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 黄色い電車が走る私鉄のその駅は、主要路線ではないけれどいくつかの路線が交わるところなので、そこそこの大きさで利用者も多くて朝夕はそれなりに混雑する。電車を降りて西口から駅を出ると道は小さな商店街へと続いており、夕方にはあちこちからできたての惣菜の匂いが漂い始め買い物袋をぶら下げ家路を急ぐ人たちで賑わい、日もすっかり暮れ少し遅い時間になれば千鳥足の酔っ払いがチラホラ目につくようになる。

 冬の太陽はサッサと沈んでしまい、街灯や通りの店から漏れる灯りは冷たい空気にキラキラと光って見える。西の空にはまだほんのりと夕焼けのオレンジ色が残っていて、金星がポツンとひとつだけ瞬いていた。あの星も太陽を追っかけるみたいにもうじき沈む。寒いのと暗いのとで買い物をすませた通勤客たちはみんな俯き加減に足早に商店街を通り過ぎて行く。冬の夕暮れはなんだか淋しく家が恋しくなる。

「こッ、こんばんはッ、お妙さんッ。コロッケを、4つ、いや、6つ、いや、やっぱ7つにしとこうかなァ。あ、あの、お妙さんのオススメはどのコロッケですかッ?」

 駅を出てほんの何メートルか歩いたところにある肉屋は肉の他に夕方になるとコロッケやなんかの惣菜を売り出す。アハハと笑いながらゴリラによく似た男が店先の三角巾にエプロン姿の店員に話しかけている。男は若いと言うには年を取っていて、紳士服の量販店で買ったと思われる黒いダウンジャケットもその下に着ているスーツもすっかり男に馴染んでいる。

「コロッケは一種類だけです。バナナならそこの八百屋で買ってください。お店間違えてますよ」

「…いえ、あの、コロッケを、あ、6つください…」

 にっこりと笑う『お妙さん』と呼ばれた店員の言葉にゴリラ似の男は少し哀しげな表情でカクリと肩を落とす。店の奥でそのやりとり見ていた割烹着姿の女主人が呆れたように溜め息を吐くと、すぐそばの従業員らしい女が口を開いた。

「オイ、ゴリラ、動物園ヘノ乗リ換エハ、ココジャナイヨ。オマエ、降リル駅、間違エテルヨー」

「キャサリン、アンタは口じゃなくて手ェ動かしな」

「イヤ、デモ、オ登勢サン、動物園ニ電話シタ方ガイイデスヨ。毎日ゴリラガコロッケ買イニ来ルケド、オマエラ、コイツニ餌チャント食ワセテンノカッテ」

 インチキくさい片言の日本語を喋るキャサリンと呼ばれた女は白い調理着を着てコロッケを揚げながら女主人の方を見る。『お登勢』と呼ばれた女主人はやれやれといったふうに首を軽く左右に振ると肩を落とすゴリラ似の男を見た。

「近藤さん、愛想がいいんだか悪いんだかわかんない店員や、口の悪い店員しかいなくて悪いね。ホラ、お妙、コロッケ包んでやんな。ところで、アンタ、他に食べるモンはあんのかい? 子供、預かってんだろ? ちゃんと食わせてやんないと。ちょいと待ってな」

 お登勢はそう言うと店の裏の自宅へと繋がる扉を開ける。

「たま! 冷蔵庫にキャベツがあっただろ? アレ刻んどくれ。あと、インスタントの味噌汁、買ったのがあっただろ。キャベツとソレと近藤さんに持たせてやんな」

 自宅の方から「ハイ。お登勢さま」と声が聞こえて来る。お登勢はその声を確認すると「すぐだから」と近藤の方を見た。

「え、いや、悪いですよ、お登勢さん。そんなに世話になっちゃあ、アンタだって商売でやってんだし…」

「アンタにじゃないよ、アンタんとこの子供のためさ。遠慮なんかすんじゃないよ。あたしゃ焼けない世話は焼かないよ。せっかくこっちが世話焼いてやるってんだ。そういう人の好意には黙って甘えとくモンだよ」

「そうよ。近藤さん。人の好意はありがたく受け取っとくもんですよ。いくら近藤さんがゴリラだからってせっかくくださるっていうハーゲンダッツを、私、断ったりしませんでしょ?」

「お妙、アンタね…」

「え?」

「まあ、ちょっと待ってな。あ、そうだ、お妙。近藤さんにコロッケ一つやんな、揚げたてのを。そこにただ突っ立ってんのも寒いだろ」

 近藤がこの町に引っ越して来たのは春のことで、周囲の反対を押し切って遠縁の子供を預かることにしたからだった。前に住んでたアパートは職場に近くて便利ではあったが、男二人で住むには少し狭かった。職場に掛け合ったところ単身者は住めなかった宿舎に入ることができたので、職場へは少々遠くなったが宿舎に移ることにした。まあ、何にせよ安い賃料で広い部屋に住めるのはありがたいし、こうやって世話を焼いてくれる隣人たちがいるのは自分のような者にとっては助かる。

 妙からコロッケを受け取りながら近藤は預かった子供を浮かべた。ちょっとひねくれてはいるが自分を慕ってくれているらしい子供は、親戚というにはあまりにも遠く殆ど他人のようなものだが、小さな頃から知っているその子供を放り出す気にはなれなかった。妙から手渡された揚げたてのコロッケはホカホカで白い湯気が上がる。近藤が妙の方を見ると、妙はにこりと微笑んだ。近藤はハハッと照れたように笑うと手にしたコロッケにガブリとかじりついた。

「ッ!〜〜〜〜〜ッ!!!!!」

「どうしました? そんなに美味しいですか? よかったわ、喜んでいただけて。コロッケなんてゴリラの口にも合うのか心配だったけど合うものなのねぇ」

 近藤が勢いよくかじりついたコロッケは思いのほか熱かった。「いや、違う。違うから。そうじゃないんです」と妙に助けを求めるが声にならない。熱いからと言ってせっかく貰った揚げたてのコロッケは吐き出す訳にもいかず、喉を押さえ転がるしかない。妙は「あらあら喜んじゃって」と菩薩の如き微笑みで転がる近藤を見ている。

「オメー何やってんだ?」

 着古した色褪せたジーンズに流行りも何も関係なく何年も着ているらしい丈夫そうな紺色のPコートを着た白髪頭の男が近藤を見下ろし、コートのポケットに手を突っ込んだまま近藤を爪先でツンツンとつついた。白髪頭と言っても年は近藤とはさほど変わらない。近藤をつつきながら笑っている男の傍らには赤いコートに白いマフラーをくるりと巻いたお団子頭の少女がいて、転がる近藤を冷めた目で眺めている。

「あら、銀さん。神楽ちゃんも。お仕事の帰りですか?」

「おぅ、そんなとこ。3丁目のジジイにヤボ用頼まれてなー。あ、さっきテメーんとこの弟にも会ったぜ。オタク活動もほどほどにサッサと家に帰れよと言っといた」

「姉御ー、アツアツほくほくのコロッケふたつーッ!」

「あら新ちゃんに? ありがとうございます。はいはい、神楽ちゃん、コロッケふたつね。ちょっと待ってね」

 『銀さん』と呼ばれた白髪頭の男はこの町で『よろず屋』という便利屋をしていて、ちょっとしたことならなんでも器用にこなすので町の人間には重宝がられそれなりに商売は繁盛しているらしい。男は妙の方を見て軽く手を上げると転がる近藤の方に顔を向けた。男の隣のお団子頭の少女は「すぐ食べるから1個ずつ包むアル」と背伸びして陳列ケースの向こう側の妙に話しかける。

「で、ゴリラ、オメーは寝転がって何やってんだよ」

「フゴッ! 〜〜〜〜〜ッ!」

「どうした? ゴリラ。ゴリラ語じゃ何言ってっかわかんねーぞ」

 よろず屋は涙目で食べかけのコロッケを見せる近藤の傍らにしゃがみ面白そうに近藤の顔を覗き込む。

「どうした? 毒でも盛られたか? だから言ったじゃねぇか。ストーカー活動もほどほどにしねぇとあのオンナ通報なんかしねぇでいきなりヤるぞって。あ!? 何!? いや、だから何言ってっかわかんねーっつってっだろ!」

「あらやだ、銀さんたら人聞きの悪い。私がそんなことするような女に見えます?」

 背後から妙の声が聞こえて来る。近藤は相変わらず悶えている。少女は妙からコロッケを受け取ると「銀ちゃん。銀ちゃん。あーんするヨロシ」とよろず屋をツンツンとつついた。よろず屋が「ぁあ?」と気のない返事しながら少女の方を見ると、少女はよろず屋の開いた口にコロッケを突っ込んだ。

「ーーーーーッ!!!」

「銀ちゃん、どうしたアルカ? コロッケ、ウマいアルカ? 熱いから気をつけるネ」

 少女は小首を傾げよろず屋を見ると、コロッケにふぅふぅと息を吹きかけそれをパクリと一口かじる。「銀ちゃん、どうしたネ?」

 モグモグとコロッケを食べながら少女はよろず屋に尋ねるが、よろず屋は喉を押さえ転がっている。

「銀ちゃんとワタシ、まるでコイビト同士みたいネ。一度やってみたかったヨ、『あーん』って」

「よかったわね、神楽ちゃん。銀さんたら喜んでるみたいよ」

「ーーーーーッ!!!」

 これっぽっちも喜んでなんかねぇだろうがというよろず屋の声にならない抗議は楽しげに笑う二人には届かず、近藤とよろず屋の二人は喉を押さえ店の前を転がっていると、「アンタら何やってんだい?」と袋をぶら下げたお登勢が出て来て呆れた様子で二人を見下ろした。

「ちょいと。こんなところで寝られちゃあ商売の邪魔だよ」

 二人はやりたくてやってる訳じゃないと訴えるが、お登勢は「何言ってんだかサッパリわかんないよ」とため息を吐く。

「いいかげんにしとくれ。デカい図体した男が二人で。ホラ、アンタはこれ持ってとっととお帰り。子供を待たせてんだろ」

 お登勢は近藤を立たせると、妙から包んだコロッケを受け取る。近藤は慌てて残りのコロッケを口に放り込んだ。
「まったく、しっかりおしよ」

 そう言ったお登勢からコロッケと袋を受け取ると、近藤はポケットから財布を取り出し札を一枚出した。

「すまねェ、お登勢さん。コレ。釣りはいらねーからよ」

「そうかい? じゃあ、ありがたく受け取っとくかね」

 お登勢が札を受け取ると、近藤は「お妙さん、コロッケおいしかったですッ」と店の方を見た。妙はにっこりと微笑み頭を下げる。近藤も頭を下げると、「じゃあな」とよろず屋に向かって手を軽く挙げてからすっかり日の暮れた商店街を小走りで去って行った。お登勢はその背中を見送ってから手に持っていた札を見た。

「万札じゃあないかい!? …馬鹿だねぇ〜、あの男」

 お登勢はフフフと笑うと、まだ転がっていたよろず屋を見下ろした。

「銀時、いつまで寝てんだい。アンタも神楽を連れてサッサと帰んな」

 そう言ってからお登勢はもの言いたげなよろず屋の尻を蹴っ飛ばした。

「ッてェなァッ! ババア、何しやがんだ! 好きで寝っ転がってんじゃねぇよ! もとはと言えばアイツのせいなんだよ!」

「まったくみっともない男だねぇ。子供のせいになんかすんじゃないよ」

「いやいやいやいや…、アレはただのガキじゃねぇから。ちっとぐれぇ痛ェ目見せてやってちょうどいいぐれぇだから」

「ワタシ、銀ちゃんに『あーん』したかっただけヨー」

「子供がこう言ってるじゃあないか」

「神楽ァ! テメッ、カワイ子ぶってんじゃねぇぞ!」

「ったく、うるさいよ、銀時。ほらほら、商売の邪魔だよ。帰んな。帰んな」

 何本めかの電車がちょうど着いたらしい。ピークの時間は過ぎて人の波は疎らだ。プッと小さく聞こえた控え目なクラクションは誰かを迎えに来た車だろう。学校帰りの子供か、それとも仕事帰りのお父さんか。夕暮れ時はちょっと寂しくて、そしてやさしい。どこからやって来たのかよくわからない懐かしさがこみ上げてくる。懐かしいような故郷なんかなくても。カタンカタンとあの黄色い電車が走り出した音がした。

 銀時は「さてと」と立ち上がりポンポンとジーンズを叩く。神楽がその腕にしがみついて「早く帰ってごはん食べるネ」と笑う。「じゃあ、また明日」と店先の妙が手を振った。「気をつけて帰んな」とお登勢が言うと、銀時は「おう」と空いた方の手をほんのちょっと挙げて答えた。



(了)

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