眺めているに違いない。

「…そうだなー、…でも、置いてけぼりはもっとイヤかもしんねーなー…、やっぱ逝くときゃ真っ先に逝きてぇかな…」

もぞりと動く気配がすると、それこそ猫のように丸くなって銀時はスースーと寝息を立て始めた。

 自分が死ぬのは怖くない。

 残されることほどつらいことはないと思う。

 合図とともに一緒に逝けたらと子供のように空に向かって祈った。



 *



 今年の春は遠いな。

 と、高杉は手に持った煙管をクルリと回し弄ぶ。

 その分、長く花を楽しめるかもしれないが。

 それにしても寒いなと顔を上げると、障子から透かして入ってくる光がやたらに明るい。さっきまで雨が降っていたはずと、煙管を置くと立ち上がり、障子をスーッと引く。

「…ヘェ〜、こりゃ…、」

 どうりで寒いはずだと高杉はフッと笑った。

 小さな庭はいつの間にか雪化粧していた。

 名残り雪は重く、雪は冬との別れをその名のとおり惜しむようにズシリ、ズシリと降っては積もっていく。庭に咲く梅の枝にも雪は積もり、赤い梅の花が寒そうにその身を縮める。

 高杉は一度俯き小さく笑ってから、おもむろに庭に降りた。

 見上げた空はぼうっと白っぽく光っている。空から落ちてくる雪は僅かな太陽からの光を反射させあちらこちらに弱い光を届ける。手のひらを広げ、ひとひらの雪をそっと捕まえれば、スウッと溶けて消えていった。

 庭に積もった雪を踏むとサクッと音がする。数歩進み、後ろを振り向けば自分の足跡が残っていた。

 土に汚れてなさそうな雪を集め団子を四つ作り雪だるまにする。紅梅を一輪手折ると雪だるまのひとつに差した。

「…ガキじゃあるめェし…」

 小さな雪だるまを見て目を細め、苦々しく笑う。

 雪は小降りになった。そろそろやむだろう。そして、この雪だるまもあっという間に溶け、紅梅だけが残り、その紅梅もすぐ萎れ朽ちるだろう。

「晋助様、何してんスか? 風邪引きますよ!?」

 後ろから声がする。

「あぁ、」

 クルリと振り向き応える。

「あれ、晋助様が作ったんスか?」

「…雪が積もったからな、」

「…可愛いッスね」

 高杉は自分を慕う部下の金髪の女を見やり口の端をほんの少し上げ笑う。

 あのとき祈った『一緒に』は無理だろうが、きっと一緒に逝けるだろうと、そう思った。


(了)

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