10
電車を降りて駅の表口、北側に出ると繁華街が広がっている。繁華街と言っても田舎町なので、その規模なんてたかがしれている。駅からまっすぐ伸びる通りに沿って商店街やこの街唯一のデパートが建っているが通りの長さはせいぜい300メートルかそこらで、ぐるっと歩いて回ってもそんなに時間はかからない。
妙が働いているのは、その商店街を通り抜けたその先にある飲み屋の立ち並ぶ区画にある店で、キャバクラなんて看板を掲げてはいるが店の雰囲気はどことなくのんびりしている。
「あら、ヤダ。ゴリラが紛れ込んでるわ。保健所に電話しなきゃ。店長ー」
「イタタ、イタタタタ…、お妙さん、勲ですっ。ゴリラではなくあなたの勲ですっ」
妙は近所のおばさんとの付き合いで行ったカルチャースクールで習った護身術でゴリラではなく近藤の腕を捻り上げた。
「妙ちゃん、それゴリラじゃなくて近藤さん。一応、お客さんだからね。放してあげて」
「あら? 誰かと思ったら近藤さんじゃないですか?」
「そうです。ゴリラじゃなくて勲です」
「今日は何のご用ですか?」
「お妙さんに会い…」
バキィィイイイ!
「店長。警察に電話」
「いや、だから、近藤さんが警察だから」
*
父は家とわずかな保険金を残して逝った。あの人の不器用なくせにへんにお人好しだった性格を考えると、借金がなかったということだけで十分だったと妙は思っている。
父が生前、「兄弟は他人の始まりだからなぁ」と寂しそうに言っていたの思い出す。
遠く離れてしまえばそんなものなのかなと、朝食を食べる弟にお茶を注いであげながら考えた。
「新ちゃん、今日、お迎えお願いしてもいいかしら」
「今日は近藤さん来ないんですか?」
「そうみたい」
「仕事してないようでしてるんだ、あの人」
弟はごはんもみそ汁もきれいに食べてしまうとお行儀よく手を合わせ「ごちそうさま」を言った。
食べ終わった食器を下げる弟に「あとはするからそのままでいいわよ」と声をかけ、洗濯物のぶら下がる庭を眺めた。石油ストーブの上に置いたやかんからシュシュシュと白い湯気が立つ。窓から入って来る陽射しは穏やかで、妙はあとでひと休みしようかしらと出そうになった欠伸をかみしめた。
バタバタと足音がして、ガラッとガラス戸が開き、ダウンジャケットを着た弟がひょっこり顔を出した。
「じゃ、学校に行って来ます」
妙は立ち上がると弟と一緒に玄関まで行き、「いってらっしゃい」と手を振った。弟が「行ってきます」と家を出て、ガラガラと戸が閉まり磨りガラスの向こう見える影を見送りながら、そういえば母も父や自分を玄関まで見送りに来てくれていたなと思い出してふっと笑った。
一度、仕事に行く父を見送りに出なかったことがあり、「お父さんが働いてくださるおかげでこうして暮らしていけるんでしょう。お見送りぐらいきちんとしなさい」と母から叱られたことがあったことも思い出した。
見送ってくれた母も、見送っていた父も、もうここにはいないが、毎朝、当然のように弟の見送りをする自分に、知らぬ間に自分の中にはいろんなものが残っていたんだなと思った。
*
「連絡を貰った警察のモンです。うちのゴリラ、引き取りに来やしたー」
「あら、すみませんね。なんだかゴリラのくせに飲み過ぎたみたいで」
「へぇ〜、ゴリラは飲み過ぎると、白目むいて顔の形が変わるんですねィ」
近藤を迎えに来た男は面白そうに白目をむいている近藤を覗き込む。
「馬鹿ねぇ〜……」
妙が小さく呟く。
「男なんてそんなもんですぜ、姐さん。ま、この人は輪をかけて馬鹿だけど」
沖田は妙の方をちらりと見て笑った。
「姐さん、パトカーでよければ送って行きやすけど」
「けっこうよ。お迎えが来るから」
「そうですか。なら、これで」
妙は「困った人だこと」と、ゴリラを乗せたパトカーを見送った。
(勲と妙)
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