#02

「バッカみてェ…」


銀時がそう呟いて見上げた青い空には白い月がぽつりと浮かんでいた。

昼の空に星が輝いているわけもなく、雲ひとつない明るい空にただそれだけが浮かんでいる。白い月はなんだか寂しい。


『お遊びの時間は終わったんだよ。』


土方にそう言ったのは自分だ。

そう、お遊びの時間は終わったんだ。

これでやっと終わった。


「ホント、バカみてェ…」


もう一度呟いた。

空に向かって口に出してしまえば、胸の辺りがチクリと痛んだが少しだけ心は軽くなった気がした。





   * * *





やっと講義が終わって幼馴染みに譲ってもらったバイクでアパートへと帰る。

既に日は暮れていて、バイクを走らす道には街灯のポウッと白い明かりが規則正しく並ぶ。空には昼の光が残っていてまだ夜の色には染まっておらず群青色をしている。視線の先には名前があるのかどうかもわからない低い山が黒いシルエットになって見える。その山の稜線は僅かにオレンジ色に縁取られていた。もう少しすればすっかり日が暮れる。ポツリ、ポツリと星が瞬き、東の空には少しだけ欠けた月が顔を覗かせていた。

背中のリュックはテキストや辞書でずっしりと重い。一応、ロッカーはあてがわれているが、テキストやなんかを持って帰らないことにはレポートが書けない。

世の中の人たちは大学生について大きな誤解をしていると銀時は思う。

大学に入れば遊べるっていうのは、正しいようで正しくない。確かに遊んでるヤツもいるが、銀時が通う学部は出欠をきちんと取る講義ばっかりでサボるなんて選択肢はないし、レポートの課題は多いし、1限から5限までみっちり講義が詰まっていることの方が多い。

銀時は重いリュックにうんざりし、暗い空を見上げ、ため息を吐いた。



銀時には生みの親の記憶なんてない。気がついたときには、先生の家にいて、幼馴染みというものができていた。

人生ってヤツは、一度ケチがつくと次から次にケチがついてまわるモンらしい。

小学校に入学してしばらくするとその先生もいなくなった。だけど、そんなツイていない銀時の唯一幸運は、先生がいなくなっても拾ってくれる大人がいたことだろう。口の悪いババアは少し離れた街に住んでいて、『アンタさえよけりゃついておいで。部屋はあるよ。』と笑って言った。

幼馴染みたちは手紙をくれたり電話をかけてきたりしてくれたし、新しいダチもできた。こうして大学にも通えている。

ツイてないがそう悪くない人生だと、銀時はそう思ってる。



アパートに着くと駐輪場にバイクを置いてから、カンカンカンと音をたてながら階段を上る。

銀時の住むアパートは安普請だが、風呂も便所もあって、台所もまあまあ広くて案外ちゃんとしている。古臭いところにかえって昭和のレトロな雰囲気が漂っていて銀時はけっこう気に入っていた。

ジーンズのポケットに手を突っ込み鍵を探す。階段を登り切り、顔を上げると自分の部屋の前に人影が見えた。

ギクリとする。

見覚えがあったからだ。

その人影に。


「…よう。遅ェんだな。」


土方は吸っていた煙草を口から放すと、もう片方の手に持っていた空き缶に押し付け火を消し、ポトリと吸い殻を缶の中に落とした。

しばらく会わない間にその仕草はすっかり板についていた。煙草を操る手も隠れて吸っていたあの頃はまだ子供っぽさが残っていたが、今では大人の男のそれに変わっていた。


「……お前、何してんの?」

「テメーんとこのババアに訊いたんだ、ここの住所。」

「ンなこた訊いてねぇよ…。」

「話してェと思ってな。」

「何を? こないだ『お遊びの時間は終わりだ。』っつっただろ。聞いてなかったのかよ。」


銀時はいらりとしてわざと大きなため息を吐き、チラリと土方に視線を向けるとすぐにそれを逸らした。そして、小さく舌打ちし俯むくと、手を首の後ろへまわした。


「一方的にあんなん言われて納得できるかよ。」


土方が低い声でそう言った。銀時の態度に土方もいらりとしたようだった。


「……。めんどくせぇ…。帰れ。…っつったって帰るワケねぇか。…上がれよ。」


土方の返事はない。銀時はチラリと土方を見た。土方は銀時をギロリと睨んでいる。土方が自分に対して苛立っているのがわかる。

しかし、そんなの知ったことかと視線を戻すと、銀時は鍵を差し込み回した。カチャリと音がして鍵が開く。ドアを開けると、銀時は土方のことなどお構いなしにさっさと靴を脱ぎ、部屋に上がりパチンと灯りを点ける。ジジジと音がし蛍光灯の青白い光が部屋を照らす。背中越しに土方が部屋に上がるのがわかった。


「で、テメーは何を話すってんだよ。聞いてやるから話したらさっさと帰れ。俺は腹も減ってるし、やらなきゃなんねぇレポートもあんだ。」


銀時はドサリとリュックを足元に下ろすと、ゆっくり土方の方へ顔を向けた。あぁ、怒ってんだな、コイツ、と他人事のように銀時は思った。


「……『お遊びの時間』ってのは何だよ。」

「言葉の通りだろうが。それ以外に何があるってんだ。」

「…ダチでもねェってのか。」

「さんざんヤっといて今さらダチってか。阿呆だろ、テメー。」


銀時が呆れたように笑うと、チッと舌打ちが聞こえた。土方は銀時から視線を外すとポケットから煙草を取り出し、口に煙草をくわえた。カチッ、カチッと何度か音がしたあと、再び舌打ちをする。ライターがうまく点かないらしい。土方は苛立ち、煙草を口から放すと煙草の箱をぐしゃりと握りつぶした。


「俺にはテメーと話すことなんてねぇっつってっだろう。わかったら帰れよ。」


銀時は冷めた様子で土方を眺めながら、静かにしかしはっきりと言った。


「……。誰か他にいんのかよ。」


少し間を置くと、土方は俯き加減に目線だけを銀時に向けて訊いた。


「は?」


予想外の質問に銀時は思わず間抜けな声を発した。『いるわけねぇだろ。』と、銀時が言おうとしたとき、ガチャリとドアが開き、声がした。


「銀時、どーせメシ食ってねェんだろ。メシ、行こう、ぜ、って、なんだ? 客か? あんまりいい雰囲気でもねェみてェだなぁ。どうする? すぐ終わるんなら待っててやるぜ。」


部屋に入って来たのは幼馴染みの高杉だった。


「あぁ、すぐ終わる。もう帰るところだから待ってろ。」


銀時は土方挟み玄関にいる高杉に答えた。土方は玄関の方を振り返る。高杉が土方に向かって『どうも』とニヤリと笑った。銀時からは土方の表情はわからないが、高杉が人の神経を逆撫でするタイプの人間であることはわかりきったことで、間違いなく土方は怒りを感じているだろう。それを感じたらしい高杉が愉快そうに口角を上げイヤミったらしく笑った。


「…そいつなのかよ。」

「だったらどうすんだよ。なんか文句あんのか? 俺がどうしようがテメーにゃ関係ねぇことじゃねぇのか?」


なんとも間抜け誤解をしたもんだと、銀時は土方をジッと見た。


「『男』かよ。」


土方のその言葉には悪意を感じる。しかし、その言葉に怒りとか悲しいとかよりも滑稽なものを感じてしまう。馬鹿な男だと、銀時は妙に冷静に思った。


「テメーにそんなこと言えんのか? テメーだって『男』相手に盛ってたんだろうが。笑わせんな。」


高杉は壁にもたれ腕を組み、面白そうにニヤニヤと笑いながら黙って銀時たちを眺めている。銀時は土方が何か言い返してくるのを待たずに続けた。


「テメーはガキなんだな、土方。飽きてほったらかしにしてた玩具を急に思い出して、それが横取りされてたと知ったら急に惜しくなったのか。何がしてぇのか自分でもわからねぇクセに偉そうにダチだのなんだのキレイ事言ってんじゃねぇよ。わかったら帰れ。テメーにゃ、用はねぇ。二度と来んな。」


土方の手からポトリと煙草の箱が落ちた。銀時の胸ぐらを土方の腕が掴み、顔が近づいて来る。銀時はそれをスローモーションのように感じた。これで本当に終わりだなと思い、ジッと相変わらず腹立つぐらい整った顔を眺めた。

コイツが何をそんなに怒る必要があるんだ?と思う。

何の執着も見せなかったはお前の方だろう、と。

そんなことを考えていたら笑っていたらしい。


「何がおかしい。」


と、地を這うような低い声が聞こえた。少し震えているだろうか。どうやら本気で怒っているらしい。



どこまで馬鹿なんだ、コイツは。



銀時はもう一度笑った。

左の頬に衝撃を感じ、口の中に血の味が広がる。

あぁ、殴られたんだなと思い、去って行く土方の背中を見ていた。





   * * *





「俺はいつからテメーと付き合ってんだ?」


高杉が寝転がっている銀時の顔を覗き込んだ。面白そうに笑っている。


「あ…、悪ィ…。」

「男同士の痴話喧嘩に巻き込まれるなんざなかなかできる経験じゃねェし、ありゃあれで面白かったぜ。」

「……。お前さー、気色悪いとか思わねーの? 男同士でヤってたとか。」

「ぁあ? 昔っからンな話、世界中いくらでもあんだろ。ガチかガチじゃねェかって話は別にしてよ。んで、テメーはガチなのかよ。」

「たぶん、違ェ。お前見てもムラムラしねぇもん。」

「へぇ〜、俺のがさっきのヤローよりいい男だと思うけどなぁ。」

「試してみる?」

「試さねーよ。そのかわり酒なら付き合ってやる。その顔じゃ、外はムリだろ。テキトーに材料と酒買って来てやっから、テメー何か作って食わせろ。俺ァ、いい加減腹減ってんだ。」

「わかった。……なぁ、高杉、…サンキュ。」

「何が?」


高杉はポンポンと銀時の頭を軽く叩くと、立ち上がった。高杉は『じゃ、行ってくっからメシでも炊いてろ。』と言い、部屋を横切る。畳の上を歩く足音が聞こえた。

ガチャリとドアが開く音がした。ドアが閉まるとカンカンカンカンと階段を降りる音がする。部屋はシンと静かになる。寝転がったまま首を逸らす。窓の向こうの夜空に白く煌々と輝く月が見えた。



終わったな。



フッと笑いが漏れ、ポロリとひと粒だけ涙がこぼれる。殴られた頬が痛いことを思い出した。





(了)

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